僕が走っている間にダジャレの話を。
たとえば、小倉百人一首の小野小町の歌「花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに」にもダジャレは入っている。
「ながめせしまに」の部分に「長雨の間に」と「眺めている間に」の2つの意味がある。
「きょうふのみそしる」に「今日、麩の味噌汁」と「恐怖の味噌汁」の2つの意味があるのと同じだと思う。掛詞といえば聞こえはいいが、結局は音が似ているだけなのだから、ダジャレなわけだ。
しかし、この歌は小倉百人一首に選ばれるくらい素晴らしいという評価を受けている。そこで、今後はダジャレを言う人がいたら「古風な人」というプラスの評価をしてみてはどうだろうか。
「もしかして、小野小町の生まれ変わり」的な。するとダジャレを言う人を高貴な人のように思え、ダジャレをくだらないと感じなくなるかもしれないと思う。
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