−−それで活弁の仕事を実際にやるようになったのは?
「プロデビューといえるのは20歳の時。鶯谷に『東京キネマ倶楽部』というレストランシアターが出来るんです。活弁付きで無声映画を観ながら食事も楽しめる、というのが売りの。山崎バニラさんはその時の同期です」
−−でも、当時そんなに東京に活弁士を目指す人がいたわけでもないんですよね?
「そうです。毎日営業するのに演者の数が足りない。そこで『活弁やりませんか?』という募集をかけてオーディションを行い、僕を含め何人かの合格者をデビューさせた訳ですよ。もっとも僕は不始末起こして半年くらいでクビ。お店自体もその後、経営が大変だったりして……」
−−まぁレストランとしてはあまり続かなかった、と(現在は貸しホール)。
「でもデビューしちゃったんだから、とにかく仕事取らなくちゃ、ということで自分で勝手に営業し始めたわけです。最初はホームパーティの余興とかですよ。名画座で知り合った人の家でやらせてもらったり。その内、映画好きの方の息子さんで、市役所の市民文化係の課長さんがいて、映画の会みたいなのやりたいと。で、ありがとうございます是非やらせてくださいと。そうした仕事を少しずついただけるようになったんですよ」
−−今さら基礎的な話を聞きたいんですけど、活弁士ってどこまでが仕事なんですか?古典落語なら形が決まってたりするわけですが。
「活弁士は既成の映像の中に字幕があるので、その部分は大体その通りに読むんです。でも字幕と字幕の合間の映像部分の台詞は、自分で考えなきゃいけない。大筋はあるけれども、言い回しや言葉の選び方なんかはすべて自分の感覚ですね」
−−同じ話でも活弁士によって印象が違う。
「長い話だと特に活弁士個人の特徴が出ますね。クスグリ(ギャグ)を入れる人入れない人、淡々とやる人もいれば熱っぽく語る人もいます。喋り方も現代調、クサい感じ、さまざまです」 |