アゴに肘をくっ付けようとしても、絶対にくっ付けることができない。
肘とアゴ、一見簡単に触れることができそうだけれど、人間の体の作りの問題で絶対に触れることができないのだ。
触れることができないと言われると触れてみたくなる。天邪鬼根性だ。
アゴに肘で触れたら一体どんな感触なのだろう。きっと手で触るのとは違う感触のはずだ。
その未知の感触をぜひ味わってみたいと思う。
(地主 恵亮)
アゴと肘はくっ付かない
有名なことだけれど、アゴに肘で触れることはできない。 たまに思い出したかのように、挑戦するのだけれど、結果はいつも同じだ。触れられないのだ。もしも触れられたら、どんな感触がするのだろうか。
アゴに肘で触れられないことで起きる問題点は今のところない。25年生きて来た僕だけれど、一度もそれで困ったことが無い。
でも、触ってみたいのだ。きっと素晴らしい感動があると思うのだ。初めて飛行機の中で飲んだコンソメスープに感動した時のような。
じゃ、誰かに頼めばいいのだ
自分の肘は自分のアゴを触ることはできないけれど、誰かの肘を僕のアゴに触れさせることなら可能だ。
そうすれば、肘の感触をアゴで楽しむことができる。 「オレの物はオレの物、お前の物はオレの物」という考え方もあるので、他人の肘だろうがほぼ僕の肘みたいなものだ。
弟の肘を僕のアゴに当てた。 楽しみにしていた感触は、皮膚の柔らかい感じの後で骨の硬い感じが来る、おおよそ誰もが想像したであろう通りだった。手で肘を触った時と違いが無いのだ。
そのためかイマイチ感動が無い。 触れ合うことが無い場所同士が触れ合ったのに。もしかすると、弟の肘が特殊かもしれないので、他の人の肘も拝借することにした。
僕の人脈をフルに活かして4人の肘を僕のアゴに当てた。フルに活かした人脈が4人と言うのは些か悲しいが、それはまた別の問題だ。
肝心の感触はみんな一緒だった。 女性の肘を当てた時の方が嬉しいというのはあるが、感触は同じだ。その感触には、先述の通り一切感動がない。 とりあえず次のステップへと進んでみよう。
肘の感触に似た物を探す
肘をアゴに当てた時に、似ているな〜と思った食材を買ってきた。これを実際にアゴに当てて、似ているものを見つけ出そうと思う。見つけられれば、誰かに頼まなくても、アゴに肘で触れた時の感触を楽しむことができるのだ。画期的!
買って来た食材をアゴに当てた結果、そっくりだったのは「レモン」だった。もうほぼ、肘だ。再現度はスカイツリーくらいに高い。これでいつでも肘でアゴを触った時の感触を楽しむことができる。
が、しかしである。 お目当てのものを見つけたのにやっぱり感動がなかった。おかしい…。普段、触れられないところに触れた上に、ほぼ同じ感触を体験できるものを見つけたのに感動は皆無。
それはやっぱり感触が手で触った時と同じだったからだ。勝つはずないよな〜と思っていたら、やっぱり勝たなかったみたいな感じだ。
その感触に感動を
普通は触れ合うことがない場所が触れ合ったのに感動が無い。感触が手で触った時と同じだったというのはあるけれど、触れ合うことが無い場所が触れ合っているのだ。せっかくなので、そこに感動を求めてみようと思う。
自然の中で食べるお弁当は普通に食べるより美味しかったり、キツい思いをしたプロジェクトは終わった後にいつも以上に満足感があったりすると思う。
これに習うと、自然の中でキツい思いをした後にアゴにレモンを当てれば感動を得られるのではと思うのだ。
景色が良いところで食べるおにぎりは美味しいとも言うので、自然の中で、さらに景色がよい山の頂上を目指すことにした。山道はキツいので、これならアゴに当てた時に感動を得られるはずなのだ。
今回登る「岩茸石山」は周りに山しかない山だ。高尾山のようにケーブルカーやリフトがあれば楽なのだが、この山は自分の足で登るしか方法が無い山だ。片道2時間半かかる山なのだ。
険しい道のり
登山家のジョージ・マロリーは、なぜ山に登るかと聞かれ「そこに山があるから」と答えている。僕が山に登る理由は、アゴに肘を当てた時の感触に感動するためである。そのためなら普段全く運動しない僕も山に登るのである。
ビックリするくらいキツい。膝が痛い、腰が痛い、息が切れると何一ついいことがない登山をしている。ただ、キツければキツいほど山頂でのアゴにレモン(肘)の感動は大きくなるはずだ。運動後のビールが美味しいのとほぼ同じことだ。
山頂へ
普段から2時間半も歩くことはなく、ミスターインドアの名を地元では欲しいままにして来た僕が感動のために一人山に登っている。24時間テレビのマラソンの人はこんな気持ちで走っているのだろう。
頂上への最後の少しがとても急になっていて、キツくてキツくてたまらないところにとどめを刺してくれる。これがアゴにレモン(肘)を当てるため以外なら帰っていたと思う 。それくらいにキツい。でも、頑張った。
そして、感動へ
二時間半をかけてどうにか山頂にたどり着いた。いい景色だ。スカイツリーも見える。達成感もすごい。さぞ感動することだろう。散々キツい思いをしてたどり着き、自然に囲まれ景色もいい。そんな場所で、普段触れ合うことが無い、肘とアゴが触れ合うのだ。
疲れからか、なんだか分からないけれど感動だ。 このために朝早く起きて山に登ったのだ。山に登りきった時点でかなり感動していたが、やっぱり感動だ。アゴとレモン(肘)が触れ合うことは感動なのだ。
30分ほど山頂で感動を堪能して下山した。 結論はアゴにレモン(肘)を当てると感動するということだ。ただし、キツい思いをして山に登った場合となる。運動を普段からする人は、富士山あたりに挑戦したら感動するのではないだろうか。僕は当分山に登りたくない。
アゴに肘は感動する場合もある
アゴに肘を当てても感動はなかった。しかし、山に登ったらそれなりに感動があった。ただし、これはアゴと肘が触れ合ったことへの感動ではなく、よく山に登ったなオレ、という感動だったと思う。いや、でも、感動は感動だ。