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はっけんの水曜日
 
房総半島で大山倍達の足跡をたどった

結構普通に山道。装備も背負ってないのにキツイ。

清澄山の標高は377m

清澄寺の本堂の裏に、清澄山(正確に言うと妙見山)に登るための道があった。本堂の辺りは標高310mくらいとの事なので、およそ70mを登れば山頂に出られる。このところ山登りをサボって鈍った体に鞭打って登った。

山頂には小さな社が立っていて、眺望は特に無い。清澄山には極真空手発祥の記念碑があると聞いていたのだけど、ここにはなかった。どうやら別の場所に記念碑があるらしい。

山頂も電波が通じてiPhoneで調べられたので山門に戻って、今度は極真空手発祥の記念碑を探してみました。


清澄山山頂の社。壁にいろいろ名前が彫られてました。
大山さんの名前はありませんでした(当たり前)。

 

いよいよ極真空手発祥の記念碑登場

散々引っ張ってしまって申し訳ない。極真空手発祥の記念碑は、清澄寺から無料駐車場の方へだいぶ戻って、ドライブイン十兵衛の横にある階段を上った先にあった。

ここまでわかるのに、実はもうひとつ他の山にもうっかり登ってしまったんだけどそこはカット。


答えはすぐ近くにあった。

この前を何度も素通りしていた。自分の間抜けさに腹が立つ。

ドライブイン十兵衛の前にあるバス停。その横に案内の石碑が立っていた。これだ。これを探してたんだ。

ドライブイン十兵衛の窓辺には、大山さんの胸像が飾られていた。キタ。いよいよ来た。極真の風がビュービュー吹いている。

はやる気持ちを抑えて階段を上った。


大山さん、りりしい。
バス停と石碑の間の階段を上っていくと記念碑に着きます。

押忍!!って、こんな気の抜けた正拳突きが未だかつてあったか。

極真空手発祥の歴史が書かれている。

大山さんは1年半山籠りしたのだそうな

極真空手発祥の記念碑には、山籠りやその後の修行について書かれていた。それによると、大山さんは終戦間もない1948年に清澄に入山。1年半の長きに渡り山籠り修行を行ったのだという。常人なら1年半も清澄山に籠もるなんて出来ない。

大山さんの人生を元に描かれた漫画「空手バカ一代」では、片眉をそり落として(恥ずかしくて)下山できないように自分を追い込んで修行する様子が描かれている。[参考リンク]何度も読み返す本

飢えと孤独に打ち克ち、山籠りを終えた大山さんはその足で千葉県館山(房総半島のさらに南)へ向かい牛と対決して倒したのだという。このエピソードから、しばしば牛殺しと呼ばれている。

その後はあらゆる格闘家と対決して全勝。ゴッドハンドと絶賛され1964年に国際空手道連盟総裁および、極真会館館長に就任。なるほど、だから大山館長って呼ばれたり大山総裁って呼ばれたりするのだな。


館山に行こう

よし、発祥の地と山籠りした場所はわかった。では「牛を倒した」という館山に行ってみよう。もしかしたら牛を倒された牧場があるかもしれない。


2ページ目がやや短くなってしまったので猫の写真をお楽しみください。


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