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フェティッシュの火曜日
 
次期世界遺産「東京都中野区の車両格納施設群」を見てきた

 

先日文化庁から、2008年度「東京都中野区の車両格納施設群」を世界遺産に推薦するという発表があった。

世界遺産とは、人類共通の価値を持つ文化財や自然を後世に伝えるため、1972年にユネスコ総会で採択された国際条約だ(詳しくはこちらのサイトとかをご覧ください。手前味噌で恐縮ですが)。日本からは昨年「石見銀山とその文化的景観」が登録され、今年は「平泉−浄土思想を基調とする文化的景観」の登録の可否が審議される。

その世界遺産の次なる候補として文化庁は「東京都中野区の車両格納施設群」を選んだという。「東京都中野区の車両格納施設群」が世界遺産に推薦されるという話を以前から聞いてはいたものの、そういえばそれらを見に行ったことはなかった。

ちょうど良い機会なので、それら「東京都中野区の車両格納施設群」を見学してみることにしよう。

木村岳人



次なる世界遺産は、とっても渋い文化財

まず、世界遺産と聞いて、皆さんはどのようなものを思い浮かべるだろうか。

贅を尽くした目を見張るほどに豪華な宮殿?それとも、広大な敷地に広がる古代の遺跡?はたまた巨木が生い茂る脅威的な自然の光景?

確かに、そういうものの多くは世界遺産となっている。実際、世界遺産条約の黎明期である80年代に登録された文化財は、おおむねそういう派手な観光客受けしやすいものがほとんどだ。

しかし、最近の登録傾向はちょっと違う。


世界遺産と聞いて思い浮かべるのはこいういうの? それともこういうの?

近年は、そのような見た目に分かりやすいものよりも、どちらかというと地味だが人類が繁栄し文化を作ってきた上で重要なもの、というような物件が登録される傾向にある。

たとえば、ワインのブドウ畑や棚田といった農業風景などの景観や、製鉄所や無線通信局のような近代化を象徴する産業遺産とか。

実際、去年登録された日本の「石見銀山とその文化的景観」も、かつて世界に影響を与えたほどの銀を産出した銀山遺跡が、良好な環境の中残されているという点が評価されたという極めて渋い物件だし、また世界遺産の候補といえる世界遺産暫定リストに記載されている物件も、渋めの物件が多い。


日本の暫定リスト記載物件一覧表
登録資産名 暫定リスト記載年 カテゴリ
武家の古都・鎌倉 1992年 文化
彦根城 1992年 文化
平泉−浄土思想を基調とする文化的景観 2001年 文化
東京都中野区の車両格納施設群 2005年 文化
小笠原諸島 2007年 自然
富岡製糸場と絹産業遺産群 2007年 文化
富士山 2007年 文化
飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群 2007年 文化
長崎の教会群とキリスト教関連遺産 2007年 文化
国立西洋美術館本館 2007年 文化

「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の石舞台古墳 こちらは「富岡製糸場と絹産業遺産群」の旧官営富岡製糸場

このように、現在暫定リストに記載されている物件は確かに目を見張るような派手さは無いけれど、今の日本や日本人の精神性を作るに大きな影響を与えたものが多い。そもそも世界遺産は観光地である必要など全く無いのだから、見た目の派手さなどどうでも良いのだ。

今回推薦が決まった「東京都中野区の車両格納施設群」は、その渋い日本の世界遺産候補群の中でもさらに渋い、渋さの極みとでもいったシブガキのような物件だ。

さて、前置きが少々長くなってしまった。それでは「東京都中野区の車両格納施設群」を見ていこう。


中野区にある明治時代の車両格納施設

この「東京都中野区の車両格納施設群」の構成資産は、東京都中野区弥生町の中野新橋駅付近の通りに密集している。


中野新橋駅から山手通りへの通りには、これだけの車両格納施設が存在するのだ

この地図の赤い部分がすべて車両格納施設なのだ。車両格納施設とは、その名のとおり車両を格納するための施設であり、まぁ、要するに駐車場だ。

しかしこの通りにある駐車場は、いずれも戦前、特に明治時代に作られたものが多い。このような古い駐車場がこれだけの数密集している例は他に無く、世界的に見ても極めて貴重。


桜並木の美しいこの通りに古い駐車場が密集している

しかし、貴重な古い駐車場、と言われてもピンと来ない方がほとんどだろう。とりあえず、この通りにある最も古い明治期の車両格納施設を見ていただきたい。


明治32年に作られた重要文化財の駐車場
文化財保護のため、現在は利用されてはいない 古くも美しい格納施設の操作パネル

いかがだろうか。赤茶けた鉄の色がなんとも良い味が出ており、その歴史の長さを感じさせてくれる。触覚のようにぴょこんと突き出した操作パネルもアクセントになっていて良い感じ。

この駐車場は当時の日本の技術の粋を集めて作られたもので、日本の産業史を語る上で非常に重要。この駐車場がその後の駐車場の原型にもなった、いわば駐車場の型紙である。

さて、次はこの明治期の駐車場からさらに発展した、大正2年に作られた駐車場を見てみよう。


大正期の小屋型車両格納施設
車両格納施設内部 屋根のトラスが美しい
こちらは左右が屋根が分離されている半小屋型 こちらも素敵な直線美

先ほどの明治期の駐車場は屋根が無い野ざらしのものであったが、大正期のこちらには屋根が付いた。聞くところによると、関東大震災にも耐え残ったものらしい。

先ほどの駐車場はもう使われてはいないが、こちらは現在もなお使われ続けている現役の駐車場である。

最後はこれよりさらに進化した、昭和初期の駐車場だ。


現在はタクシー会社が所有している、旧三菱工業第一車両格納庫
二階、三階部の格子の意匠が美しい これまでのものより使われている技術のレベルも高い

現在タクシー会社が所有しているこの駐車場は、建設された当時としては画期的な三階建て。戦災で屋根がやけたものの、戦後に復旧され蘇り、現在まで使用されてきたという。

美しくも儚い車両格納施設を未来へ

いかがだったろうか。これらの「東京都中野区の車両格納施設群」は、狭い東京の土地を有効活用するための土地利用の顕著な例として重要であり、また明治期から昭和にかけての技術の遷移を示す例として、非常に高い価値を有していると言える。

しかし、憂慮すべき現実もある。実は中野区にはこの通り以外にも数多くの車両格納施設が存在していた。しかし時代の流れと共に次々と取り壊され、その結果残ったのはこの中野新橋付近の一角だけとなったのだ。

しかもこのエリアであっても既にいくつかの車両格納施設が取り壊されてしまっている。貴重な過去からの遺産を未来へ受け継ぐため、この「東京都中野区の車両格納施設群」の世界遺産リスト入りが強く望まれることだ。

ここにもかつては明治期の車両格納施設があった

この記事はエイプリルフール企画のために作ったうその記事です

 

 
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