まさかの答えだった
「このお湯、どうするんですか?」
「お湯?ああ、捨てるで。」
「え、捨てちゃうんですか?」
「そうや、捨てんねん。浴びるか?」
そうなのだ、散々清めといてお湯自体はあっさり捨てちゃうのだ。なんだろう、この感じ。正直、ずっこけた。
僕なりに考えてみたのだが、おそらくお湯自体には意味がなくて、行為に意味があったのだ。儀式をやるという事に意味があるのであって、結果として出来る聖なるお湯に価値は無いのだ。
それなのに僕はお湯という物質にこだわってしまっていた。物質文明に染まった卑しさを見透かされたような気分である。僕って、ほんとバカ。
バカだけど「浴びるか?」という言葉は丁重にお断りした。だってそれ、熱湯じゃん。 |