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ひらめきの月曜日
 
琵琶湖疏水をたどって京都まで

琵琶湖疏水もいよいよ佳境へ

さて、無事山を越えて第三隧道の出口にたどり着いた。

琵琶湖疏水はトンネルを越えてここまでやって来たわけだが、実は私もある種トンネルというべき手段を使ってここまで来た。そう、地下鉄という文明の利器を。……いいじゃない。だって、疲れたんだもの。そこに便利な乗物があったんだもの。

今でも私は、京都市営地下鉄の御陵駅から蹴上駅に至る区間は、琵琶湖疏水の第三隧道部分をジャンプするために作られたと、頑なに信じている。


というわけで、第三隧道出口付近。浄水場があるので近づくことはできない

これは旧御所水道(京都御所の防火用水)ポンプ室
こちらは第二疏水のトンネル出口

第三隧道の出口へは、九条山浄水場があるので近寄ることができず、遠目に見るしかない。木々に遮られて視界もあまり良くないが、どうやら第一隧道入口に似たデザインのようだ。

他にも琵琶湖からトンネルのみでここまで直接やってくる第二疏水の出口があったり、古いレンガの建物が残っていたりと、何か全てが集結する、そんなところにまで来た感じがする。


……が、水路はここで行き止まり
水が無くなって陸地になっているんですけど

と思ったら、水は脇の水門から流れ出ているようだ
裏手にはその出口もあり……

そして水圧管路がどーん

そう、ここは水力発電所だった。その名も蹴上発電所と言う。明治24年に運転が開始された、日本で始めての一般営業用発電所だ。ふぅ、また日本初が出たか。これで何度目だ。

琵琶湖疏水を流れてきた水は、ここで水力発電に使われ、また水路へ流れて行く。ちなみに蹴上発電所で作られた電気は、京都市電の動力に使われていたが、この京都市電もまた、日本で始めて営業運転が開始された電車だったりする。

そういえば最初に、琵琶湖疏水は舟運の利便を高めるために作られた、と述べたのを覚えておられるだろうか。それはつまり、琵琶湖疎水は舟で行き来することができねばならない、ということだ。

しかしながら、琵琶湖から流れてきた水はここで発電所へと入ってしまう。まさか水圧管路の中を舟が滑っていく訳にも行くまい。では、舟はどうやってここを越えていたのだろうか。


その答えは、このインクライン(傾斜鉄道)
舟をインクラインに載せ、この船溜りまで運んだのだ

インクラインとは、まぁ、人ではなく物を載せるケーブルカーのようなものだ。レール上の台車に舟をまるごと載せ、ワイヤーを使って昇り降りさせていた。ちなみにこのインクラインを動かす電力もまた、蹴上発電所で発電したものだ。

インクラインの下は南禅寺船溜り。ここに琵琶湖疏水やその一部分線の水、白川の水などが流れ込んできている。今では噴水も付けられて親水公園のようになっているが、かつては琵琶湖疏水を往来する舟で賑わっていたことだろう。

琵琶湖疏水は、ここからさらに水量を増して、いよいよ鴨川へと向かって行く。


分線をちょっとだけ見てみよう

……とその前に、せっかくなので琵琶湖疏水の分線についても紹介しておこう思う。

蹴上浄水場にたどり着いた水は発電に使われると述べたが、実はそこで水の一部が分岐して、分線へと入っている。これは南禅寺の裏手を通ってさらに北へと抜け、挙句の果てには鴨川デルタを突っ切って賀茂川に注ぐというもので、哲学の道もその一部。そう、彼の有名な哲学の道、実は琵琶湖疏水の一部なのだ。

さすがに分線もすべてたどるのはちょっと時間的にも体力的にもきついので、琵琶湖疏水分線のハイライト、南禅寺の水路閣だけを見てみよう。


南禅寺の裏手、琵琶湖疏水分線を通す水路閣

レンガが美しい、類稀なる水路橋
水路自体はこんな感じ

いくつかのトンネルをくぐり、哲学の道へと続いていく

そしてこの水路閣を通った琵琶湖疏水分線の水は、周辺一帯の寺社にも取り込まれ、その庭園などに使われていたりする。万能すぎるぞ、琵琶湖疏水。

……ちなみに、お気付きになったかもしれないが、実はこの水路閣だけは撮影した時期が違っている。なので雪が残っていたりするけれど、その辺はあまり気にしないで下さい。


それでは、南禅寺船溜りから鴨川へ

さて、日もだいぶ暮れかかってきたことだし。先を急ごう。

南禅寺船溜りからの琵琶湖疏水は、まぁ至って普通の川となり、京都の町をジグザグに進んでいく。


この広さはもはや水路っていうか、運河ですな
平安神宮の大鳥居の前を通る

途中で北へと直角に折れ
また直角に西へと折れる

さぁ、いよいよ本気で暗くなってきた。鉄腕DASHで言えば、そろそろ終盤であることを示すあの曲(ロバート・マイルズのチルドレン)が鳴り出す頃だ。急げ、鴨川へ。


……が、突然やけに広い場所に出た

ここはどうやら、第二疏水が完成した後の大正3年に作られた、夷川(えびすがわ)発電所のダムらしい。まぁ、ダムというより貯水池という感じではあるが。

恥ずかしながら私は知らなかったのだが、平安神宮と鴨川のちょうど真ん中辺り、こんな京都の町中に水力発電所があったのだ。これはちょっとした驚きだ。っていうか、水力発電所ってこんな平地にも作れるものなんだなぁ。


今でも現役の、小ぢんまりとした発電所
発電所施設も放水路もレンガ造り

夷川発電という思わぬ伏兵が表れ、ついつい足を止めてしまった。もはや日没寸前。とりあえず、日が落ちるまでに鴨川にたどり着かねば。

焦った私は駆け足で西を目指し、ついに鴨川へと到着。そして河川敷に出たところでタイムアップ。日は完全に落ちて、既に辺りは真っ暗になっていた。

思った以上に、見所豊富で凄いヤツ

いやはや、琵琶湖疏水が明治時代最大級の土木事業だというのは知っていたが、数多くの「日本初」を初め、ここまで見所が豊富だったとは。気軽に見て周るつもりだったのが、かなり濃度の高い見学となってしまった。

想像以上に距離があったのも誤算だった。鴨川に着いた時、時計を見たら17時半過ぎ。大津港を出発したのは11時くらいだったので、鴨川まで6時間半くらいかかったことになる。

でもまぁ、琵琶湖疏水はかなりオススメです。山科の区間とか、ウォーキングに最適だし。全部歩くのはちょっと大変だけれど。

最後、鴨川でゴールの撮影をしたら、こんなことになった

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