早くもインキが切れた
便箋が2冊目に突入し、ちょっと時間が空いたら喫茶店に寄って数ページだけでも書き進める、という作業が習慣付いた。夕食後にファミレスへ行くこともあった。
ここまで軌道に乗ってしまえば、家で作業をしていても、それほど逃避することもない。
と、なにやら万年筆の書き味が急に鈍ってきた。やたらとペン先が紙に引っ掛かるというか、字がかすれるというか…。
もしや、インキが切れてしまいましたか。
「インキを使い切った!」というのは、たとえ作業が途中のままであっても、妙な達成感が味わえて心地の良いものである。
そして、「このまま続けていれば、確実に終わるな」と目論んだあたりでダレた。気が弛んだ。「今日はいいや」とサボる日が出てきたのだ。ちょっと書くことに飽きてきたのかもしれない。
ここらで詣でておこう
「こんなことではいけない!」とばかりに、喝を入れる意味も込めて、会社の昼休みに新宿区内にある漱石公園に行くことにした。あそこに行けば、少しはやる気も復活するに違いない。
ここには過去に何度か来たことがあった。以前はもっともっさりした感じの公園で、よく物を食べたりしていたのだが、去年リニューアルされてからは、そんなことが出来るような雰囲気の場所ではなくなってしまい、すっかり足が遠のいていた。(ちなみに以前の公園の様子は、ドラマ「吾輩は主婦である」に少しだけ出てきます)
が、そんなことも言ってられなくなった。漱石先生の像を拝んで、やる気を出さなくては。
銅像と一緒に写真を撮ったのはもちろん初めてである。我ながら馬鹿だと思ったが、無人島に持っていく本を選ぶなら迷わず「吾輩は猫である」を挙げるほど純粋な漱石好きなだけに、ちょっと嬉しかったことも確かだ。
そしてその嬉しさは、たまたま公園の前を通りかかったおじさんが現れた時、ピークに達した。
「すいませーん、銅像と一緒のところを撮って欲しいんですけども!」
公園からの帰り、私はすっかりやる気に満ちていた。 さあ、書いて書いて書きまくろう!
ラストスパート
書けない出来ないとサボっているうちに、あっという間に時が過ぎてしまっていたので時間がない。産休でしばらくデイリーを休むため、今回原稿が間に合わなかったら次に掲載されるのはいつになるか分からない。いったい何年越しの企画にするつもりなんだ。
なんとか間に合わせるぞ!
何かに取り憑かれたように、アホのように書き続けた。10分でも時間が空くと、サッと便箋と文庫本を取り出してサラサラとやる。
家の中でもどんどんやる。書いている内容がどうにもこうにも暗く、胎教にいいのかどうか心配にもなるが、構わずにやる。やるったらやる。
時間を大雑把に記録していたメモ用紙によれば、書き始めてからの累計時間は28時間をとっくに超えていた。
では、小説の中の手紙はどれくらいの時間がかかったのだろう。先生の記述によるとこうある。
「死のうとしてから十日以上になりますが、その大部分は貴方にこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい」
だそうだ。やはりそれなりに時間がかかっていたのだと思うと、なんとなく嬉しい。
やっとゴール
そして、ついにこの時を迎えた。
40時間近くかかった書き写しが、やっと終わった。まさか本当に終わるとは…という心境である。
が、喜ぶのはここまでだ。まだ全ての工程が終わったわけではない。
問題は、これだけの分量の便箋をどうやって郵便で出すかである。通常の封筒では無理なことは分かりきっている。さて、どうしたものだろう…。