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ちしきの金曜日
 
100均フリーダム


100円ショップでこんなに買ったのはじめて

100均フリーダム。
それは、突飛な商品コンセプトの肯定。
100均フリーダム。
それは、おおざっぱなデザインの肯定。
100均フリーダム。
それは、細かいことを気にしない精神。

100均フリーダムを知った者は気づくだろう。
自分の感性が今まで、洗練という名の鎖によって
がんじがらめにされていたことを。
自分のイマジネーションが今まで、
常識という名の檻に囚われていたことを。

(100均フリーダム宣言より)

大山 顕



『瓶のフタにサイコロをくっつけてはいけない』というルールなど、どこにもない。


「せっかくの段差なのに」という名言が出た

いぜん「あの可哀想な人」という記事を書いたことがある。我々のために日々体を張って危険な目にあっている「ピクトさん」を収集している「日本ピクトさん学会」の内海さんと「ピクトさん」鑑賞にでかけた顛末を書いたものだ。楽しかった。

その内海さんが、最近新たなプロジェクトをはじめた。その名も「100均フリーダム」だ。

100円ショップにある「フリーダム」な商品を通じて我々自身をフリーダムへと開放する。そういう試みだ。なんだそれ。

たとえば、こんな感じ。


2009年の「フリーダムデザイン大賞」受賞作品。【「100均フリーダム」より】

砂の入った瓶。なにに使うのかもよくわからない。誰が買うのかもよくわからない。そう、100円ショップにありそうな商品だ。しかし、内海さんはこれを昨年2009年の「フリーダムデザイン大賞」に認定した。なんだそれ。

曰く「『瓶のフタにサイコロをくっつけてはいけない』というルールなど、どこにもない。それなのに、どうして我々は今までそれを思いつかなかったのだろうか」。

いや、まあ、ねえ。思いつかなかったのだろうか、って。ねえ。

まあ、とにかくサイトをご覧いただきたい。100均商品に、こともあろうに「自由」を見出したのだ、内海さんは。どこに自由を見出そうと自由だが、もっとべつのところで自由を感じたほうがいいのではないかとおもう。しかし当人が発見しちゃったのだからしょうがない。そういう発見の数々が綴られているのだ。


「見れば見るほど味わい深い、すてきな100均クリエイティブの世界」帯のコピーより。100均クリエイティブ、て。

そしてさきごろ、彼のこの「解放運動」の成果は本になった。100円ショップを「フリーダムだ!」と言うサイトが本に。

『100均フリーダム』(ビー・エヌ・エヌ新社 ¥ 1,050)

この出版社こそがいちばんフリーダムだと思う。

とにかくサイトも本もめっぽうおもしろいので、フリーダムについて内海さんとちょくせつ話をしよう。さいきん会ってなかったし。

ということで、いっしょに100均ショップをめぐった。


 

フリーダムを阻害するパッケージ


さあ、自由はどこだ。

今回、内海さんにフリーダム道をご教授いただくために、岡山へやってきた。おきにいりの100均へ連れて行ってもらう。

ひさしぶりの再開だが、その舞台は100均だ。ふたりとも37歳だ。

…さあ!自由を買いこもう!


確実にフリーダムをみつけたければキーホルダーや置物のコーナーがよいという。

というかその「確実」ってなんだ。というか、そもそも100均にあるフリーダムってどういうものをさしているのか。

それはおいおい記事を読んでいって感じてください。


さあ、さあ、自由はどこだ。

しかし、たしかに実用品、とくに分文房具コーナーなどを見てみると、フリーダムな存在がない。ちゃんとしている。がっかり。いや、がっかりするところではない。

「フリーダムなものをみつけるのには苦労してるんだよね。そうだな、2、3時間見てまわって1つあるかどうか、っていうぐらい」

いや、まず100均ショップに2、3時間滞在するというのがすごい。結婚生活はだいじょうぶか。

内海さんのサイトや本を見てしまうと、100均ショップってフリーダムでいっぱいな気がするが、実際はそんなことはないのだ。


かくも自由を手に入れるのは難しい。しかし、実は心がけひとつなのだ。例えば、ぼくが「これは野菜のストラップか。まあそれほどフリーダムじゃないかなあ…」と悩んでいたときのこと。


「ちりめん風」にはややフリーダムを感じるが、まあ、野菜だし、と思っていたら…

「パッケージに惑わされずに、そのモノ単体そのもので見ないと」

そうなのだ。パッケージに「野菜」って書いてあるから、ああ野菜ね、って思っちゃうけどこの商品を袋から出してぱっと見せられたら、おそらくなんだか分からないだろう。

なんなのか、正体不明。その正体不明感を醸し出すのが、「突飛な商品コンセプト」「ざっくりとしたデザイン」「細かいことを気にしない精神」。これがフリーダムだ。


まったく予備知識がなかったら、これがなんなのか、さっぱり分からないだろう。このざっくりとした造形。コードなきメッセージ。これはまごう事なき100均特有のフリーダム。

パッケージの言葉にだまされてはいけないのだ。フリーダムを押さえ込むのは言葉なのだ。つまり理性を表す「ロゴス」がもともと「言葉」という意味であるのは、そういうことなのだ。たぶん。きっと。てきとうなこといってすまん。


わかったような気になっていたが、こうやってじっくりと見ると、実はなんだか分からない。

ぼくらは物事を「ぼんやりしているとよく分からなくて、しっかり考えるとそれが分かるようになる」というふうに思っているが、実は逆なんじゃないだろうか。

上のフリーダムをご覧いただきたい。ぼんやりしていると「ああ、これ、ケーキでしょ」と思ってしまうが、じっくり見ているとどんどん分からなくなる。いや、ケーキかな。ほんとに。

なんとなく内海さんのいうフリーダムが分かってきた。


単体でみたら、フリーダムすぎてなんだかわからない。

わからない。そして閉まらない。

わからない。

こうして、パッケージのロゴスに支配されるのだ。

「あと、パッケージに突っ込んじゃダメ」

というと?

「ぼくも初心者のころはパッケージに突っ込んでいたんだけど、それはだめなんだよ」

なんでだめ?

「…まあ、それはフリーダムじゃないんで」


100均商品を見るまなざしは、真剣そのもの。

そうなのだ。パッケージに書いてあることとは、人でいえばいわば「肩書き」だ。履歴書で恋ができるか。ちがうだろう。ぼくらはいつだってその人そのものを知りたい、と願うはずだ。その人がどこに勤めているか、役職はなんなのか、そういうことをとりはらって見たとき、その人のフリーダムが見えてくるのではないか。

…またてきとうなこといってすまん。


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