かっこつけるのが大事 競技としての蹴鞠は通常4〜8人で行われ、チームで鞠を落とさず蹴り続ける団体戦と、鞠を落とした人が負けとなる個人戦がある。 ようは鞠を地面に落としちゃ駄目ってことなのだが、それ以上に大事なのが、鞠を蹴るときの美しい所作。上体を動かさず、腰や膝をまっすぐ伸ばし、足裏が相手に見えないように蹴らなくてはならない。
続かないけど楽しい
日本で独自に進化した蹴鞠は様式美を重んじ、貴族としてふさわしくない動きやふるまいは御法度のようだ。ようは、球を落とさないことよりかっこつけるほうが大事で、そこがサッカーのリフティングと違うところだ。
上記を踏まえ、まずは2人対面して鞠を打ってみた(鞠を蹴ること)。
基本をおろそかにしている2人なので、ラリーが続かない。おまけに動きもなんかワチャワチャしていて貴族の優雅さはない。平安時代だったら即破門だこいつら。 でも、やり始めてすぐ「あ、これ楽しい」と分かった。 土曜日の午前中に早起きしただけの価値はある。仕事をすっぽかすほどの対価はないけど蹴鞠は楽しい。
そもそもTシャツ短パン姿の貴族なので優雅もくそもない(どちらかというと蹴鞠から派生したといわれるセパタクローっぽい)んだけど、心だけでも貴族でありたい。
3人だとラリーもけっこう続いて楽しい(とはいっても5回続いて喜んでるレベル)。そして誰かが落とすと素直に飛び出すガッツポーズ。貴族の場合は多分ガッツポーズとかしないで、いやらしくほくそえむのかもしれない。かっこつけでいじわる。貴族といえばそんなイメージだ。
蹴鞠だけじゃなく仕事もしよう
平安後期における蹴鞠の達人、藤原成道(「蹴聖」と呼ばれた)においては1000日もの間、来る日も来る日も蹴鞠の修練にいそしんでいたらしい。ていうか仕事しろ。
蹴鞠にはそんなふうに人を駄目にしちゃうエピソードが満載なのだ。果たしてどれほどの中毒性があるというのか。またやりたくなって仕事にいかなくなるほどはまったらどうしよう。