特集 2014年9月24日

「代々木公園」に行って地名の由来を調べてみる

閉鎖されてない「代々木公園」
閉鎖されてない「代々木公園」
代々木がたまたまある、というぐらいならまだわかる。しかし、その近くに新宿だとか原宿、有楽町、千代田、晴海、銀座、御幸通り……と、こんなに集中してるのはどう考えても怪しい。

いったいこれはなんなのか?
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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周南市徳山地区の東京地名

山口県周南市の徳山駅周辺の地図をご覧頂きたい。地名になにか違和感を感じることはないだろうか?
やたら多い東京風地名
やたら多い東京風地名
銀座、有楽町、新宿、原宿、代々木、晴海、千代田と……東京風の地名がやたらあるのだ。

どうしてこんなに東京の地名があるのか?

気になったので、徳山まで確認しにいった。

代々木、新宿、原宿がある町

JR徳山駅
JR徳山駅
周南市は10年ほど前に徳山市、新南陽市、鹿野町、熊毛町が合併してできた市だ。東京風地名があるのは旧徳山市周辺に集中している。

まずは気になっていた「代々木通」に向かう。
代々木通一丁目
代々木通一丁目
徳山の「代々木通一丁目」は、ごく普通の市街地だ。残念ながら代々木ゼミナールではなかったが、予備校もあるぐらい駅に近い場所である。
代々木通にある予備校、なんかちょっと惜しい
代々木通にある予備校、なんかちょっと惜しい
東京の代々木には代々木公園という大きな公園があるが、徳山の代々木にも「代々木公園」が存在する。
門柱に堂々と代々木公園の文字
門柱に堂々と代々木公園の文字
東京の代々木公園に比べるとずいぶん小さめな公園だが、立派に正真正銘の「代々木公園」である。
広場と遊具がある以外は特に変わったことのない「代々木公園」
広場と遊具がある以外は特に変わったことのない「代々木公園」
「太平洋戦争被災 復興ここに成る」と書かれた記念碑
「太平洋戦争被災 復興ここに成る」と書かれた記念碑
公園内には戦災復興事業を記念したかなり大きな記念碑があった。この復興事業が徳山の東京風地名のなぞを解く鍵になるわけだが、それは後ほど述べたい。

さて、続いて気になっていたのは代々木通のすぐ横にある「新宿通」という地名だ。

地図でみると「新宿三丁目」という交差点があるのでそれを見に行く。
黄色いガードレールは山口県の県道のしるし
黄色いガードレールは山口県の県道のしるし
代々木公園の横を通る道の先が新宿通だ。
手前と斜向かいがガソリンスタンドの「新宿三丁目」交差点
手前と斜向かいがガソリンスタンドの「新宿三丁目」交差点
バス停名も「新宿三丁目」
バス停名も「新宿三丁目」
東京の新宿三丁目交差点は伊勢丹やマルイといったデパートがやたらあるけれど、徳山の新宿三丁目はガソリンスタンドが多い交差点だった。

さらに、新宿通から住宅街の方へ入ると、こんどは「原宿町」が存在する。
普通の住宅街だけど、名前は原宿町
普通の住宅街だけど、名前は原宿町
徳山の原宿は、学校と住宅がある静かな町で、ファッションの町でもなんでもない。

もっとも、東京の原宿という地名はJRの駅名にしか残っておらず、すべて神宮前◯丁目という地名に変更されてしまっているので「原宿」という文字の書かれた街区表示板はたいへんめずらしい。ので、記念写真を撮った。
うっかり三脚をわすれてしまったのでこんな記念写真しか撮れなかった
うっかり三脚をわすれてしまったのでこんな記念写真しか撮れなかった

