輪切りといえば南斗水鳥拳だが、輪切りになった人体標本というのをはじめてみたときはずいぶんと衝撃を受けた。以来、すっかり標本イコール輪切りなぼくなのだが、それならば、輪切りにするだけでなんでも標本のようにみえるのではないかと思い、包丁を持ってうろうろしてみた。
(櫻田 智也)
輪切ってみた
さて、いきなりではあるが、ぼくが「こうすれば標本ぽくみえるのではないか?」と考えてつくってみた試作品第1号をご覧いただきたい。 これです。
完成したミカンのひょうほ……
ひどい
さすがに標本と言いきることができない。まあ、なんていうか、思いつきにもほどがありますよね。と、思わず読者のかたのご機嫌をうかがいたくなる。 しかも、ぼくがなんとなく頭の中に描いていたものと、だいたいにして一致しているというのがまた困るのだ。
角度を変えたところでどうにもならない
禁じ得ない自らの失笑
駄目なポイント
ミカンの標本がなにゆえ駄目なのか考察してみるに、
食品衛生的にも精神衛生的にも汁がたれるのはよろしくない。標本にみずみずしさは必要だが、汁がたれるほど水気があっては標本らしいとはいえない。専門的なことは知らないが、標本というものをつくる際の基本はおそらく脱水と組織の固定だろう。 というわけで、水気を排したもので挑戦してみた。
パサパサしたもので
「タマゴの取り扱いの難しさ、みくびんなよ!」という、ブラックマヨネーズの漫才のセリフが頭の中でリフレインする。入店初日の下ごしらえみたいになったタマゴ。白身と黄身を別々に食べるわびしさよ。
水を固定するんだ!
標本にするには、形を保つための適度なかたさと弾性がほしい。というわけで登場願ったのが、
やるっきゃナイト
切ったものをゼリーで覆うことで形を保ち、なおかつ表面の光沢によって標本ぽさを演出しようという目論みである。だがいかんせん、表面をゼリーでコーティングするという技術を持ち合わせていないため、
とりあえずゼリーびたしに
その結果、
なにも得られず
表面になにやらツヤはあらわれたものの、ゼリーが定着したとはいえず、串を刺そうとすれば内側のとろとろした部分があふれでる始末。
どうする、無精ひげ