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ロマンの木曜日
 
伝説のお弁当屋さん

インタビュー初挑戦

いつものようにお弁当を完売させ、閉店作業を終えて一段落したところでお話を伺えることになった。

「キッチンクラナハ」の店主は田沼さんという落ち着いた感じの女性。お店の雰囲気と一緒だが、この人が一人であの行列を作り出していると思うとすごい。

訊きたいことはたくさんあるのだが、まずは自己紹介のあと、あのお店を始めようと思ったきっかけを教えてもらった。

「ガールズバンドをやったり古本屋でアルバイトをしたりしていたんですが、自分でなにか新しいことを始めたいと思って、もともと知り合いが似たような店をしていたのでアドバイスしてもらって、車はかき氷屋さんだったものをヤフオクで手に入れて、勢いで始めてしまいました」

最初から衝撃的な発言だった。別に本格的に料理の勉強をしていたり、どこかの店で修行した経験はないという。あの車もヤフオク経由だったとは。え、じゃああのドライカレーはどうやって?

「ドライカレーは彼が作ってくれたのがおいしくて、レシピも簡単だったので私も友達に作ってあげたらすごく喜ばれて。これは売れるかもしれないと思って、最初はドライカレー屋として始めたんですよ」

「場所も初台じゃなくて、新宿の高層ビル街まで売りに行ってたんですが、初日は1個しか売れなくて泣きそうになりました。しかも車道で売ってたら通報されて、『もう一度通報が来たら逮捕します』とお巡りさんに言われて、いきなりめげました」

田沼さんは笑って話すが、過酷すぎる昔話。自慢のドライカレーも味だけで売れるほど、新宿という場所は甘くないようだ。その後も場所を少しずつ変えたりして毎日ドライカレーを販売。徐々に人気も出てきたが、やはりいつ通報されるかという心配と、少しでも時間や場所を外すとまったく売れないというアウェーの洗礼もあって、始めたばかりの店を畳むことを本気で考えたという。

では、なぜ初台のこの場所で売れることになったのだろうか。

「実は店の奥のビルに住んでるんですが、ある日、隣の薬屋さんが『ここで売っていいか大家さんに訊いてみなさい』と言ってくれて、ダメ元で頼んだらOKがもらえました。頑固な大家さんだと思ってたんですけどね」

これも意外だった。どこかそう遠くない場所から車で売りにきているのかと思っていたら、目の前のビルの上階にお住まいだったのだ。それから、「ここで売ることができなくなった」理由が、列が伸び過ぎて実は隣の薬屋さんとかから営業妨害のクレームでもきたからじゃないか、などと勘ぐっていたのだが、薬屋さんは田沼さんを応援していたのだった。単純に今住んでいるビルと、店を出している駐車場を壊して新しいビルが建つことになったから、とのことだった。


店は自宅の前だった 恩人の薬屋さんを覆い隠すように並ぶ列

でもせっかくお店が軌道に乗ったのに、ビルの建て替えで廃業してしまうとはもったいない。お昼の選択肢の重要なひとつが消えてしまうのは僕たちにとっても辛い。何とか近くで続けることはできなかったのだろうか。道路の向かい側にある劇場とか、すごく広い土地持ってるんだから少しぐらい提供してもいいのに。

「この近くで探したんですが、なかなかいい場所がなくて。もともと5年経ったら一度考え直そうと思っていたし、意外と重労働で身体にもキツかったのでちょうどいい機会かな、と思って辞めることにしました。いろいろやりたい趣味もあったので」


広い敷地持ってる劇場の一角でも貸してあげればいいのに 盛りつけ中の田沼さん、確かに腰に来そうな仕事場だ

自分の中で勝手に「料理人→独立→順調→立ち退き→泣く泣く廃業」みたいなストーリーを思い浮かべていたので、田沼さんのある意味ドライな決断に少し驚いた。次の仕事は決まっているというので、てっきりどこかのレストランで働くのかと思ったら、まったく料理と関係ない会社で事務職に就くという。あれほど豊富でおいしいメニューを作り出した人があっさり違う仕事に行ってしまうとは、もったいないというか残念というか、ただ驚くばかりだ。

「初めはドライカレーだけだったんですが、やっぱり毎日だと作る方も飽きてきて(笑)。たまには違うものを作ろうと思ったんですが、私もよく分からないので、料理本を見たりネットで『豚肉+レシピ』とかで検索して調べたものばかりなんですよ。多少、アレンジはしますけど」

