新年があけました。が、僕としてはあまりおめでたくない。
あまりおめでたくないという気がするのは、昭和61年生まれ数え年で25歳である僕が、今年厄年だからである。
厄年といえば、買い物にでかければ財布を落とし、外へ出れば階段から落ち、PCを使えば即座にクラッシュするという恐怖の一年らしいのだ(僕調べ)。
そういった厄年に発生するといわれる恐ろしい災厄の数々を回避する方法があるというのでやってみた。
(藤原 浩一)
おそるべき厄年
厄年というのは、数え年で、男なら25歳、42歳、61歳、女の場合は19歳、33歳、37歳のときに多くの災厄に見舞われるという言い伝えのことである。だれがそんなこと言い出したのか。でも、そんな言い伝えをたくさんの人が信じているらしい。
僕自身、こういう言い伝えの類はあまり信じていなかったのだが、こうしてお寺にのこのこと出向いてしまった。そのわけは、つい最近になって
「厄年には恐ろしいことがある」という日本人の集団的な意識が、実際に厄年の人に恐ろしい事態をもたらす……
というオレ仮説を脳内で考えついてしまったせいだ。そう考えるとなんだかそんな気がしてきてしまった。要するに、あると思ってしまったからにはきっとある、ということだ。
ものすごい混んでいたので嫌気がさしてしまったので、最も大事だと思われる厄払いは後日やってもらうことにした。
そんなわけでお賽銭を投げ(100円)、おみくじを引き(100円)、厄除のお守りを買う(800円)ことだけ済ませると、さっさと車を止めた駐車場(1500円)へ戻った。
おみくじで「吉」が出たものの、それは厄年という下部構造に支えられた「吉」であることは忘れてはいけない。
厄除けのお守りも購入したが、まだ厄年の不安はつきまとう。個人的に2009年はかなりひどい年だったので、それよりひどくなるなんてホラーに他ならない。
厄年の厄もいつかは尽きる
さて、初詣も終わって僕が厄に対してできることはもうないと思われたのだが、こんな情報を耳にした。厄年の厄もいつかは尽きるらしい。
運の尽き、運を使いすぎた、という表現があるように運にはストックある。厄にもまた同じようにストックがあり、僕の体から抜けていくようなイメージのものらしい。ならば年始のうちにさっさと厄を抜き取っておきたい。
どのように抜き取るのだろうか?
その方法は(ある意味で)結構簡単で、例えば大事なもの、あるいは身につけているものを落とすというものがあるらしい。というわけでまずは財布を用意した。さっそく落としてみよう。
情報によれば落とすだけでよかったのだが、このときは思い込みによって地面に叩きつけてしまった。だってその方が厄が飛んでいくと思ったんだもん。
地面に叩きつけた財布はパーンという乾いた大きな音を立てた。いくつかの小銭が散って地面に落ちた。
少しくらい厄は離れていっただろうか。気分がいい。財布を落とすというちょっとショックな行為を通して、厄がどこかへ行った気もしてくる。してくるしてくる(暗示)。
続けて大事なものを地面に落としていきたい。