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はっけんの水曜日
 
プラハ、ひかれっぱなしのヨッパライ

(text by 大塚 幸代



あらすじ
東京での日常に、煮詰まっていたライター大塚、不思議なご縁に導かれ、ヨーロッパのど真ん中、チェコへの旅に。同行者はチェコ語ペラペラ梶原嬢(元スマップの森くん似)と、女編集者・ニシ嬢(井川遥似)。ビールがミネラルウォーターより安いこの地で、たんなる長い飲み会と化している旅行レポート、ついに最終回。その1「チェコに、おばけを探しに」その2「ボヘミアの川よ、ヴルタヴァよ♪」その3「ガイコツ教会でメメントモリ!」その4「虹色のお城とビッチな旅人」)

 

朝起きて、虹色のお城のある「世界一美しい街」チェスキー・クルムロフをたつ。
「プラハには、もしかしてもしかすると、再度訪問する機会があるかもしれないけれど、この街に来ることは、たぶんないだろうなあ」
と思いながら、バス乗り場まで歩く。
日本の地方都市にだって、「一度行って二度といかない」場所は、たくさんあるだろう。でも海外旅行だと、余計にそれを感じてしまう。
二度と歩かない石畳、二度と肉眼で見ない風景。
……途中、昨日出くわして、鬼ごっこして遊んだクソガキ達とすれ違った。彼らは私たちを覚えていてくれたらしく、顔を見るなり、「ぶぶっ」と吹き出していた。
吹き出すなよ。
もう一生会わない子供に笑われながら、私たちは街を去る。


朝のチェスキー・クルムロフに、なぜか落ちていた食パン。私は旅行中に、食パンが落ちてるところを見たり、食パンを突然もらったりすることが多いのだが、チェコでも…。なぜだろう。運命か。

行きはプラハから直通のバスに乗ったが、今回はいったんターミナル駅で降りて、鉄道に乗り換えて行くことになった。
この街はブドヴァル(=バドワイザ−)発祥の街だとか。とりあえず、あとで本場バドワイザー飲むぞ、と思いながら歩いていくと、マクドナルド発見。

「はいっときます?」
「いきたーい!!」
……私は海外旅行行くたびに、1度くらいはマックに寄ってみる。そこで、日本にはないメニューなんかもチェックする。コレをやっている方は、多いと思う。「とんでもなく遠い場所なのに、近所の店と同じメニューがあって、別のメニューもある」のって、やっぱりときめく。

なにはなにくとも、チェコマックの基本は、「ビールがあること」であった。



接客は日本ほどじゃないけど、丁寧。チェコのお店屋さんて、釣りを投げてよこすようなのが普通なので。

カリフラワーを揚げたもの、チェコ料理。健康的だか不健康だか分からないメニューだと思う。それにしてもパッケージの人、楽しく踊り過ぎ


マックでもビールを置いてるのは、チェコとドイツくらい、らしい。ポテトは…やっぱヨーロッパといえばイモ食! と思うので味の違いを期待したのですが、日本のとあまり変わらず。

チキンカツレツのサラダ。カツレツも、欧州の料理なので食べてみたんですが、んー。んんー。このパサパサ感、ジャンク感は…。やっぱり日本のマックとあまり変わらない味のような…。


鉄道に乗る前に、ちゃんとビールも飲んだ。

「なんでこれ、バドワイザーなの? アメリカのバドワイザーと関係あるの?」と無邪気に訊ねると、
「んー、裁判でモメたんですよ、そこらへん」と梶原さん。
米国のバドは、もともと、チェコのビール、ブドヴァイス(Budweis)を見本に作られたビールなんだそう。だから後々、商標で問題になり、欧州では米国バドワイザーは「Bud」という名前で売られているんだとか。
でも、他のヨーロッパ国内では知らないけど、チェコでは、外国産ビールなんて、いっこも見かけなかった。そこらじゅう安い自ビールだらけだから、外国の高い瓶ビールなんぞ、飲む気はしないんだろう。
じゃあ、チェコにはあのピチピチのバドガールは、いないんだな〜、と、酔った頭で思った。


鉄道で、窓から顔を出して、音声を撮ってみました。風で音つぶれてますが…なんか雰囲気、分かりますでしょうか。

プラハ最後の夜も、やっぱりビールを飲みに行った。今度はガイドブックで「いちばん庶民的で、地元民がよく来る店」と書いてあるところに行ってみた。
「この、ガイドに載ってる、ナイフ刺さった、豪快そうな料理食べましょうよ。これってナイフ刺さったのが有名なの?」
「いや、知らないです」と梶原さん。

有名じゃないかも…しれない料理。来た時、ナイフは添えてあったけど、刺さってはいなかった。「ガイドブックと違う! やらせでも刺しちゃえ!」と思って、刺して撮った写真がコレ。ちなみに味は、沖縄の豚料理、ラフテーにそっくり。