それって僕の料理の作り方と一緒ですよ!でもそんな、本来「料理の素人」だった田沼さんの店があれほど繁盛したのは、メニューからお店の装飾から、すべてが完成度高くデザインされていることも大きいと思う。僕が初めにチェーン店かと思ったのもそのためだ。


カウンターになぜか巣箱が設置されると開店の合図 手作りの献立表。「〜ごはん」という表現がうまそうだ

「もともと工作とか裁縫も好きだったので、お店まわりの小物で自分の好きな世界を作っていくのが楽しかった。まず看板を造ろうと思い立ったのですが、気がついたらなぜか「巣箱キット」を購入し水色に塗っていたので「看板が巣箱でもいいじゃないか」と思い、お店のマスコットになりました。ある日何気なく中を覗いたら『いつもおいしいお弁当をありがとう』と書かれた手紙が入っていて、あれは嬉しかった」

というように、お店を通していろいろな人との出会いがあったのも楽しかった、と語る田沼さん。一番の思い出は?と訊くと。

「重い病気の治療をされている男性がよくいらしてくれたんです。その方は薬の影響で味覚が麻痺しているらしく、何を食べても味を感じないらしいんですが、ある日『ここのだけは味がする』と言ってくださったんです。その瞬間、私はこれを続けなければならない、と思いました」

く〜っ、あまりにいい話で聞いてるこっちが感動してしまった。いつも通っていたお弁当屋さんにそんなドラマチックな出来事があったなんて、インタビューは面白いなあ。

最後に、大まかな1日の流れと気をつけていることなどを教えてもらった。

「毎日6時に起きて、その日の調理。だいたい60食から80食分作ります。10時頃に仕度ができて、11時くらいに車を準備して、11時半に開店。だいたい13時すぎに閉店して、そのあとは仕入れ。でも市場ではなくて、この初台商店街の八百屋さんとかお肉屋さんで買ってきます。夕方になったら今日の分の後かたづけと翌日の準備。だいたい自由になるのは夜9時頃かな」

「やっぱり衛生面は何かあったら大変ですから、気を使います。夏はよく火の通ったメニューしか出さないようにしていました。あと、盛りつけとお金のやりとりを一人でやるので、お金を触ったらかならずウエットティッシュで手を拭きます。そのため、お釣りが面倒臭くないように500円という価格設定なんです」

やはり想像していたより大変そうだ。毎日毎日が時間に追われているし、いろいろ気を使わなければならないことも多いだろう。ただ、食材を地元の商店街で買っていたのは意外だった。地産地消ではないけど、このお店に限れば食材とお金は初台の町を廻っていたのだ。そのせいかどうかは分からないが、お客さんの中には初台に職場がある人だけでなく、地元のおじさんおばさんも混じるそうで「地元の人に認められた感じ」と話していた。

残すはあと1日。体力的にもハードだったが、ここまで続けられたのは「とにかく多くの人に支えられたおかげ」と繰り返す。しかし長い行列ができるのはプレッシャーでもあるようで、特に一番人気メニューのドライカレーとあって争奪戦は必至。せっかく並んでくれた人に売り切れ告知をしなければならない可能性も高く「明日が憂鬱なんです」と頭を抱えていた。


最終日は原点のドライカレー

 

話は意外な展開へ

初めは「30分くらい」と伝えていたインタビュー時間だが、予想外に盛り上がり、既に1時間を越えていた。お店の話が一段落したところで、趣味の話になったのだが、僕は自分の趣味を伝えるのを一瞬躊躇した。

お店の写真を見てもらえば分かると思うが、田沼さんは非常にナチュラルテイストな雰囲気の方なので、僕みたいなインダストリアル趣味は到底理解してもらえないだろうと思ったのだ。「ダムが好きで」なんて言って眉をひそめられたらどうしよう、今までのインタビューが全て取り消しになるかも知れない、と思いつつ恐る恐る伝えてみると、

「ダム!ダムもいいですけど、私、工場とか貨物列車が大好きなんです!」

座っていた椅子から転げ落ちるかと思った。同じサイドの方だったんですか!

そこで、僕の家の前を武蔵野線が通っていて貨物列車は毎日見ている、と話すと、「武蔵野線、いいですよねー。私もよく撮影に行きますよ」とか「特に電気機関車が好きで、いちばんのお気に入りはED75」というところまで教えてくれた。ウチの前は走らないけど、確かにED75はいい。

予想もしなかった展開に、僕の初めてのインタビューは盛り上がり、予定を大幅に越えて1時間半後、お礼を言って別れた。


翌日、初台で一世を風靡した「キッチンクラナハ」は営業最終日を迎えた。


 

 
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