駅周辺には超有名繁華街地名が

さて、山手線西側の繁華街だけではない。徳山駅周辺には、山手線東側の繁華街の地名が名を連ねる。まずは駅すぐ横の有楽町。
「SHUNAN-C」というのが「キモチE~!」みたいにみえる。
「SHUNAN-C」というのが「キモチE~!」みたいにみえる。
東京の有楽町といえば、ビックカメラ、丸井、阪急、交通会館などが立ち並ぶ繁華街だが、徳山の有楽町は、ビジネスホテルや喫茶店、スナック、居酒屋が並ぶ通りだ。
周南市の有楽町
周南市の有楽町
手描きっぽい明朝フォントがかっこいい
手描きっぽい明朝フォントがかっこいい
徳山の有楽町は、スナックや居酒屋といった店舗が多い。そのためか昼間は人通りもあまりなく静かだ。

「有楽町」から駅をはさんで反対側にあるのは「千代田町」だ。
カスれて見づらいけど千代田町の街区表示板
カスれて見づらいけど千代田町の街区表示板
ついに区名まで登場した。東京だと皇居や国会がある千代田区。そんな千代田だが、徳山の「千代田町」には王宮があった。
大きくでたな
大きくでたな
「パレロワイヤル千代田町」すなわち「千代田町の王宮」。やんごとない感じのマンション名である。大きく出たなと、おもわずいらぬ心配をしてしまう。

千代田町から駅をぐるっとまわると、銀座だ。
矢印付きの街区表示板は珍しい、こっから右が銀座一丁目だよーという目印か
矢印付きの街区表示板は珍しい、こっから右が銀座一丁目だよーという目印か
徳山の「銀座」はアーケードになっており、デパートや商店街が密集しているが、銀座の中心的存在であった「近鉄松下百貨店」は昨年の2月に閉店しており、周辺はひっそりかんとしていた。
シャッターの閉まっている建物が近鉄松下百貨店だった建物だ
シャッターの閉まっている建物が近鉄松下百貨店だった建物だ
徳山は出光興産やトクヤマ(徳山曹達)などの重化学工業で栄えた街だが、日本の地方都市の例にもれず、中心市街地の空洞化が深刻なようである。

御幸通りに糀(こうじ)町まで

銀座周辺にはちょっとメジャーどころを外した地名もある。JR徳山駅前にはめちゃめちゃ広い大通りがあるが、これが「御幸通り」だ。
名古屋なんか目じゃないほどでかい駅前の大通り
名古屋なんか目じゃないほどでかい駅前の大通り
「御幸通」という住所があるのだ
「御幸通」という住所があるのだ
ちなみにこの御幸通り、銀座のすぐ横にある。偶然にも(白々しいけど)東京の銀座にもみゆき通りという通りが存在するのはみなさんご存知かと思う。

そして、銀座のすぐ近くには「糀(こうじ)町」も存在する。
「糀」も「麹」も同じ意味の漢字です
「糀」も「麹」も同じ意味の漢字です
徳山の「こうじまち」は漢字こそ国字の「糀」だが、東京の麹町にはないひなびた飲み屋街がある。
やってんのかやってないのかわからない飲み屋街
やってんのかやってないのかわからない飲み屋街
しかも、その飲み屋街には日暮里という店もある。糀町の日暮里。千代田区の中に荒川区があるというパラレルワールドが徳山にはあった。
味わい深いフォントの日暮里
味わい深いフォントの日暮里
でもよく見たら日暮里は廃業してました。

これはいったい何なのか?

さて、これら徳山の東京地名の数々。なぜこんな地名がついているのか?

徳山地方郷土史研究会の兼崎さんに伺ってみた。
周南市の観光ガイドもしている兼崎さん
周南市の観光ガイドもしている兼崎さん
――ざっと見て回っただけでもかなりの数の東京風地名がありましたが……これらはやはり東京の地名にあやかってつけられたものなんでしょうか?

「最近、よくテレビやインターネットでやや興味本位で取り上げられることも多くて……、『東京の地名をパクった』といわれて、ちょっと困ってるんですよ(笑)もちろん東京の地名にあやかって命名したという部分もあるんですが、全てがそうというわけでもないんです」

そもそも、徳山は戦前、海軍の燃料廠(戦艦大和が燃料を補給した補給基地)があったため、昭和20年に大規模な空襲にあい、江戸時代から続く毛利家徳山藩三万石の古い町並や宿場町みはみんな焼けてしまった。
戦前の地図をみせていただいた
戦前の地図をみせていただいた
――ということは、戦後の復興で町を新しく作りなおしたときに、地名を新しく付け直したということですか?

