国府津の天神さま
もう一つの「通りゃんせ発祥の地」は神奈川県小田原市、国府津駅の近くにある。 あいにくの雨の中、駅からの道を徒歩で向かった。
続きの歌詞を考察
昨日は「お札を納めに まいります」というところまで考察した。 その続きの歌詞「行きはよいよい 帰りはこわい」という部分、川越の説では城内から出る際のチェックで説明がつく。 しかし、身にやましいことがなければ、「こわい」という言葉を使うのはややおかしい。 では、「こわい」というのはなんだろうか。
不審な親子を発見した門番が「ここは通さぬ」といい、その親子は「いえいえ、お札を納めるんです」と答える。 しかし、この母親はここがどこだかわかっていないのだ。
もちろん「ここはどこの細道じゃ」というのは、天神さまへの道なのか確認するために「ここでいいんですか?」というニュアンスで聞いたのだと考えることもできる。 けれども、参拝客でにぎわう天神さまに行く道が、わからなくなるということがあるだろうか。 やはり、記憶をなくしてしまっていると考える方が自然だ。
つまり、記憶をなくした母親が職務質問されて、「天神さまに行く道」だという言葉をヒントにその場をうまく取り繕って、「お札を納めるんです」と答えたのだろう。 では、「行きはとりあえず何とかなったけれど、帰りは怖い」 ということだろうか。 そうだとしても、なぜ「こわい」のか。
こわいとは
「こわい」を怖いと解釈すると、ミステリアスになってしまうが、果たして「怖い」なのだろうか。 僕は「こわい」のあとに何か文字が隠されているのではないかと推察する。
その推察とはずばり「こう、ワイになっている」が短くなって「こわい」に変化したという考えだ。
つまり「行きはよいが、帰りは(道が)こう"Y"になっている」ということなのだ。
「行きはよいよい 帰りはこう"Y"になってるからどっちに行けばいいのかわからない」 「こう"Y"なんだけれども、エトランゼ エトランゼ」
神社についた
もう、いいだろうか、このへんで。 神社に到着したので、境内に入ってみよう。
来ちゃいけなかったのかも
鳥居をくぐってまず目についたのが「曾我兄弟隠石」と書かれた大きな石碑だ。 僕は日本史に詳しくないので、その碑を見てもすぐに意味を理解できなかったのだが、横に書かれた解説文を見ると、父の敵である工藤祐経を仇討ちするために曾我兄弟が隠れた石、とある。 工藤祐経は僕と同じ工藤姓だ。 うちのご先祖さまが曽我兄弟のお父さんになにか悪いことをしたんだろうか。 それは申し訳ない。 曽我兄弟は結局ここでの仇討ちは叶わずに涙をのんだらしい。 そんなところに来てしまって、いいのだろうか。 ともかく、「通りゃんせ」のてがかりをさがそう。