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はっけんの水曜日
 
滋賀県、奇祭、ホイノボリを見てきた

最後は神楽で締める

クマザサの儀式も終わり、最後にまた巫女さんが釜の前で神楽を舞い始めた。これで5つの釜に入ったお湯は完全に清められたのだろう。そうに違いない。


締めの神楽。お疲れ様でした。

これだけ清めたらもう、お湯って言うか聖水なんじゃないか。弱い物の怪なんか一振りで寄ってこなくなるに違いない。お湯はやっぱり各町内で配ってお風呂に入れたりするのだろうか。


儀式後の釜である。なんだか雰囲気が違ってみるような気もする。

釜の中を覗くと、紙垂(しで)やクマザサの残骸が漂っていた。最初の方で入れた紙吹雪も入っている。御利益のいいダシが出ていそうである。


一見するとゴミが浮いたお湯だが、神事の結果なのである。

聖水と言って良いお湯である。この後どうするのだろうと思って、釜の火を世話していた神社の人に聞いてみた


「ああ、捨てるんや」とアッサリ言われた。

まさかの答えだった

「このお湯、どうするんですか?」

「お湯?ああ、捨てるで。」

「え、捨てちゃうんですか?」

「そうや、捨てんねん。浴びるか?」

そうなのだ、散々清めといてお湯自体はあっさり捨てちゃうのだ。なんだろう、この感じ。正直、ずっこけた。

僕なりに考えてみたのだが、おそらくお湯自体には意味がなくて、行為に意味があったのだ。儀式をやるという事に意味があるのであって、結果として出来る聖なるお湯に価値は無いのだ。

それなのに僕はお湯という物質にこだわってしまっていた。物質文明に染まった卑しさを見透かされたような気分である。僕って、ほんとバカ。

バカだけど「浴びるか?」という言葉は丁重にお断りした。だってそれ、熱湯じゃん。


お年寄り中心なのにみんな手慣れているので撤収は早い。

同じタイミングでホイノボリも撤収

境内のお湯儀式が終わった頃、ちょうど下のホイノボリも撤収されていた。なんという阿吽の呼吸。これでまた町会の倉庫にしまわれ、1年後また使われる。

こういう事を何百年も続けてきたのだ。ホイノボリの意味とかお湯の意味とか、そんなの割とどうでも良くて、こうして祭りを通して地域が一体になるって事に意味があるのかも知れない。

いや、そもそもお湯とかホイノボリとか祭りの意味なんてつまんない事どうでもいいじゃん、って言われた気もして、なんだか衝撃的なお祭りだった。もう、意味なんて考える必要は、ない!のだ。


結構飲んでたと思うのだけどサクサク片付けていく。
結構紙が散っていたが、鎮花祭的な意味は・・・いいか、意味とか。

普通に平日の月曜日という事もあり、ほとんどがお年寄りである。いつまで続けられるのだろうか。

ホイノボリとお湯、どっちもすごかった

その後行った滋賀のスーパーでは缶飲料が逆さで売られていた。

関西に行くといつも驚く。母方の祖母は福岡出身なので僕は福岡クォーターだが、大人になって出張で行くまで静岡県より西には行った事がなかった。だから、関西に行くと全てが珍しい。

滋賀も同様で、いつ行っても面白い。夏には松の木にたいまつを投げつける「火振り祭り」というのがあるらしいので見に行きたい。なんやかんやで1年中変わったお祭りしてるなぁ、日野。


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