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はっけんの水曜日
 
○年ぶり○回目


「○年ぶり○回目」という表現が気になっている。
甲子園や駅伝で「4年ぶり3回目の優勝」と聞くとなにかドラマが感じられる。ここまで来るのにいろいろあったんだな、と思う。

改めて考えると、普段の生活の中で「数年ぶりだ」ということはけっこうある。しかもそれが何回目か覚えている、ということもある。
そんなときにも「○年ぶり○回目」という表現はあてはまるのではないか。ちょっと注目してみよう。

(text by 藤原 浩一

どうしてこんなところにいるのだろうか
どうしてお願いされているのだろうか

「○年ぶり○回目」という喜び

先日飲み会で生カキが出てきたときに、「カキは10年前に1回食べたきりだ」という方がいた。

我々はまさに「10年ぶり2回目」のシーンに遭遇してしまったのである。特に嫌いということでもなく、食べなかったのはたまたまそうだっただけらしいが、ともかく、目の前にあるのは「10年ぶり2回目」のカキ。凄い試合だ。

こういうことは探せばもっとありそうだ。じっくり記憶と照らし合わせていけば、「○年ぶり○回目」の喜びのチャンスはある、とこのとき思った。

卒業旅行について行った思い出

話が唐突でもうしわけないが、大学の人たちとの旅行に付いていくことになったので、「○年ぶり○回目」を念頭におきながら過ごしてみた。

僕たちは高速バスに乗って那須の「モンゴリアビレッジ テンゲル」というところに向かった。今回はモンゴルの伝統的な家、ゲルに泊まるのだそうだ。

そもそもなぜ大学の人たちの旅行についていくことになってしまったかと言うと、「行く?」と聞かれて「行きます」と答えてしまったからだ。しかし、それはわりとと空返事の部類に含まれる「行きます」だったのだ。主体性があまりない。

実際、バスに乗ってる最中は「就職活動もせずにどうしてこんなところにいるんだろうなあ」なんて考えたりもしていた。というかそれしか考えていなかった。


しかし、どうだろう。
学校の人とこうしてバスに乗って旅行に行くなんて高校の修学旅行以来ではないのか。

そう考えるとこの旅行はただの受動的な旅行ではなくて、「4年ぶり4回目のバスでの宿泊旅行」だ。
なんだか受動的に待ち構えているだけではよくない気がするではないか。何と言っても4年ぶり4回目だ。 次はいつあるか分からない。


のバスでの旅行

に着させられた民族衣装


なんだか14年ぶりにモンゴルに帰った人みたいになってしまったが、そうではなく民族衣装を着たのが14年ぶりということだ。

流されてたどり着いたなんてことのない旅行も、めったにない巡り合わせだと考えると無駄にしちゃいけない。そう思ったら楽しめる気がしてきた。

 

夜にゲルに居づらくなる

が、しかし。いくら学生の旅行といえども楽しいことだけとは限らなかった。
夜、ちょっとしたきっかけで、男子の泊まるゲルの中が「あいつはもともと気にいらなかった」みたいな欠席裁判会場になってしまったのだ。

いづらかったのでとりあえず僕はゲルを出て飲み物を買いに行く…ふりをした。思えばこうやって飲み物を買いに行くふりをしたことも以前あった気がする。


飲み物を買ったフリ


飲み物を買いに出たのに、財布を忘れていたので「買ったあと、外で飲んだ」ということにしたのだ。
そういう一人芝居を高校生の時、昼休みにやっていた気がする。
時がたっても進歩しない部分があるのが人間か。

しばらく時間も潰せたので部屋にもどる。・・・けど、まだ欠席裁判が続いていると思うとやっぱり入れない。
こうやって扉の前で中に入れずにいるのもかつて経験したことがある。


ドアの前で立ち尽くす


中に入れないで扉の前に立ち尽くすのは小学生以来か。
親とけんかになって家を飛び出したあと、しばらくして帰ってきたものの・・・という気分に似ている気がする。違う気もする。

明らかに違うのは、目の前にあるのがゲルだということだ。


でもそれがゲルの前なのは初めてだ


やはりもうしばらく時間をつぶそうと思った。

せっかくモンゴルのゲルがたくさんあるのでホーミーの練習をすることに。ホーミーは高校生のときに個人的にブームが来ていた。


ホーミー練習


やっているときはできている気がしていたが、全然できていなかった。高校生のときにできたと思っていたのも、やっぱりできていなかったのだろう。

このとき僕は凍てつくような寒さの中に一人で立っていたのだが、かつての自分と繋がることができたような気がして孤独感は薄れていた。

 

日常に潜む神秘

以上が旅行中に「○年ぶり○回目」を念頭に置くことで起こった僕の神秘体験だ。遠い昔の自分と邂逅することができた。
日常生活においても、このような経験はもっとできるに違いない。

最後にダイジェストでお送りします。


ねるねるねるね

スタバで注文を噛んで失敗

この場所にこの店ができるのか、と驚く

そしてこれを買おうか迷う

靴紐を買う

この配列、この数字で穴が開く

血がピンチ

2年ぶりに電話がかかってきた人

再会

タクシーがこの並び順に

まんぼうが縦に

☆印のしょう油が隣同士

通時態で通じたい

ダイジェストの最後の方はもう空想なのだが、その空想の中に本当がまぎれているとも限らない。ありふれた出来事が、繰り返す日常の中で気づかれないうちに奇跡になっていたりする。

仮に周りに繋がるものがなくても、時間の中に繋がるものがあるかもしれない、というのはなんだか励みになるような気もする。


 
 
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