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ロマンの木曜日
 
 富士山を鉄道で一周する

芭蕉ゆかりの地を訪ねて

芭蕉がそれまでの宗匠生活を捨てて、江戸日本橋から深川の草庵に移り住んだのは、延宝8年(1680年)の事であります。それ以降、芭蕉は草庵を拠点として新しい俳諧活動を展開し、多くの名句や「おくの細道」などの紀行文を残しました。

その「おくの細道」は、元禄2年(1689年)、深川の地を出発して東北・北陸を巡って江戸に戻るまで、その様子を綴っています。



深川の江東区芭蕉記念館入り口にて

掃除のおばちゃんとの出会い

芭蕉の足跡を背に

当時の深川地区の地図を芭蕉ファンの男性と見つめて

芭蕉の旅姿を背に

芭蕉の句に詠まれた草木を植えた記念館の庭園にて

記念館の分館には芭蕉翁像が配されている。毎日17時になると像は回転して隅田川方面を向く。しかし、16時半で分館は閉まってしまうので、回転する様子を近くで見る事は出来ないのです

海辺橋南詰にある「採茶庵跡」にて。芭蕉の門人杉山杉風の別荘跡地である。芭蕉はここから「おくの細道」の旅に出発しました

芭蕉像が作られたのは1991年

以来、地元のシンボルとして、また観光スポットとして

愛されています

記念館入口の句碑の前で

草の戸も住替る代ぞひなの家

旅立ちに際し、草庵を人に譲った時の気持ちを詠んだ句です。芭蕉の後に草庵に移り住んだ家族には女の子がいたようです。その子の為に草庵にも雛人形が飾られるのだろう、今までにはなかった光景だなあ、そんな事を思いながら、芭蕉は「奥の細道」の旅に出発したのでしょう。



送信

携帯メールを速く打つ練習、のつもりが後半すっかり「芭蕉を巡る旅」のようになってしまった。ゆかりの地を巡りながらメールを打っていたので、全部打つのに2時間近くかかっている。遅過ぎである。


 
 
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