ちょっとした工夫とちょっとした苦悩
そう思い込んで自分を納得させようとしたが、なかなか納得できなかったので、ちょっとした工夫を取り入れてみた。ある期間、壁のいっぽうを眺めつづけ、それに飽きたら逆の壁をみる。こうすることで、途中途中に見た目の新鮮さが生まれ、気分的にも少し楽になるのではないかと考えた。
もちろん余計に飽きた。 ほかに通路なんてひとつもないくせに、『非常口』とか貼られてあるのにも腹が立つ。
やはり眺めの件は素直にあきらめるしかないようだ。 階段をのぼったときにみえる外の風景が救いといえば救いだが、なまじ景色がみえることが逆に拷問的でもある。
そんなぼくの戸惑いにも似た気持ちが、当時書き記されたメモからもうかがえる。
うっかりすると含蓄のありそうな言葉にみえる。わざわざ書き記したあたり、少なくとも当時のぼくはそうおもったにちがいない。相当うっかりしていたのだ。
なんだかんだで800段
数十分、黙々と階段を歩きつづけたのだが、
コンクリートの階段は腰にくる。とくにおりるときの衝撃が大きい。庇いながら歩くのが余計によくないのか。 歩きはじめて50分後、やっと800段を迎えた。途中途中で写真を撮ったりしながらとはいえ、ずいぶん時間がかかった。とはいえまだ行程の3分の1だ。
参道でひと休み
このあたりでちょっと休みたい。ぼくのイメージとしては、長い参道の途中には茶屋みたいなところがあって、そこで休憩をとるのもまた参拝中の醍醐味だったりするのだ。 そんな雰囲気をだしたいとおもって、準備をしておいた。
どこからみても茶屋だ。決して留置所の様子ではない。
気合いをいれて再スタート
さあ、あと100往復。なんとしてもやり遂げなくてはならない。 団子を食べきるのに時間をくってしまった。でも団子とお茶がなくなった分リュックは軽い。ここは一気に段数をかせごう。
途中すれちがう参拝客(宅配屋さん)と挨拶をかわしつつ、やっと中間となる75往復、1200段に到達する。
ちなみに芭蕉の「蝉の声」の句で知られる山寺(やはり山形県)の石段は約1100段とのことで、この時点でもう山寺への参拝は終えていることになる。 いつのまにか、ずいぶんと高いところまでのぼってきたものだ。
でも携帯は圏内だ