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ゴリラの水曜日
 
「県境」というバス停があるらしい、これは行かずにいられない
け・ん・ざ・か・いーっ!

東京都稲城市と、神奈川県川崎市の県境近くに、その名もズバリ「県境」というバス停が存在するという情報をつかんだ。

これは行かずにいられない。
西村まさゆき
(にしむらまさゆき)
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。
> 個人サイト 新ニホンケミカル TwitterID:tokyo26


大好物がドッキング

「県境」と「バス停」。バス好きでかつ県境好きのぼくにとっては、鴨が葱を背負って来るような、盆と正月が一緒にやってきたような。そんな場所である。

県境好き、バス好きを自称するのであれば行かずにいられるわけがない。

というわけで、行ってきた。


京王電鉄相模原線若葉台駅!(神奈川県側)


新宿から京王電車に乗って40分ほど、若葉台駅にやってきた。バス停「県境」はここが最寄り駅である。

県境のバス停に向かう前に、若葉台駅周辺の地図をご確認頂きたい。



見ての通り、駅前を県境が横切っている。
駅舎はほとんどが神奈川県だけど、駅の北口を出るとすぐに東京都になる。


北口を出ると……


東京都稲城市!


ほら、稲城市


ちなみに、この若葉台駅、駅舎はほぼすべて神奈川県側にあるが、若葉台という地名は東京都稲城市側の地名である。



スマホで地図を確認。メガネを外してスマホ操作すると老眼っぽい


なるほどーこうなってるのねー


で、県境バス停はどこに?

ところで、肝心のバス停「県境」はいったいどこにあるのか?

じつは、この境目のあたりからバス停ふたつ分ぐらい離れている。



ちょっと遠い。でも、行かずにはいられないので歩いて向かうことに。


ちょうどここ! 県境!

行きしなに通りかかる県境にいちいち興奮しつつ、県境のバス停に向かう。

というわけでね、県境に向かうわけですけども

道幅が狭い割に交通量の多い鶴川街道を北上する。この辺りは、緩やかな丘陵地に開かれた宅地と耕作地、そして武蔵野の雰囲気を残す雑木林が交互に続く。

途中「於部屋」という不思議な名前のバス停を見つける。


由来がまったく想像できないバス停名

実は、この「於部屋」バス停の方が「県境バス停」より県境に近い。「県境バス停」はここからさらに北上した場所にある。


ついに発見、県境バス停


あ、あれは……

あ、県境……

こ、これか!

あった〜!

みつけたでー!

ついに見つけた「県境」のバス停は他のバス停と同じく、特筆すべきようなことは特にないといえばない。

ただ、ひとつ不明な点はある。この「県境」というバス停、県境と名乗るわりには県境からちょっと離れている。



もっと県境に近いバス停は、先ほどの「於部屋」や「下黒川」などいくつかあるのに、微妙に遠いこのバス停が「県境」になった理由はなんなのか?

気になるのでバス停に書いてあった電話番号に電話して小田急バスに話を聞いてみた。


小田急バスに電話中

――すみません、県境というバス停についてなんですが、県境から微妙に遠い気がしますけど、どうしてですか?

小田急バス「すみません……営業所ではわかりかねますので本社の方へお願いできますか?」

当たり前である。バス停の歴史なんか営業所でわかるわけない。資料が揃っている本社へ改めて問い合わせし直したところ、調査した上で、折り返し連絡を下さった。

小田急バス「お問い合わせの県境バス停の件ですが、県境のバス停は昭和24年12月27日に設置されました」

――戦後すぐか、ずいぶんむかしですね


ずいぶんむかしですね

小田急バス「県境バス停は実は設置された当初は、もっと県境に近い、若葉台駅付近に設置してあったんです」

――ウホッ? 今と場所が違ってたんですか?

小田急バス「はい、資料によると、今のはるひ野の辺りにあったと書いてあります」

――どうして移動したんですか?

小田急バス「詳しいことはわからないのですが、新しいバス停が設置される際に横にスライドする感じで移動していって今の位置になったらしいです」

――ということは、「県境バス停」はもともと、本当に県境近くにあったけれど、新しいバス停ができるときに移動して今の位置になった?

小田急バス「そうですね、現在、県境に近い場所にある於部屋、下黒川、黒川などのバス停が昭和48年6月13日に設置されてますので、「県境バス停」が県境から遠ざかったのはおそらくその時でしょうね。ただ、それ以上のことは資料が残ってないのでわからないです」

――なるほど……これはあくまでぼくの想像なんですが、新しい宅地が造成されてバス停が増やされるときに、今まであるバス停の名前を変更して移動させるというのは、おそらく運輸省や警察の手続きが面倒な上にややこしいので、既存の「県境」バス停を、名称そのままで移動させて存続させた……というところでしょうか?

小田急バス「その可能性はありますね」

――『県境』というぼんやりした名称もよかったかもしれないですね、これがもし地名や駅名だったら、移動して離れちゃうとまずいですからね

小田急バス「でしょうねえ」

どうやら「県境バス停」は、多摩ニュータウンの開発とともに、微妙に位置をずらしてきているらしい。

ちょっとわかりにくいので、地図に各バス停をマッピングしてみた。



赤=県境バス停、青=於部屋バス停、黄=下黒川バス停、緑=黒川バス停である。
於部屋、下黒川、黒川のバス停が新しく設置されたのは昭和48年。若葉台駅の開業が昭和49年、そして若葉台駅の南を走る小田急多摩線の開業も昭和49年。

おそらく、駅や新路線が開業する前にバス停を設置したのだろう、県境バス停は、その頃に県境から遠ざかった……という経緯らしい。

県境バス停は移動していた

最後はすっかり私の推測になってしまったのだが、おそらく県境バス停が実際の県境から微妙に離れている理由はこんなところだと思う。


お墓参りのご婦人方にも県境は大人気

この記事は2015年4月1日のエイプリルフール企画の記事です。内容は本当ですが、ライターがゴリラだというのはウソです。本当は人間です

 

 
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