のれんにする
あの形をテグスでつないで棒にぶら下げた。のれんである。こののれんをカメラの前に掲げて写真を撮れば全ての景色がFMステーションの表紙になる。FMステーションのれんだ。
重りはナットです
アクリルの棒にテグスでぶら下げたため糸と棒がほとんど見えない。あの形が浮いているようである。あれが紙の世界から飛び出してこっち側に来た。ちょっと中華っぽいのは意外だけど、やってきたのだ。誰でも実際に会ってみるとちょっと違うものである。
さっそく外に出て撮影してみよう。
FMステーションを運ぶ人
カメラの前を爽やかな風が吹き抜けた
やってきたのはいつも撮影に使っている野球サッカー禁止の公園である。つい数日前はここで自分が作った3DCGの真似をしていた。
普通の公園も
じゃーん、FMステーション!
デジカメのモニターを見たとき、爽やかな風が通りすぎた気がした。カルフォルニア!オープンカー!
………。
書いていて無理があるなとは思うのだが、これを撮ってデジカメのモニターで確認したときはほんとにそう思ったのだ。いまは戸惑っているが、その躊躇もも撮影したときの興奮も一瞬の感情としては等価である。だからいいのだ。
詭弁を書いたところでじゃんじゃんFMステーションにしていこう。
FMステーションの奥にハト
お台場の景色。これは本気でFMステーションっぽい
あの物体は空に浮いてるのがいいらしい
お台場の景色にあの物体がしっくり来ている。背景が空だとあの物体が映えるようだ。なるほど、と思って作品集を見ると背景が一色であることが多い。最初に気づけ、と思った。
ナットが浮いてることも気にならない(個人の感想です)爽やかさ
悪い例:背景がうるさすぎ
あれはなにかは分かりません
僕は光じゃないかと思っているのだけど、カルチャーカルチャーの横山店長(ちょうどFMステーション世代)は風じゃないかと話していた。結局、実物を作っても分からなかったが、青い空をバックに赤や黄色の幾何学模様が浮いていても違和感を感じないということがわかった。
違和感を感じないのは思春期にFMステーションの表紙に刷り込まれたせいかもしれない。だとしたらむしろあっぱれじゃ、という気がする。