誰もが人知れず咲かせるシリアス
人は小便のとき、真顔になる。このことを知ったのは、とある観光地の施設で入ったトイレの内装が全て鏡張りだったことからだ。
処理中にふと前を見ると、思いのほか真剣な顔をした自分がいた。ちょっとかっこいい、とすら思った。
さすがにリアルな場面を公開するのはどうかと思うので、放出しているつもりになって、その際にどんな表情になるのか確認してみよう。
ポーズをそれっぽくとって、水たまりの脇に立ってみる。心の放水準備ができたら実験開始だ。
実際に出すことはしないものの、頭の中でいつもの放水のイメージを描く。…あぶない!シミュレーションなのについつい熱が入って、本当に出てしまいそうになった。
確かに真剣。人が真剣に何かに打ち込む姿はかっこいいというのはよく言われることだ。だから、小便をする人はかっこいい。そういうロジックだ。
守谷市は計画的に住宅都市として整備されたようで、とてもきれいで落ち着いた街だ。整理された道路に整然と立派な家が建ち並んでいる。
そんな中、街の一角の休憩広場にあるのが小便小僧。なんとなく格式の高さがうかがえる。掲示板によると、地域の協力で2004年に設置されたものであるらしい。
はじめの頃こそ止まらないおしっこに「おもしれえ!」と思っていたかもしれないが、ひと月目くらいからおかしいなと思い始めたことだろう。そして1年が経った頃にはすっかり虚ろになったという感じだろうか。
心に湧き続けるとめどない尿意。そういう運命の重みを感じさせる像だと思う。
本当にあるのかと心配になるような道を進んでいく。しばらく行って突き当たったダムの前に、確かに小便小僧は立っていた。ずいぶん人の気配のないところだ。
通行者に愛想をふりまくという小便小僧の一般的なイメージはここにはない。かなりハードなところにある。
都市における立ち小便は軽犯罪のそしりを免れない面もあるが、こうした山の中では自然と一体化するような開放感がある。ざっくりした感じでロハスな小僧とも言えるだろうか。
都会ではハレンチと受け取られかねない小便小僧も、大自然の中ではワイルドなハックルベリー。高低差のある放尿がダイナミックで、小なる便という枠にとどまらない。
森のさまざまなカスがくっついているのもこのロケーションならでは。鼻のところに下がっているものを拡大して確認すると、みのむしだった。
鼻の下にみのむしついてるワイルド。そんな状況をどうにもできないまま放尿し続ける小僧の表情はやはり虚ろだ。