それにしても、本当に周囲には、ジモティーらしき人ばかりだった。若い人もいるが、圧倒的に多いのが、推定30〜40歳以上の、「ガタイがよく、デブではないんだけどビール腹、そして髪はスキンヘッド、服はポロシャツなど超ラフ」な男性たち。
うひゃひゃひゃひゃ、と、大声で盛り上がっている。明るくて、若くて可愛い働き者の女店員に「ハイハイ、あんたたち、また飲み過ぎないでよね!」的な扱いを受けていたので、常連さんたちなんだろう。
いっしゅん、彼らが私たちを見た。
「******ー!」
「******ー!」
何かを叫んでいる。
「たぶん、シモネタを言ってますねー」と梶原さんが解説してくれた。
「…バイアグラー!」
これだけ聴き取れた。「聴き取れちゃったんだけど」という顔をしたら、彼らも嬉しそうだった。ヨッパライって、世界共通で……アホだ。

「チェコ、どうでした?」と、梶原さんが最終日のまとめに入る。
少し考えて、私はこたえた。
「自由だった」
「そう、私も自由だと思った」と、ニシさん。
「だよねえ、自由だよねえ。ビールが文化にしみ込んでることもあるんだろうけど(笑)、街や人の様子が、日本よりずっと自由。
犬も猫ものびのびしてた。猫も触らせてくれるコばかりだったし、犬はカフェやレストランで、子供の10倍はきっちり、静かに座ってるし。動物って自由にしてやると、逆にちゃんとするなあ、と思った。文化財に書いてある落書きも、いいことじゃないけど、あのほっとかれぶりはスゴイと思ったし。
古い街の重厚さと、歴史に翻弄されたせいなのか何なのか、人々の『なるようにしか、ならないのさ』的な気質が、奇妙なバランスというか、それが不思議で。
ウィットたっぷり、ちょっぴりブラック、ビール大好きで自由、って感じかなあ」
「まあ一週間かそこら滞在したくらいじゃ、何にも分かんないけどさ」
「うん、何にも分かんないけどね」

食事を終えて、店前の駅で、トラムを待っていると、先ほどの居酒屋の「バイアグラー!」な兄さんたちも、店をハケるところだった。閉店時間だったようだ。
スキンヘッドのせいか、シルエットがそっくりな彼らが1ダースぐらい、まけ出てフラフラしている。「もう1軒行こー!」みたいなノリであった。
……その瞬間、「ドンッ」と音がした。
車道にはみ出してたヨッパライのひとりが、軽く車にひかれたのだ。
「え、ええー!?」
引いた側が、とりあえず降りてかけよる。
ふらふらしながらも、「平気、平気」と、手をふるヨッパライ。介抱するヨッパライ。行ってしまう車。
「……いまの車、『DRINK SOS』って書いてあってよね」
「運転代行業かな」
「運転代行業者にひかれてどうするんだ」
「でもこれ、ほんとにほっといていいのかな? 死なないかな? 日本だったら普通、救急車呼ばない?」
「あ、いま『大丈夫!』って感じで立ち上がって、友だちっぽい人が付き添って、タクシーに乗っていったよ」
「自由だなー」
「自由っていうか、何ていうか、テキトーだな」
「翌朝、『アレ、ちょっと右半身痛いな…』って思ってるか、冷たくなってるか、どっちかだよ」
「だよねえ」
私たちは、あまりのことに吹き出し、笑いが止まらなくなった。
本当に彼が、今も元気で、今日も酔っぱらっているといいのだけれど。

