ならば私が目になろう
あの目のステッカー、確かに犯罪を抑制する効果があるに違いない。しかし、ステッカーはステッカーであるがゆえ、意思を持って行動することはできない。
たとえ移動できる車に貼られたとしても、ステッカーの効力が発揮されるのはその車の行く先だけだ。少しでも多くの場所に目を置くことがその意義であるにしろ、やはり自ら移動し犯罪を監視する方が、より効果的であるに違いない。
それなら、どうすればいいのか。簡単なことだ。私がその目になればいい。
街は思った以上に平和だった。
しかし、得てして犯罪というのは、起きそうにない場所で起こるものだ。ニュースとか見ていると、事件現場付近のおばちゃんが「まさかこんなところであんな事が起きるとは……」という感想をもらしているのをよく目にする。
一見平和な街であれど、警戒を怠ることはできない。
しかし、やはり街はまっこと平和そのものだった。
ぽかぽか陽気のお昼時、人が血まみれで倒れていることもなければ、どこから悲鳴が聞こえてくることもない。聞こえてくるのは悲鳴などではなく嘲笑だけだ。
それにしても、この格好になってなんだか強くなった気がする。人が私を避けて歩くせいかもしれない。今なら暴漢の一人や二人、難なく倒せそうな気さえする。
いかんいかん。何をやっているんだ、私は。犯罪を防ぐどころか、普通に暮らしているハトたちの安寧を脅かしているだけじゃぁないか。
落ち着け。落ち着いて、今私が成すべきことを考えるんだ。
基本に戻って、街を見守ろう
やはり基本に戻るべきだろう。私の役目は、この目で監視し犯罪が起きるのを防ぐこと。街の平和を守るべく、人々を見守るんだ。
そういえば、最近子どもたちが被害者となる犯罪が多い。力の無い、か弱き子どもたちを狙うという、卑劣極まりない犯罪だ。
その許せざる犯罪、見逃すわけにはいかない。
子どもたちといえば公園だ。公園で遊ぶ子どもたちに危険人物が近づかないよう、監視することにしよう。
それはちょっとした油断だった。このなんとも楽しそうな滑り台をちょっと試して滑ってみたところ、思った以上によく滑り、最後にはバランスを崩して転倒してしまったのだ。
ぐぅ、なんたることだ。滑り台がこんなツルツル滑るものだったとは。ひどい、なんとひどい悪なんだ。これは糾弾すべき悪だ。決して逆ギレだなんて言わせない。
しかし、もう公園はこりごりだ。街に戻ろう。
街の平和は保たれた
こうして、私は違法駐輪という犯罪からこの街を救うことができた。これからもこの街は、ずっと平和であり続けることだろう。あぁ、素晴らしい。やれ、素晴らしい。めでたしめでたし。
……なんか、最初の趣旨からもの凄くズレてしまっている気がしないわけでもないが、多分、それは気のせいだろう。
まぁ、とにもかくにも、犯罪はよろしくないと思いますので、一人一人が周囲に気を配って犯罪を防ぎつつ、楽しく暮らせる街が作れるといいですね(うまくまとめたつもり)。