「麺」という言葉を辞書で引くと、「小麦粉などをこねて作った細長い食品」という説明が出てきた。その通り、麺というのはヒモのように細長い。
ならば、ヒモでできることは麺でもできるのではないだろうか。例えばそれは、一番やさしい組み紐のひとつである三つ編み。
もしかしたら新しい食感やおいしさの発見にもつながるかもしれない。そういうわけで、やってみました。
(小野法師丸)
ビジュアルと食感の新しさを求めて
買ってきたのは「極太ちぢれ」との表記が勇ましいタイプ。あまり細いとちぎれやすいだろうと思っての選択だ。
パッケージをよく見ると、「スープ絡みとコシの強さが自慢」と書いてある。この麺の通常状態でもそうなのであろうが、三つ編みにすることでその両方ともがパワーアップしないだろうか。
そんな期待を込めつつ麺を三つ編みにする。男ということもあってか、考えてみれば初めての経験。妻に教えてもらったのだが、思っていたほど難しくはないと感じた。
麺を切らないように慎重に扱い、とりあえず六組編んでみた。これで元の麺が18本分ということになる。
編んだ麺を見てまず思ったのは、なんだか短いなということ。もともとあまり長いタイプの麺ではなかったようだが、編むことでさらに短くなった。
ラーメンとは別の物体になったような気もするが、次の工程はゆで上げだ。
とりあえずはパッケージの表記通りの時間ゆでてみた。編み上げたものを見たときよりも、鍋の中に入っているのを見たときの方が違和感がアップ。
よく知っているはずのラーメンのなのに、手芸的な要素が加わったためなのか、どうにも妙な感じを覚える。
スープを作って器に入れる。編んだものをゆでるとどうなるか心配な部分もあったのだが、恐る恐るスープの中から箸で持ち上げると、ちゃんと三つ編みになったままだった。
うれしい。けど、すごく変だ。
さて、普段ラーメンを食べるときのように、ずるずるとやってみた。…唇に感じる、いつもとはちょっと違う感覚。意識して食べると、三つ編みの編み目がうねうねと通り過ぎていくのがわかる。
なんか変。もともとのラーメンの味が損なわれているわけではないのだが、おいしいというよりはおもしろい、という感想の方が先立つ。
編み目があるためか、スープの乗りも心なしか普段より多いような気もする。
しかしやや残念だったのは、いかんせん短くなってしまったこと。編み込んだことで長さが減り、麺類独特の食感にはやや欠ける部分もあった。
その点を踏まえて、今度はうどんで挑戦してみよう。先ほどのラーメンよりは三倍ほど長いこのうどん。これならば三つ編みにしても、麺類的な長さを維持できるだろう。
基本的に手順はラーメンと変わらない。経験値がアップしている分、三つ編みするのも早くなった。
うどん打ちには本業の職人がいるし、素人でも結構な経験が必要だと思う。うどんを手早く編んでいると、うどんは全然打てないけれど、勝手に職人になった錯覚を覚える。
あくまで錯覚ってわかってる。その割には、組み上がったものを前にしたときのうれしさは結構あるから不思議だ。
しばらく編み続ける。大体一人前分を編み上げただろうというところで、ゆでの工程に入ろう。編んだうどんを皿に並べているときは「きれいなもんだな」と思っていたのだが、鍋に入れてちょっと印象が変わった。
なんだかヒモをゆでているみたいなのだ。ちょっとした綱と言ってもいいかもしれない。なんか変。
普通のうどんもヒモのような形状をしているわけではあるが、そんな風に思ったことはない。やはり編み目というものがヒモっぽさを加速させるのだろう。
ともあれ、パッケージ通りの時間ゆでてみた。水で洗って盛りつけよう。
水で洗ってつやつやしたうどんは、鍋にあるときよりもヒモっぽさが減退。規則的にくねくねしているけれど、あくまでうどんというビジュアルを放っていると思う。
それでもやはり違和感はともなう。普通にうどんに対する「おいしそう」という思いと、編んだことで湧いてきた「おもしろそう」という感じが混ざるからだろうか。
では実際に食べてみる。…ラーメンと同様、まず唇をうどんが通り抜けていくときの感触がおもしろい。特に、意識して口を閉じてすすると、うねうね感がよくわかる。
反面、期待していたコシについては、普通にうどんを食べたときと変わらないような気がした。口の中に入って何回か噛むことで、麺がバラバラになるからだろう。
おもしろいのは、両端の結び目を噛んだときの感触。基本的につるつるとしたうどんだが、この部分だけはおだんご状態になっていて、明らかに食感が違う。
うどんのおいしさのひとつには喉ごしという要素があるだろうが、それとは逆のおもしろさが結び目にはあるように感じた。
「おいしい」というよりも、「おもしろい」という感覚が先立った三つ編み麺類。「つるつるっ!」ではなく、「うねうねうね…」というすすり具合を楽しめました。