サックスとわたし
大学のころ、僕はジャズ研に入っていた。「ジャズ研に入っていた」というとジャズマンだったみたいでかっこいいが、実際に入っていたのは2ヶ月だけで、練習が面倒になってすぐにやめてしまった。「練習がつらくて」ではなく「練習が面倒になって」であるあたり、自分の根気のなさがよく表れたエピソードだ。
そんなジャズ研に入部するときの話だ。入部の書類を書きながら、出会ったばかりの先輩と話をしていた。先輩に、好きなジャズマンは?と聞かれ、僕はアメリカのテナーサックス奏者の名前を答えた。そのときの先輩の反応は覚えていないけれども、とにかくそういった会話を入り口にして僕はジャズ研に入った。そして、これは後からわかったことだが、その先輩もテナーサックス奏者だったのだ。
そんなちょっとした偶然があって、僕はジャズ研でテナーサックスを吹くことになった。というわけではなかった。僕が持った楽器はトロンボーンで、なぜかというと高校の吹奏楽部でやっていたホルンからの移行が楽そうだったからだ。そもそも高校でホルンを選んだ理由も、楽器を買わなくても借りられるから、という無気力なものだった。そうやって体温の低いなりゆきに流された結果、僕はサックスには1度も触れることなく、2ヶ月後にはジャズ研をやめたのだった。
僕はあの日、入部のときに自分の楽器としてサックスを選んでいればよかっただろうか。そうしたら練習に飽きることもなく、ジャズマンとしてメキメキ腕をあげていただろうか。そんなことを考えてみるのだけれども、絶対にそうはいかないのはわかりきっている。
サックスのほうが指使いが難しいから。余計にすぐやめていただけだろう。 |