ウサギ島までの道のり
ウサギがたくさんいるのは広島県にある大久野島。島へは忠海(ただのうみ)駅という駅近くから出るフェリーに乗って10分ほどで渡ることができる。
と書くと手軽に聞こえるが、実際はこの忠海駅まで行くのがなかなかハードだった。僕は移動が好きなのでどちらかというと楽しく過ごせたが、せっかちな人なら途中で怒り出すんじゃないかというほどのんびりとした鉄道なのである。道中寝て、起きてメールチェックして朝ごはん食べて、また寝た(そのあと起きてもまだ着いていなかった)。
駅近くのコンビニには島に渡る人用にウサギの餌が売られていた。
フェリーに乗ってしまえば10分ちょっとで着きます。
到着。
フェリーを降りると5秒でウサギ
大久野島のフェリー桟橋に降りて対岸を望むと、いたるところに茶色い丸いのが動いているのが見える。
すでに大量のウサギたちに出迎えられているのだ。島に上陸すると待ってましたとばかりにウサギが駆け寄ってくる。
人を見るとこんなかんじで突進してくる。
一瞬でこう。
動物園のふれあいコーナーでもこうはいかないだろう。
島に降りたての観光客は餌を持っていると知っているのか、フェリー乗り場周辺のウサギたちは遠慮がない。人の行く手を封じる勢いで間を詰めてくる。
わかった、わかったから、ちょっと落ち着いて。
この島のウサギたちは野生とはいえ、ものすごく積極的なので動物好きじゃないと若干ひくかもしれない。猫みたいにローテンションでゴロゴロしている感じではない。
しかしこちらから触ろうとすると巧みに人の手をよける。そのあたりの押し引きをよく理解しているのだ。たぶんこうして人とのやりとりを毎日こなしているのだろう。そういう意味でここのウサギは、野生でありながらかなり人に寄った生活をしているといえる。
大久野島についても少しだけ。
島には周囲をめぐる道が整備されていて、歩いて1時間ほどで一周することができる。島の真ん中に小高い山があって麓には立派な国民休暇村と観光用の施設がいくつか。それ以外は特に何もない。民家もない。
かわりにウサギがいる。
ほんとにたくさんいる。
住民がウサギに変えられちゃったんじゃないかと思うほど。
ウサギは猫や犬と違って鳴かないので(鳴く種類もいるらしいが、この島にいるウサギは鳴かない)カサコソと静かに寄ってきては静かに人に群がる。群がる理由はたぶん餌が欲しいからである。
なので何ももらえないとわかると次の瞬間そっぽを向く。これがなんとなく腹立つけど可愛い。
さっきまでこの勢いだったウサギたちが
こいつ何も持ってないな、とわかると急にそっぽを向くのだ。
その割り切り方がクール。
こうやって書くとまるで僕がウサギを好きじゃないみたいだが、そうではないのだ。僕は毛の生えた動物が全般的に好きなのだけれど、なんというか、数が多すぎるのである。たぶん今日家に帰っても「野生のウサギ見た!」とは話さないだろう。山の中で一羽だけ見たのならば、ぜったいに興奮してみんなに自慢するところなのに。
「ウサギ=鳩」説
ところでここのウサギたちの「音もなく近づいてくる」「何ももらえないとわかるとそっぽを向く」「特に逃げない、でも一定の距離は保っている」。
この習性、何かに似ていないだろうか。
そう
鳩である。
ここのウサギは鳩扱いなのだ。
鳩。
この島にしか当てはまらないかもしれないけれど、増えすぎた野生のウサギは鳩と同じ扱いになる。ああいるなー、くらいの存在感。
1時間くらい島を歩きまわっただけでたぶん300羽くらいのウサギに会えるので、これはもういちいち「可愛いー」って興奮していると体がもたないのだ。ウサギの数え方は伝統的に「何羽」と数えると思うが、あれ、鳩みたいだからじゃないのか。
次のページではこの島のウサギ以外の見どころを紹介します。
毒ガスの島でもあります
急に話は変わるがこの大久野島、戦争中は毒ガス兵器が秘密裏に製造されていたのだとか。当時はこの事実を隠すため、地図にも載っていなかったらしい。そんな歴史に翻弄された島でもある。
当時の毒ガス製造工場とか貯蔵庫なんかの廃屋が島中に残されていて、戦争を知らない僕らの世代が見ても、じっとりと汗をかくほどのリアリティなのだ。早い話が、怖い。
ものすごいハードな廃墟なんだけど
ポップな企画で彩られていたりする(たぶん○○○○に入る答えは「どくがす」)。
ここは証拠隠滅のために火炎放射器で焼かれた跡らしい。黒焦げのまま放り出されていた。
廃墟には音がない。たまに茂みからウサギが現れる。
島にウサギが増えたのは毒ガスの実験に使われたものが野生化した、という説もあるらしいが、実際はどうもそうではなく、戦争よりもずっと後に地元の学校から逃げたものが増えた、という見方が強いらしい。
毒ガス製造の歴史を知ることができる資料館。ものすごく生々しい資料が見られます。
ウサギ島ならではの注意。踏むもんね、うんこ。
僕が島に行ったのがオフシーズンの平日の朝だったこともあるかもしれないが、大久野島はただただ静かな島だった。瀬戸内海を通ってくる風の音の合間に、茂みの中からウサギのカサカサいう音が混じるくらいである。夏にはキャンプや海水浴客で賑わうという話だが、戦争の時代のもっとずっと前から、きっとこの島はこんな静かな場所だったんだろう。島にはいつの時代かわからない匂いが残っていた。
ハードな廃墟とふわふわのウサギがなにしろミスマッチ。
大久野島からフェリーに乗って忠海駅に戻り、駅前のコンビニに入ったらなんだかホッとした。パンと牛乳を買って駅のベンチで食べていても足元にウサギが寄ってこない。
かわいい生き物は大量にいるとそのかわいさが倍々になるわけではなく、むしろ薄まって鳩くらいの存在感になるのだなあ、と帰りの電車を待ちながらぼんやりと思いました。
不思議な島です
島の真ん中にある山に登ったりと、半日くらいこの島で過ごしたのだけれど、人の気配のない島というのはやはりちょっと不気味なものである。山道を歩いていると、生い茂った木の奥に戦時中に作ったと思われる砲台跡がむき出しで残っていたりして、そしてその脇には「ウサギさんのお水」と書かれた皿が平和に置かれていたりするのだ。
静と動、怖いとかわいい、そんな正反対の空気がむりやりに同居している場所、大久野島はそんな不思議な島でした。