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ちしきの金曜日
 
熊本で美少年を探す

原点に戻って探索

翌日は植木町にやって来た。
植木は熊本市内から北へ13kmほど行ったところ。
ここは今回の疑問のきっかけを生んだ原点でもある。

車を停め、しばし辺りを散策した。
1ページ目の写真もこの日に撮った。(美少年剣道は健在だった。)

 
植木町で見かけた気になるものたち
躍動感があるんだかないんだか。
いろいろ気になる
スイカの産地として有名らしい

がしかし。
ここでもやはり美少年と名の付くものは見つけられなかった。

時間の都合上、あまり時間をかけて探す余裕もなかったので、そこでこの手のものは地元の人に聞くのが一番と、植木町役場を訪れストレートに聞いてみた。
「美少年知りませんか?」
と。


植木町役場

役場のかた曰く、

  • お酒の美少年と、「美少年像」というのがありますが、それ以外には…
  • あ、野球チームで美少年なんとかがありますね。
  • チーム名に美少年とつけるのはわりとよくあることなんですが、看板とか写真に撮れそうなものは無いかもしれないですねぇ。
  • 「ウエッキー」というのはここだけ、一店舗だけです。(地図を見ながら)これですか?これは「ロッキー」です。

と、まぁこんな感じだった。

田原坂の美少年像

ということで、最後に役場の人も言っていた
植木町にある「美少年像」を拝んで締めくくりたい。

歴史好きの人なら既にピンと来てたかもしれないが、植木は西南戦争最大の激戦地、田原坂(たばるざか)があるところなのだ。


田原坂公園

田原坂 (三の坂あたりを望む) 

明治10年、薩摩軍が熊本城を包囲すると、政府軍が熊本鎮台の救援に博多方面から駆けつけ、そしてここで薩摩軍と激突。

田原坂が、熊本城へと通じる道で砲隊が通れる幅のある唯一の道だったことから、この地の主導権を巡って激戦が繰り広げられた。


一の坂、二の坂、三の坂と呼ばれるあたり
話に伝わるとおりの、守備側に有利な道

辺りはまったくもって何もない。が、これは裏を返せば
「明治時代からほとんど変わってないのでは?」
と思うくらい手付かずの状態で残っているということで、当時を彷彿させる風景がなんだかすごい。
(公園部分はちゃんと整備されている)


西南戦争戦没者慰霊の碑

西南戦争は日本最大にして最後の内乱。
官軍薩軍それぞれ約7千人、計約1万4千人もの人々が戦死したという。その多くは、ここ田原坂の戦いで亡くなった。


戦没者の名前がびっしりと記されていた。

ここに、美少年像なるものがある。


美少年像

像の下には、ひとつの詩が書かれていた。



雨は降る降る 人馬は濡れる
越すに越されぬ 田原坂
右手に血刀 左手に手綱
馬上ゆたかな 美少年

西南戦争には、少年兵も数多く参加していた。
その少年兵が田原坂で戦う様子を歌ったもので、ここに「美少年」というフレーズが登場する。

馬上ゆたかな美少年

つまり、どうもここから熊本(特に植木界隈)では「美少年」という言い回しがよく使われるようになったようだ。(おそらく)


たしかに美少年。

まとめ

  • 美少年と名の付くのでみつかったのは剣道、野球、像、お酒。意外と少ない。
  • でもたしかに役場の人も「よくチーム名とかにつける」と言っていた。
  • 田原坂には感銘を受けた。もっと時間がある時に訪れて、半日くらいかけてゆっくり散策したいと思った。
  • 些細な疑問から探求していくうちに、最後は歴史ある場所に辿り着いて、なんだかけっこういい旅だったような気がした。
ウエッキーにて購入
  • 「斉藤流」という焼酎をみつけたのでこれもついでに買ってみた。

 
 
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