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ひらめきの月曜日
 
ダムに沈む町の今


夕張川にかかる橋にも、時代を感じる。

■大夕張へ

さらに北上して、鹿島地区、通称「大夕張」へ。
このあたりは、夕張の炭鉱が賑わっていた頃は2万人もの住人が住んでいたという。

友人が来た時はかろうじて建物の跡が残っていたそうだが、現在ではすっかり木や草に埋もれてしまい、建物もなく、ただの山のようになってしまっていた。

草が生い茂っていてひと気がないが、道路はきちんと舗装されているところに、昔の名残を感じた。

あたりは森や草原ばかりだが、ぽつりぽつりと空き地が見える。おそらく家があった跡ではないだろうか。


草が道路にはみ出して伸びている。
昔の名残がないか探してみる。

砕けた石をよく見ると、巻貝のような跡があった。
夕張は化石が出る町なので、化石だったのかもしれない。

木の電信柱ばかりだったのが印象的だった。

 

舗装された道路だが、今では草に覆われている。

■カーナビにしたがって…

友人のカーナビには、昔の町の区画が表示されていたので、それにしたがって進んでみた。

両脇の木が生い茂って、車1台が通るのがせいいっぱいの道を通って進むと、広い場所に出た。

友人のカーナビによると、この一帯は千年町という場所らしい。
事前に、昔の大夕張の地図を見てきていたので、千年町という地名には覚えがあった。
山道かと思って通って来た道を見ると、きちんと舗装されていた。ここは以前、町だった場所だったようだ。

以前は民家が並ぶ町並みがあり、今では一面の草原があり、そして数年後には湖の底に沈む風景があった。


昔はこのあたりに家があったのだろうが、今は…。
人の身長くらい深い草に覆われていた。

 

何か残ってないかな…。

■現在の住人?

元来た道を戻り、国道近くの空き地がある区画を歩いていると、何かを踏んで、「パキッ」と軽く折れる音が聞こえた。

足元を見ると……白骨!?

一瞬慌てたが、よく見ると犬くらいの大きさの骨だった。
今回、夕張近辺で3回もキタキツネを見かけたので、キタキツネの骨かもしれない。

人は住まなくなったが、今でもキタキツネは住んでいる。
ここがダム湖に沈んだら、キツネたちはどこか行くところがあるのだろうか、なんて考えてしまった。


骨が周囲にちらばっていた。踏んじゃったよー。
国道沿いでも、キタキツネを見かけた。

 

小学校が残っているのか?と思い、行ってみたが。

■町の思い出に出会う

国道を走っていると、「旧鹿島小学校」という看板を見かけた。
もしかしたら、小学校跡だろうか。

入ってみると、広い敷地には何もなく、どうやら小学校があったがすでに建物は取り壊され、整地済みのようだ。
近郊の人なのか、犬の散歩をさせている人がいた。

敷地の隅に、記念碑や銅像を見つけた。
何もない広い土地で、この一角だけが小学校らしさを留めていた。
石碑の隣に、おそらく小学校の門だったのであろう壁が置いてあったのが寂しげだった。


ガラーン。きれいに何もなかった…。
ふるさと大夕張の碑。

左が鹿島小学校、右が鹿島中学校の碑。
表札部分はないが、正門の壁だったのだろうか。

 

■最後に見つけたもの

鹿島小学校跡地で記念碑を見ていたら、友人の一人が記念碑の裏にクーラーボックスを見つけた。

一見何かわからなかったので、開けようとするのを「やめなよー」なんて言っていたのだが…。


各自、てんでに見て回っていたら…。

一人が記念碑の裏で、箱を発見。こわごわ、開けてみる。

箱の中には、真新しいノートとペンがあった。

「平成19年6月17日」と、日付も新しい。
思い出ノートだった。

ノートには、道外から来た人も含め、大夕張をしのぶ文章が書かれていた。



■消える町の鮮烈な思い出

すでに9年前に立ち退きが済んでいることもあって、場所によっては建物もなく、かろうじて建物があったであろう痕跡が残るばかりでした。
「消えゆく町」は、すでに半分消えているような印象でした。

しかし、かつて住んでいた人にとっては大切な町には変わりないのだなぁと、町の跡地を見て、大夕張ダムを見て、最後に偶然、皆さんの思い出ノートを見て思ったのでした。

町は消えるかもしれないけれど、皆さんの記憶に残るよう祈りつつ。


暑い夏の日でした。


 
 
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