「まあ、そのへんはゆっくり話すから。……飲んで(笑)。」
ごくり。
すすめられるままに、ビールを飲むしかなかった。
「その発明した大叔父さん…オナガシュウフクさんという人だったんだけどね、もし生きてたら121歳くらいかな? もちろん、今は亡くなってるけどね。
その人が、変わった人でね。
例えば、沖縄では豚をよく食べるんだけれど、その豚を加工するためのバーナーを発案したのがオナガさん。『オナガバーナー』っていえば、沖縄で有名なんだよ。
あと、コンクリート用のセメントの原石を、粉砕して売りはじめたのもオナガさん。」
「活動的な…アイデアマンだったんですね」
「そう、大正時代に、本州に行っちゃったりしてるしね」
「え、池間からですか?」
「そう」
「当時のことだから、移動するの、ものすごく大変だったでしょうね。それは、船で…!?」
「それが良く分からないんだけど(笑)、なんとかしてたどりついたらしいんだよ」
…時間があったら、グーグルマップなどで地図を見て欲しい。ジャンボジェットもない時代、どんだけ移動してるんだ、という距離である。
「50歳くらいで島に戻ってきた後、池間島出身の、初代海上保安庁もやってたんだよ」
「すごいですね!」
「それでね。池間はね、かつて『ビールで足を洗った』ってくらい、景気の良かった時期があるんだよ。
いちばん、カツオ漁が栄んだった頃だね」
「池間のカツオ」というのはブランド的な扱いがされていて、「池間産のカツオを使ってます!」というのがウリな料理等があるのは知っていたが……『ビールで足を洗う』ほど、儲かってた時代があったことは、知らなかった。
排他的経済水域(国が決めた水産&鉱物資源に関する地域)が制定される以前は、船でずんずんずんずん、南のほうまですすんで、遠洋漁業をしていたらしい。
尖閣諸島にカツオ工場を作ったり、木材を運んできたり、フィリピンあたりに子孫を残しちゃったり。海人、黒潮の民、おそるべき行動力。
この飛び抜けたバイタリティが『誇り高き池間民族』というフレーズを生んだのかもしれない。
「そ、それで…?」
「…まあ、飲んで、飲んで(笑)」
タダ酒を、どんどんすすめられてしまう私達。ぐびぐび。
「そうだ、泡盛飲む? 氷はあっちだから、冷蔵庫から、取って来て(笑)。……ミネラルウォーターは? 買ってきてないの? しょうがないなあ、それも取って来て(笑)」
「は、はーい!!!!」 |