大事なものを落とす
大事なものってなんだろうと考えた末に、ハードディスクが思いついた。これが無くなったり壊れたりしたら、大変ショックである。
運の良いことに(こんなところに運を使いたくないが)、データの入っていない内蔵型のハードディスクを、つい先日発見したばかりだ。
僕は財布のときと同じように地面に叩きつけようとした。ばしーん。
できなかった。
もう使わないので、どのようにしても構わないハードディスクだったのだが、僕はどうしても投げることができなかった(その心境を表すのが上のわざとらしい写真)。
ハードディスクを乱暴に扱うという行為が罰当たり的に思えてしまうのだ。ハードディスクの神の祟りが恐ろしい。踏み絵はできても、投げハードディスクはできないデジタルキッズなのである。
落とすという運命を辿るハードディスクは、持ってくる時点ではプチプチによって保護されていた。
そのプチプチを再び装着して、なおかつ公園の踏み固められた固い土の上ではなく、柔らかい砂場の上に落とす。これなら体は拒否反応は起こさない。
すっと手を離し、とすっとハードディスクを落とす。儀式としてはこれでいいはずだ。ハードディスクに関する厄はなくなっただろうか。
身につけているものも落とす
大事なものの他に、いつも体に身につけているものも落とすと厄が抜けるそうである。それならばとメガネを生贄に差し出すことにした。
愛用のメガネ。乱暴に扱っているためにけっこうボロボロになって、レンズにも傷が大量についている。もはや一心同体と言っても過言ではない。僕の厄も、半分位はこのメガネに吸収されているかもしれない。
ということをして、メガネが割れたり折れたりしてしまうと、「厄年に調子にのる事なかれ」ということを身を持って知ってしまうので、これもまた砂場の上に落とした。