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ロマンの木曜日
 
「サラダ感覚」とはどういう感覚か

サラダ感覚の靴

では、サラダ感覚とは具体的にどういうことなのか。
この革靴をもとに実験してみよう。

平常時の革靴には、サラダ感覚と呼べる要素は一切見あたらない。


サラダ感覚とは程遠い革靴


では、セロリを挿してみてはどうだろうか。
サラダ感覚と呼べるだろうか。

セロリを挿したこの靴を見て「サラダ感覚」と感じる人は、恐らく一人もいないだろう。
先ほどからくり返しているとおり、サラダ感覚とは野菜のことではないということが改めて証明された。



何度も言うが、こういうことではない

どうすればサラダ感覚か

ここからは、私の考えるサラダ感覚を披露したい。
この靴を、サラダ感覚の靴に変化させてみようと思う。


サラダ感覚にしていこう

サラダの反対は

ところで、サラダと反対の言葉はなんだろうか。
「油」などは反対の意味のように捉えられがちだが、サラダ油があるように、サラダには油がつき物だ。
では、「肉」だろうか。
一部のファミレスには「肉サラダ」というメニューもあるし、冷しゃぶサラダなどはかなり一般的な食べ物だ。


サラダー
サラダー

反対語が見つからないことからも、サラダという言葉の危うさが感じ取れる。
サラダとは、いったいなんなのか。

サッサッサ

サラダを用いた作品

サラダにちなんだ芸術作品も数多い。
たとえば俵万智の「サラダ記念日」は一世を風靡した。
何かの参考になるかと改めて目を通したが、「ああ、こういう時代だったんだな」と思っただけで、サラダとは何であるかを知ることはできなかった。
まあ、そういう趣旨の本ではないから当たり前だが。
フォークシンガーのイルカは「サラダの国から来た娘」という歌を歌っている。
これもYoutubeで探して聞いてみたが、こちらにいたっては「サラダをばかにしてるのか」と思えるほど、サラダとの近似性は認められなかった。


普通の本をサラダ感覚に
表紙を変えることが解決ではない

革靴のサラダ感覚化

靴を切り抜いた。
私の考えるサラダ感覚の革靴とは、こういうことである。
これがサラダ感覚の靴だ。

つまり、サラダとは空間である。
本来存在しているものを、切り取ること、取り除くことがサラダのひとつの定義ではないだろうか。
冷しゃぶサラダは豚肉の脂を、ボイルすることで減らしている。
また、ポテトサラダやコーンサラダは、元々は硬いものをやわらかくし、ほぐしている。
これも空間を取り入れる事だと言えよう。

サラダ感覚を構成する要素が見え始めたので、もう片側の靴もサラダ感覚にしよう。


私の考えるサラダ感覚


 

 
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