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ちしきの金曜日
 
いつのまにか川探し

■ジャンキーたちの繰り出すコラボレーション


Yさんが用意した古地図一式。マメだ

 ほんもののジャンキーをメンバーに擁して大船にどんぶらこと乗った一同だが、ゆか いなメンバーは彼だけではなかった。どいつもこいつも紳士・淑女づらしながらかなりの個性派揃いだったのだ。まあ、冬のさなかにジャンクション見に行こ うって人つかまえて「個性派」よばわりもなにもないもんだが。というか、おまえがいうな、って話ですが。すまん。

  まずは頼まれてもいないのに参加者人数分の各時代別古地図資料を用意してきたYさん。ちゃんと両国ジャンクションから江戸橋ジャンクションまでのルートに そった、江戸・明治・昭和初期の地図を冊子にしてくれていたのだ。すばらしい。

箱崎ジャンクションそば。交差点付近の地面が盛り上がっている。そしてぼくらも盛り上がっている。

  ジャンクションと古地図。一見関係なさそうなこの両者の出会いはもう一人の参加者との邂逅で花開くのである。

  それは「スリバチ学会」という会を主催する、会長の皆川さんだ。この方もぼくは初対 面。

「スリバチ」とは「台地に低地が谷状に切れ込み、3方向が斜面に囲まれたような形状の地形になっている場所 のこと」。そして「スリバチ学会」は参加者を募りその「スリバチ」を見に行くフィールドワークを定期的に行っている。そうすることで思いもよらない東京の 姿を発見しちゃったりするのだ。要するに地形マニアってところか。

  古地図に加えて皆川さんの「地形読み取り能 力」を得た我々一同は、ジャンクションと地形の意外な関係を発見する旅へと脱線することになる。ジャンクションはどうした。

 

■どっこいやっぱり水の上だった


箱崎ジャンクションの前後だけ水路の上じゃない

 首都高が主に河川の上を走っていることは有名だ。急ピッチで建設された東京オリンピック前夜。ほかに土地を確保することができなかったからだ。一方、今回のコースをあらためて見てみると、箱崎ジャンクションの前後だけ川の上ではないことに気がつく。両国ジャンクションも江戸橋ジャンクションも河川の上だが、この部分だけまるで「ちょうど土地あったんでショートカットしてみました」という感じで陸の上を走っている。

  ところが、この箱崎ジャンクション周辺にさしかかったとき、「スリバチ学会」会長が気がついた。「交差点の地面が盛り上がっている」。


醤油メーカーが立地するということは…

つまり、ここはかつての橋の跡ではないか。

やはり水路だった可能性があるというのだ。箱崎ジャンクションも河川だった場所の上にあるということか。

皆川さんがさらに見つけた有力な状況証拠が左の写真。箱崎ジャンクションからすぐの首都高脇に醤油会社がいくつかある。醤油づくりはかならず運河沿いで行われた。 なぜならその重い製品の物流は船によって行われたからだ。醤油会社あるところにかつての水路あり、ということだ。なるほどー。


古地図と航空写真
確かにそこは水路だった!(マウスオーバーで同じ場所の、現在の航空写真が表示されます)<

 そこでYさんの古地図の登場だ。かつてのここらへんの水路はどのようであったのか?はたして、見てみればやはりそこはかつて水路だったところだ。左はYさんが持ってきてくださった明治の地図。いまの航空写真と重ねてみれば「ショートカットした」ような箱崎ジャンクション前後の首都高路線部分もみごとにかつての水の上を走っている。


現在も地形にうっすらと跡が残る(マウスオーバーで現在は高速道路路線の部分が表示されます)

 もちろん、首都高が通されるよりもまえにここは埋め立てられて水路ではなくなっていたはずなので「水の上だから土地があった」わけではない。それでもYさんの他の地図によれば昭和31年の時点でもまだ水路があったようなので、最近まで建築物が建てられていなかったことから用地取得が比較的容易だったことが想像される。

  というか、なんだこのあらかじめ予定していたかのようなコラボレーションは。君たちはいったい何者なんだ。ぼくの知らないところで示し合わせてた?

  「交差点の地面が盛り上がっている」という感覚は地形データからも読み取れる。左は上の地図に示された場所の地形データ。水路の跡がうっすらと残っているのがよく分かる。(マウスオーバーで表示されます)

 

そしてちゃんといまも「中州」の地名が残っている

 

 
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