デイリーポータルZロゴ
このサイトについて


チャレンジの日曜日
 
知られざる廃線跡

この道も昔は線路

日本の近代化の中で、生まれては消えていった数多くの鉄道路線。

かつて、新宿と横浜という2大都市を結んでいた私鉄路線が存在したのをご存知でしょうか。

(text by 萩原 雅紀



記録に残っていない路線

この路線については初耳だという人が多いと思います。現在ではこれほど発展した都市を結ぶ鉄道なのですが、なぜか歴史の闇に呑まれひっそりと幕を閉じ、今となってはその存在を知る人もいなくなり、資料もほとんど残っていないということです。

しかし起点と終点である新宿と横浜に、当時の面影を残す物件が僅かに残存しているという情報を入手、貴重な歴史遺産を確認するため、まずは新宿にやってきました。現在は高速バスのターミナルがある場所、実はここがこの路線の新宿駅(当時は淀橋停車場)跡なのだそうです。よく観察すると、乗り場がバスが停まるところより一段高くなっているのが分かります。何とこれがホームの跡だというのです!


新宿の高速バス乗り場
これが、ホーム跡なのか!?

また、天井から下がっている乗り場案内の表示もよく見ると書き方が逆向きのままなどかなり年代物で、これも当時のものをそのまま使用している可能性が高いとのこと。ホームの向かいにはこの鉄道会社が営業する百貨店もあったそうですが、その建物は家電量販店に受け継がれていました。


「のりば」が逆向き!
直営百貨店だった建物は量販店に

ここからどのくらいの列車が横浜へ出発して行ったのかは分かりません。駅としてはその役割を果たせなくなりましたが、今は日本中へ向けて高速バスが出発しているわけで、結果的には発展的消滅と言えるのかも知れません。

新宿を出た列車の経路は諸説あってはっきりしないのですが、今となっては痕跡がまったく残っていませんでした。


ホーム跡を利用した携帯売り場
当時は一面田んぼだったがすっかり変貌

 

横浜へ向かいます

この路線に代わって、今の時代に新宿と横浜を結んでいる速くて快適な湘南新宿ラインに乗り横浜にやってきました。何とこの近くには当時使われていた駅舎がほぼ完全な形で現存しているのです!

横浜の街を散策すると、新宿近辺よりは多くの路線跡を確認することができました。

今でこそ30分で到着できる新宿横浜間ですが、この路線の建設当時は多くの困難が存在していたそうです。特に終点の横浜駅(当時は根岸台停車場)が現在の位置ではなく、南よりにある横浜港が一望できる高台の上に置かれていたため、最後の登りの区間は当時の最新技術であるアプト式、スイッチバックなどを多用していたようです。


東海道線の下をくぐっていた
このあたりはまだ平坦

突然ものすごい登りに
線路跡とは思えない急カーブ

ここはスイッチバック跡に違いない
「外人」で一括りしてるがハリントンさんは外人じゃないのか

起伏に富んだ線路跡が続く
登りのカーブを曲がりきると

 

奇跡の構造物

また、当時としてはたいへん珍しいコンクリート製の高架橋も現存していました!正直、これほど状態よく残っているとは想像していなかったので、見つけたときはにわかに信じ難い光景でした。


コンクリート製の高架橋発見!
その高架橋の上

そしてこれが、現存する旧根岸台駅舎の姿です!


重厚な旧根岸台駅舎

素晴らしい遺構です。よくぞ関東大震災や戦争を乗り越えて現在まで生き残っていたものです。廃止後は閉鎖されているため中に入ることはできませんが、重厚な外観を見上げると東洋の玄関口として期待された当時の光景が蘇ってくるようです。


塔部分の丸窓は動輪のイメージかも
切符を買い求める人でごった返す光景が見える気がする

この駅舎付近にはよく見ないと気づかない遺構が数多く残っていました。誰の記憶にも記録にも残っていない鉄道が、確実に存在していたことを示す数多くの証拠です。


当時使っていたバラストを発見!
草むらの中にひっそり佇む水飲み場

半分埋まっているが、これは機関庫の遺構だ!
当時使用されていた架線柱か!!

後日調査で分かったのは、この路線の衰退理由が駅の立地条件の悪さによる資金難だったということ。確かに当時淀橋は浄水場しかない田舎で、実際新宿方面の乗客は浄水場に向かう人だけだったという噂。また逆方向は、真水の確保が難しかった港町横浜に対し浄水場で造られた水を輸送するという計画があったようですが、この路線が完成する前の1887年に横浜市内に水道設備が完成したため計画は白紙に。当初から歪みの多い計画であったことは否めないようです。

廃止後、ほとんどの線路用地は売り払われ、路線の跡は一部を除いてほとんど原型を留めていないようでした。


駅舎の設計図と
これは貴重、運行当時の駅構内の写真!

結局、いつ開通していつ廃止になったのかも解明できませんでしたが、新宿と横浜にある遺構は確実に路線の存在を証明してくれました。ひょっとすると、全国にはまだまだこういった忘れられた線路跡が眠っているかも知れません。皆さんもぜひお近くで探してみてはいかがでしょうか。

むしろ線路

今にも向こうから列車が来そうな切通し

緩いカーブの道、広くなったり狭くなったりする道、分かれたり合流したりする道、視点を変えればそういう道すべてが昔は線路だったんじゃないかという気がしてきます。
いや、それは単に僕が道路より線路が好きだからかも知れません。

この記事はエイプリルフール企画のために作ったうその記事です

 

 
Ad by DailyPortalZ
 

▲トップに戻る バックナンバーいちらんへ
個人情報保護ポリシー
© DailyPortalZ Inc. All Rights Reserved.