高炉に比べるとダイナミックさにはやや欠けるものの、この愛らしいかたまり感はセメント工場ならではの得難い特徴である。
円筒形のサイロ、絵に描いたような切妻の建築。高炉が水路を挟んだ向こう側に離れてあるのにたいし、これは間近で鑑賞することができる。寺社仏閣で言えば、本堂もさることながらその周辺にある小さなお寺などが実に味わい深いのと同じだ。
工業地域では派手なものばかりに目を奪われず、じっくりとまわりも見渡してほしい。「一匹いたら十匹いると思え」。工場もまたしかり、である。
やってしまった、徒歩で工業地域の悲劇
と、ここまでは駅からすぐ。体力的にも余裕の状態であった。しかし、到着したとたんのこの溶鉱炉という名の興奮剤を打たれてしまったぼくは、さながらなまはげのように「工場いねーがー」と旅立ってしまったのだ。いわゆる深追いというやつである。
クルマの免許を持っていないぼく。徒歩である。工業地域を徒歩で巡ることの危険なのだ。スケール感が普通の街とは異なる。向こうに見えるから、といって歩き出してはいけない。へいきで数キロ先ということがある。ということは長年の工場鑑賞経験で身に染みていたはずなのだが、やってしまった。
しかも疲れたと思ったら要所要所で良い感じの工場構造物が出現。さらに脚を伸ばさせる悪魔の香りである。 |