右脳の感覚で描く
左右の脳はそれぞれ顔の半分の感覚を司っている。
では左半分の感覚をなくしてしまえば、左脳的な言語的・分析的感覚は減るのではないのだろうか。
顔の左半分の感覚をなくしてみようと思う。
描いている最中は花びら一枚一枚より、全体のわさわさした感じが気になった。
当然片目で見ているせいもあるだろうが、見え方がなんだかちがうのである。
決してうまくなったとは言えないだろうが、ボリューム感というか全体のまとまり感はそれらしくなってはいないか。(さっきのブラシみたいなのと比べての話です。)
これは右目だけで見たからなのかもしれない。
左脳を抑圧する
今度は左脳に通じる感覚を封じるだけでなく、左脳を抑圧してみようと思う。
これを抑圧というのかは分からないが、要するに左あたまをゴムバンドで縛る。
かなり左脳が抑圧されているのがわかる。というか、単なる圧迫というのかもしれない。
完全に右脇の下や肩、首にも余計な力学が働いているが、ひとまずこれしか方法がないのでこうする。(万力を使うことも考えたが無理だろう。たぶん。)
左脳の圧迫とそれ以上の脇の下の締まり具合に、なんでこんなことをしているのかわからなくなってきた。そんな状況で描かれたのがこれだ。
不自然なぼやぼやとしたラインが、コスモスの周辺に浮かんでいる。もちろんコスモスが大気圏に突入している様子ではない。
これはなんなのか。
眼鏡がゴムと干渉してずれたせいで、対象であるコスモスが正視できなかったため、このようになってしまった。到底絵がうまくなったとは言えない。
だが、一方である意味「見たままを描く」という、右脳的な感覚が働いたと考えることはできないだろうか。考えることはできそうである。考えるだけなら。