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ちしきの金曜日
 
日本3大ガッカリ名所・再考察

おおっ、これが!

 

高知の「はりまや橋」

長崎から特急と新幹線を乗り継いで遠路はるばるやって来たせいか、この重厚なはりまや橋の姿を見た瞬間、思わず
「おおうっ!」
と感激した。

ガッカリ、ガッカリと聞いていたけど、大きいし全然かっこいいじゃないか。


どーん!

と、その隣には赤い欄干のはりまや橋も。
(なんで2コあるんだろう?)


隣には、赤い欄干のはりまや橋

どうやら、「はりまや橋」はガッカリ名所と呼ばれるのを不服とし、何度も架け替えられているらしい。

説明文によると、これは「平成五年、全国から寄せられた680件の『はりまや橋に対する整備のイメージ』を基に、江戸期のはりやま橋として再現したもの」だそうだ。


とりあえず記念写真撮っとこ。
当日は雨。

はりまや橋周辺は公園になっており、地下通路を通って道路の反対側へ渡れるようになっていた。

ということで、通路を歩いていると…


ん?これはなんだ?

そこには謎のはりまや橋の欄干が置かれていた。

さらに通路を抜けて道路の反対側へ出てみると、そこに、なにやら小さい橋がかかっていた。


なんか小さい橋があるな…

その小さな橋の名前を見て、私は思わず声を上げた。


ええっ!! 「はりまやばし」って書いてある!  

これがひょっとして初代ガッカリはりまや橋…??

 

高知人の思いと迷いが交差する「はりまや橋」

説明文などによると…

  • 江戸時代、堀で隔てられていた豪商播磨屋(はりまや)と、富商櫃屋(ひつや)が互いの往来のために架けた私橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになる。 当時は、簡素な木造りの橋だった。
  • 明治41年、鋳鉄製の橋(写真の緑のやつ)に架け替えられる。
  • 大正末期から昭和の初期、高知駅から南の道路整備に伴い、緑のやつは撤去。
  • その後、何度か架け替えられる。(地下通路に置いてあったやつ等)
  • 昭和33年、南国博覧会のため、朱色の欄干が登場。翌年、歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットしたことで、同名の映画が作られ、スクリーンに映し出された朱色の欄干が「はりまや橋」として、全国に知られるようになる。

で、それを目当てに訪れた観光客が、実際のはりまや橋を見てそのギャップに驚き、いつしかガッカリ名所として有名になった。というのが、ことの経緯らしい。

が、ガッカリ名所と呼ばれるのもどうだろうかということで、周囲を公園として整備したり、2代目はりまや橋である鋳鉄製の橋を戻したり、初代のイメージのはりまや橋(赤いやつ)を再現したり、といろいろしたのが現在のはりまや橋周辺の姿というわけだ。

以上、有名な日本3大ガッカリ名所+長崎のオランダ坂を見て来たが、いかがだっただろうか。

「さすが日本3大ガッカリ!」
と思ったかたもいれば、
「それほどガッカリでもなかった。」
「もっとすごいガッカリ名所を知ってる。」
と思ったかたもいるだろう。

いずれにせよ、古いイメージを引きずっていつまでも3大ガッカリを固定にしておくこともないだろう。例えばJリーグのようにG1、G2とに分けて、読者投票により1部リーグの最下位と2部リーグの最上位を毎年入れ替えるとかにすれば、それぞれ活性化されて良いのではないだろうか?

…という提案をしてみたところで、今回のガッカリ名所再考察の旅を終わりたい。

今の時代に見合った、最新のガッカリ名所の制定を

 
 
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