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ロマンの木曜日
 
瀬戸内台場物語


瀬戸内の風は冷たい

以前、「鳥取お台場巡り」という記事を書かせていただいた。台場といえば、すっかり東京の地名として定着したけれど、実は鳥取にもありますよ、という旨の記事だった。

しかし、台場があるのは東京や鳥取だけにとどまらない。さらに、兵庫県の明石市や、明石海峡を挟んだ対岸の淡路島、または大阪の堺市などにも存在するのだ。

今回は、そのような瀬戸内海沿岸の台場を巡ろうと思う。

木村 岳人



まずは台場についての復習をざっくり

そもそも台場とは、黒船が日本にやってきて開国を迫った江戸時代末期、それらの外国船を打ち払うべく、幕府や各藩が造営した砲台の事である。

東京のお台場には六ヶ所に砲台が設けられ、そのうち第三台場と第六台場が現存している。また鳥取では、鳥取藩が台場を八ヶ所に築いており、そのうち五ヶ所が史跡として整備されており、見学が可能だ。


なかなか良好に残る東京の第三台場跡
砲台っぽい土塁が残る鳥取の由良台場跡

とまぁ、こんな感じ。不要になって久しい事もあり、たいていは土塁(土を盛って築いた土手)が残るだけではあるけれど、そこに想像力(妄想力とも言う)を働かせ、歴史ロマンを見出すのがこの手の史跡の正しい使い方だ。

 

明石海峡大橋の袂にお台場が

さて、今回は瀬戸内海沿岸の台場である。

淡路島が目前に迫る兵庫県の明石海峡は、大阪への船の出入りを監視するのに適した場所だ。と同時に、けしからん船に砲撃を浴びせるのにも適した場所である。そんなワケで、明石海峡の両岸には、それぞれ台場が築かれた。

まずはそのうちの明石側、「明石藩舞子台場跡」を見に行こう。最寄り駅は、明石海峡大橋の真下に存在する舞子駅だ。


ホームに降りると、いきなり明石海峡大橋の橋脚がそびえ立つ
駅前は小奇麗で、東京の台場的な雰囲気も少しある

そして、目の前には明石海峡大橋がどーん

舞子の町は、何だかまぁ、洒落た海浜地区という感じだ。その中で、やはり明石海峡大橋は、私のような小さき者どもに対してその圧倒的な存在を誇示している。

駅前に掲げられた地図で舞子台場の位置を確認してみると、どうやらすぐの所にあるらしい。駅から徒歩3分の優良物件、交通アクセスが楽なのは、まことに良きことかな。


地図ではこの辺だったんだけど……
……って、どれ?

あぁ、これか!

舞子台場は、ほとんど海辺の護岸と同化していた。

そこに台場があると知っている人でないと、多分、見落としてしまうだろう。いや、知っている私でさえも、見落としかけた。

大砲型のベンチ?のようなものがあったのと、護岸の欄干や柱などが、年代を帯びた文化財的な雰囲気を発していたので、かろうじてここが台場なのだと分かったに過ぎない。


うむ、まさしく舞子台場
しかし……風が物凄く強い!

この日は海風が凄まじく強く、内海のクセに打ち寄せる波も荒く激しい。瀬戸内海は穏やかな海だと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。と言うのも、自分撮り用に立てた小型の三脚が強風で見事に倒され、ちょっとしょんぼりしたのだ。

気を取り直して、舞子台場全体を見直してみる。


ほとんど、マンション前の空き地と化しているな

特徴的なのは、石垣で築かれているという事か
ほとんどの遺構は埋め戻されているけど、部分的に見学できる

この舞子台場は、かの勝海舟によって設計がなされた砲台。それも、国内唯一の総石造台場として貴重なのだそうだ。

しかし、駅前の海辺という一等地故の宿命か、今では周囲の護岸に埋もれ、マンションの影でひっそり余生を過ごしている。かつては石垣がW字型に積まれていたらしいが、露出しているのはその半分程度で、残りは地中に埋め戻されたとの事。

東京の台場のお陰で、台場、台場と言葉で聞くと、何とも華やかなイメージがあるが、その実態はまぁ、このような、ちょっと分かり辛い類の史跡である。


次は、対岸の淡路島に行こう
しかしこの記事、地味かなぁ

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