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ひらめきの月曜日
 
奥祖谷、高低差390mの斜面集落

対岸から落合集落の全貌を望む

落合でバスを降りても、急斜面の集落など見当たらない。これは一体どういうことだと、私は近くにいた女性にその旨を尋ねてみた。女性は「あぁ」と短く言った後、「あそこに行ってごらん」と川の対岸にある別の集落を指差した。

その女性は「そこへ行けば落合集落のすべてが分かるから」とも言っていた。落合集落のすべてが何を意味するのかいまいち分かりかねるが、とりあえず私はその女性に教えてもらった通りの道を行き、対岸の集落へ向かった。


それで、教えられた道がコレ
……いいんだよな、本当にこの道で

まるで登山道のような、というか登山道そのものであるような、そんな細い坂道をぜぇぜぇと息を切らせながら登って行く。

橋を渡ってから5分ぐらい経った頃、突然視界が開け、とある民家の敷地内に出た。と同時に、猛烈な勢いで番犬に吠えられる。相変わらず、私は動物に嫌われるオーラが出ているらしい(実家のネコも寄り付かない)。


これまた凄いところに来たモンだ
主家の横に、貨物用ロープウェイがあるお宅

細道はこの民家の軒先をかすめ、さらにその奥へと続いていた。家の人に見つかったらどうしようとビクビクしながら、お邪魔しますと心の中でつぶやいて、その家の前を通り過ぎる。

それにしても、凄いところに家があるものだ。このお宅の前には車道とか、舗装道路などありゃしない。あるのは今私が通ってきたこの山道だけである。なるほど、ここの人にとっては、この登山道もどきの細道こそが普段の生活道路なのだ。

不便ではあるかもしれないが、昔のままの生活を送っているこの家の人に、何か物凄い感激し、素晴らしいことだと思った。


再びこのような道を行く
ようやく対岸集落の中心部にまでやってきた

落合の対岸にあるこの集落は、地図によると中上集落という名前らしい。これまた山を開墾して作られた斜面集落で、その中心部には車道も通り、立派な農家と思わしきお宅が何軒か建っている。この暑いさなか、草刈機の音が響いていた。

とまぁ、中上集落の事はほどほどにして、問題は落合集落だ。ここに来れば落合集落のすべてが分かる、そんな大仰なことを言われたが、さてはて、落合集落のすべてとはこれいかに。


それはこういうことでした
山の麓から頂上付近まで、家屋と段々畑が続いている。その高低差、下から上まで390m

いやはや、国道からでは気づかなかった。あの道路沿いの集落の上に、こんなにもダイナミックな景観が広がっていたとは。確かにこの光景は、対岸に来なければ見られなかっただろう。ここを教えてくれたさっきの女性に、感謝感激雨あられ。

そしてようやく分かった。国道からこの広大な集落が見えなかったのは、集落の斜面が急過ぎたからなのだ。登り始めの斜面があまりにきつくて、そのさらに上にある家が視界に入らなかったのである。

 

落合集落を歩いてみる

落合集落の全景を十分に堪能した私は、再び国道まで戻ることとした。実際に落合集落の斜面を登ってみようと思ったのだ。それがどれだけの高さなのか、どれだけ斜面が急なのか、この足で体感してみたいと思う。


ご丁寧にも、落合集落入口を示す標識があった
やはり基本はこういう道なんですな

このような細い道は里道と言い、集落全体を網の目のように巡っているという。今でこそ集落内を車道が通っているものの、かつて人々はこの里道を使って行き来をしていたのだろう。いや、割と綺麗に整えられている里道の状態を見るに、今もなお、日常的に使われているのかもしれない。

中上集落の時もそうだったように、こちらもまた5分ぐらい登ったところでいくつかの建物が視界に入った。早速写真に納めようとカメラを構えるが……


家屋を撮ろうとすると、どうしても見上げるか
見下げるかのアングルでしか写せない
   
   
もしくはこんな感じか。改めて見ると、凄いロケーションだ
向こうに見えるのは、先ほど行った対岸の中上集落

照りつける夏の太陽の下、急斜面を登るのは非常にきつい。先ほど歩いた対岸の中上集落は日陰が多かったが、こちらは南側を向いた斜面であり、木陰もほとんどありゃしない。心なしか、中上集落より傾斜もきつい気がする。

