ボックスティッシュ。画像を大きくする意味は特にないのだが、でっかくしてみた。でっかいから。
ボックスティッシュ配り
ポケットティッシュなんて小さいことは言わず、ボックスティッシュを配ってみることにした。
ポケットティッシュを配ったときの満足感はポケット級、ボックスティッシュを配ったときの満足感はボックス級に違いないのだ。超ボ級の満足感! 胸がときめく。
ポケットティッシュ配りで培った「配る技術」を今ここで再び生かすのだ。
ポケットティッシュよりいいものだ、みんなもらってくれるに違いない!
「みんな、遠慮しなくてもいいんだよ」と思ったが、そういう問題ではないようだ。ボックスティッシュを配る人なんて類を見ないことが、明らかに僕のティッシュ配りたい欲を阻害している。通り過ぎる人たちはみんな「なんだこりゃ?」という目で見ている。そんな!
まあ、確かにでかいし、貰いづらくはあるよな・・・と、しょぼしょぼ思いはじめた矢先である。
こんな受け取りづらいものを貰ってもらってくれるなんて感激もひとしおだ。それで、貰ってくれた人はそのティッシュをどうしたかというと…
結局ボックスティッシュは、およそ20分で10個配りきることができた。充実感もなかなかである。何しろボックスティッシュは貰うときガシっと掴むので「渡した感」が格別である。表情を見ると貰ってくれた人の「ラッキー感」もよく伝わってくる。
あげたい欲、振舞いたい欲
どうやら人間には貰いたい欲・手に入れたい欲だけでなく、あげたい欲・振舞いたい欲があるようだ、と結論付けねばならない。正確に言えば「受け取って欲しい」という欲求だろうか。
だから時には、ものをあげた人はあげて幸せに、貰った人は貰って幸せになっちゃうこともあるということだ。つまり一つの出来事で2倍の幸せ。
自分の利益だけを純粋に突き詰めていったとき「でも、これ自体には何の意味があるんだろう?」と不安に襲われることがありますが、そういうときは上のようなことを思い出してみてもいいかもしれません。
ちなみにトイレットペーパーは誰も受け取りませんでした。やはり。