翌朝。
ホテルから空港へ、タクシーに乗る。
初日のフーリガン若者、マルティンとは違って、今度はロマンスグレーの、素敵なおじさまがドライバーだった。

チェコ、変わったところだったな。
またいつか来ることあるのかな。
ぼんやり考えながら、車窓から町並みを見る。

頭が整理出来ないでいた。

梶原さんは、タクシードライバーとチェコ語で話をしていた。
何話してるのかな、と思いながら、ひとつも分からない、チェコ語会話を聴いていた。

(以下、彼女が帰国後に書いた、日記から転載)
---
プラハで空港までの帰りのタクシーは、運転手さんがとても穏やかな顔をしていた。
助手席に座ると、ドアのポケットにヒトラーのなんとかというタイトルの本が入っていて、思わず手に取る。
「読んでいいですか」「どうぞ」
もちろん、全部は読めない。
「ききたいことがある。道が渋滞しているからいちばん近い道を通って空港に向かうと時間がかかる。渋滞した道を通るか、あるいは遠回りになるけど、川沿いから城の近くを通って行くか、どちらがいい?」
「どちらでも。時間はたっぷりあるので、あとお金も安い方がいいとかこだわりはもっていないので」
「いや、お金は重要だよ」
「あ、そうですね。道は川沿いのほうで」
「了解。あなたはチェコ語を上手に話すね」
「ありがとうございます。勉強していたので。でもまだまだです」
「いや、完璧に話している。働いているの? どこで勉強したの?」
「そうですか? 勉強していました。プラハとポジェブラディとオロモウツで、1ヵ月、1ヵ月、1ヵ月と」
「1ヵ月を3回だね。ふむ。どこから来たの」
「日本です。チェコ語は東京で勉強していました」
「日本か。アジアはいろいろ行ったことがあるけど、日本はないんだよ。タイ、インドネシア、マレーシア、カンボジア、フィリピン……」
「カンボジアも? カンボジアはどんな国でした?」
「貧しい」
「貧しい?」
「貧しいけれど、貧しい国というのは豊かな国よりも自由だ。私はアメリカにも行ったことがある。アメリカは自由の国だときいていたが、まったく自由ではなかった。制限や禁止事項がたくさんあった。持ち物も、行動も」
「日本もたくさん制限されたり、してはいけないことがありますよ。チェコは日本より自由だねと友達と昨日話したばかりです」
「チェコも禁止が多くなった。バス停ではタバコを吸ってはいけないことになった」
「プラハだけ?」
「いや、チェコ全部そうだろう。貧しい国では、なんでもできる。いつでもどこでもたばこが吸える。食べ物も着るものも自由だ。どこに行ってもいい。豊かな国になるほど、社会のマナーや制限が増える」
「そうですね。日本もたくさんしてはいけないことがあります。法律になっていなくてもしてはいけないことがあります」
「フィリピンに行ったときのことだ。あの国も貧しく、車がアメリカや日本の中古車だった。マニラならまだいいけれど、田舎に行くとジープがたくさんあって、アメリカの置きみやげばかりだ」
「ジープですか。フィリピンというと敬虔なカトリックの国ですよね」
「そうだけれど、なんというか、コミカルだった」
「コミカル?」
「カトリックの教会のミサに行った。教会に十字架があって、聖壇があって、そこは同じだ。だけど、教会で歌う歌がエレキギターにバンド形式で演奏されていた。それが聖歌なんだよ。聖歌がロックンロールなんだ」
「え、現代的ですね」
「おかしいだろう。コミカルだった。それにタクシーに乗ったら、マリアとかイエス・キリストのシールが窓一面に貼ってあった。敬虔なカトリックだけれど、車を運転する仕事なのに何を見てるんだ? って思った。こんな細い隙間くらいしか前が見えないんだ」
「あぶないですね」
「あの国はスペインのあとアメリカに支配を受けた。だから特別な社会なんだと思った。あなたはヨーロッパの歴史を知っている?」
「少しなら」
「三十年戦争っていうのがあって」
「はい、わかります」
「左手に見えるのが、戦いがあったビーラー・ホラ」
「はい」
「同じ方角にオボラ・フビェズダ」
「はい、犬がたくさんいますよね」
「よく知ってるね」
「カレル大学の寮にいました。ここから、どっちの方向だろう、近いと思うんですけど。カイェターンカ」
「カイェターンカ。わかる」
「右はジボカー・シャールカ」
「そうそう、よく知ってるね」
「カイェターンカから散歩に来ました。とても広くて感じがよかったです」
帰りのタクシーで、初めてプラハでチェコ語をほめられたと思った。
---


こんな素敵な会話の最中、私が車中から激写していたのは、「カラフルな作業着の人たち」。チェコの働く人の多くは、このスタイルらしい。日本人の目から見るとキュート。逆に考えると、日本の作業着の兄さん達の小粋さも、外国人にはグッとくるに違いない。

このあと、梶原さんは、トランジットのヒースロー空港で、デジカメをなくした。
実は、このチェコ紀行で、写真があんまりちゃんとしてないのは、その紛失と、私のデジカメの半故障のせいが大きい。
「……いい旅行だったからなくしちゃったんだと思います、きっと」と、落ち込んだ彼女は言った。
「そ、そうだね……」と私。
プラハからロンドンの間で失われたデータは、今頃、どこでどうしているんだろ。
私の寝顔とか、激写されてたんだけど。

帰りの飛行機の中で、やっぱり眠れない私は、日本語字幕の付いてた映画『ハッピー・フィート』を何度も見てしまった。納得いかない結末の映画だった。

チェコ、いったい何だったんだろ、という考えがまとまらない。
ただ、
「外国って、『超・人んち』に行くってことだから、やっぱり自分と比べてしまうので、自分のことを考えちゃうんだよなあ」
と、わりと当たり前のことを考え続けている。

チェコに自由を感じたということは、
少なくとも、チェコより私は、「不自由」だったんだ。

次回は、載せられなかったチェココネタを紹介します(しつこくやるぜ)! おたのしみに!

取材協力:チェコ総合情報誌「CUKR[ツックル]」

完売してしまった1&2号を再構成、加筆した『別冊CUKR[ツックル]チェコってやっぱりアニメーション?』が発売中です。大塚も寄稿してます、宜しく


 
 
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