全身から汗を噴き出し、メガネを曇らせながら、地を這うように集落内を天へと登っていく私の姿は、きっとおぞましいものだったに違いない。道中、畑仕事をしていたじぃ様に挨拶したら、何か非常に驚かれたものきっとそのせいだ。

登り始めて30分。死ぬ物狂いで歩き続け、ようやく三所神社に到着した。この神社は落合集落のちょうど中心にあり、木々も生い茂っているため休憩するにちょうど良い。というか、ここで休憩しないと本当に死んでしまう。そう体が言っている。


巨木がわさわさ生える、三所神社
泣きそうなくらいに疲れた
休んでいると、次々と巨大なアリが襲撃してくる

神社の木陰に座って15分くらい休んでいたが、お前に休む暇など与えてやるもんかと言わんばかりに巨大なアリたちが私の体を登ってくる。落としても落としても次々と登ってくる。

ぐぅ、その急斜面をものともせず登るガッツを少しでいいから私にも分けてくれたまえ。そして願わくば、私の体ではなく隣の狛犬にでも登っていてくれたまえ。

私はアリたちに急かされる形で腰を上げ、また斜面を渋々登っていく。ひぃひぃふぅと何かが生まれてしまうような呼吸音を発しながら、ただひたすらに斜面を登っていく。


伝統的な石垣を積んで平地を作り、家や畑を作ってる
建ち並ぶ家々も歴史がありそうだ

ところで、この落合集落の家屋は古いものが多く、中には江戸時代中期に建てられたものまである。そんな昔から、こんな山奥の傾斜地に集落があったのかと疑問に思うかもしれない。

だがしかし、実際この落合集落はそんな昔からあったのだ。それも、相当な昔から。


昔の姿に修復した茅葺屋根の家もあった
遠くに見えるあちらの斜面集落もなかなか古そうだ

落合集落の歴史は非常に古く、室町時代の初期にあたる南北朝時代、山岳武士の三木氏と共に、落合氏や菅生氏、徳善氏などの祖谷の武士たちが、北朝側である阿波守護の細川氏と戦ったという記録が残っている。

この落合や菅生、徳善といった武士の名は、いずれも祖谷の集落名として今に残っている名前。それはつまり、室町時代には既にこの地に今のような集落があり、そしてある程度の力をもっていたということだろう。

と言うことはだ、平安時代末に滅んだ平家の落人がこの地に移って隠れ住み、武士として力を蓄えていたと考えても不自然じゃぁない。おぉ、祖谷の平家落人伝説もあながち伝説と言い切ることはできないかもしれないぞ。なんたるロマン。


ロマンから現実に戻ると、集落最上部はまだまだ上……

ふと我に返ると、あれだけ散々登ったというのに集落の頂上はまだまだ上という現実が。……これはもう、登頂への到達は諦めてそ、ろそろ麓に引き返すとしよう。

……だって、ホラ、帰りのバスの時間が迫っているし、喉もカラカラに渇いたし、足だって疲れてパンパンだし、肩に違和感もあるし、首の付け根だって……まぁ、とにかく、ギブアップ!

いやぁ、こんな急斜面を徒歩で行き来していた落合集落の人々は凄いですなぁ。尊敬します、ホント。

山村というのは良いものだ

思いつきで行ってみた奥祖谷ではあったけれど、予想以上にダイナミックな集落景観を見れて私は満足、大満足。空気も良いし、緑も多いし、これぞ旅行と言う感じがした。

制約の多いバスではなく、自家用車とかいう私には到底縁の無い乗り物で行けば、落合集落のさらに奥にある二重かずら橋とか、他の名所も見れたんだろうな、などと思う事も無くは無いが……いや、やっぱり旅行というのは、制約のある交通手段で行くのが良いのだ(と思い込んでみる)。

いずれは日本三大秘境の残りの一つ、宮崎県椎葉村にも行ってみたいと思ったり。こちらにも、古い集落があるらしいので。

帰りは大歩危で下車し、このゴツゴツした川を見て帰りました

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