「そうです、基本的には江戸時代からの道はだいたい今も残っているんですが、戦後の復興事業で、新しい道路を作ったり、宅地の造成やらをして、町名の変更や新しい町名が必要になった。そこで各自治会(町内会)ごとに自主的に町名を決めて役所と相談して、新しい町名を決めたんです」

――現在の町名はその時にできた?

「えぇ、復興事業が完成したのが昭和33年ですから、そのころです」

――例えば代々木通は東京の代々木にあやかった?

「正確にいうと、江戸時代からこの辺りに『代々少路(だいだいしょうじ)』という通りがあったんですよ。その代々を残して、代々木通と名づけたんですね」

図書館の方が準備してくださった大正時代の地図をみると、確かに「代々少路」の地名が載っている。
ほんとだ! 「代々少路」って書いてある
ほんとだ! 「代々少路」って書いてある
――なるほどー、ただやみくもに適当に代々木と名づけたわけじゃないんですね

「新宿通と原宿町という地名があったと思いますが、これもちゃんと由来があるんです。地図のこの部分見てください」
「岡田原」と「今宿」
「岡田原」と「今宿」
「『岡田原』と『今宿』ってありますでしょう? むかし、この辺りは田んぼや畑だったんですが、復興事業で宅地が造成されたんです。そこで、今宿にできた新しいまちは、新時代を象徴する意味も込めて、新しい宿で『新宿通』に、そして岡田原と今宿の間にできた新しいまちは原と宿をとって『原宿町』にそれぞれ命名されたんです」

「代々木の近くにあるから新宿と原宿にしたんじゃないか?」というぼくの幼稚な邪推が兼崎さんの明解な説明でいっきに打ち砕かれた。
ガッテン!ガッテン!ガッテン!(脳内で連打してます)
ガッテン!ガッテン!ガッテン!(脳内で連打してます)
そうか、合成地名だったのか!

ちなみに、岡田原も今宿も地名としては今でも残っている。
今宿の公民館
今宿の公民館
岡田原の公園
岡田原の公園

御幸通も糀町もちゃんと由来がある

――なるほど、東京風地名は、好き勝手に適当にパクって名づけたというわけではないんですね。

「そうです、御幸通も昭和22年に昭和天皇が行幸されたので名付けられたものですし、糀町は江戸時代から糀町でした」
真ん中に「糀丁」の文字がみえる
真ん中に「糀丁」の文字がみえる
――江戸時代からの地名も多いんですね。

「多いです。ちょうど徳山の町の西と東の外れにそれぞれ『川崎』と『横浜』があるんですが、これも両方とも江戸時代からある地名なんです」
たしかに横浜は空襲前から存在してる
たしかに横浜は空襲前から存在してる
江戸時代からある「横浜」
江戸時代からある「横浜」
江戸時代からある「川崎」
江戸時代からある「川崎」
すごい。東京だと南にある川崎と横浜という地名だが、徳山は西と東に従えているのだ。将棋の飛車角みたいな話になってきた。

中には由来がはっきりしないものも

――千代田町や青山、桜木町というような地名もありますが、これらもやはり復興を願ってつけられた?

「おそらく、そうなんですが、ただ由来がはっきりしないものもあるんですね……」

――青山なんかは江戸時代の地図をみると、ちょうど同じような場所に「青石」という地名がありますが、これは由来に関係してますかね?

「あぁ、確かにありますねぇ、ただはっきりしたことはわからないですね」
現在の青山町のあたりにある「青石」
現在の青山町のあたりにある「青石」
現在の青山町
現在の青山町
中には由来がはっきりしないものもあるにはあるのだが「代々少路」が「代々木通」になったことを考えれば、石が大きくなって山になり、青石を青山にしたというのもありそうな気もする。

戦災からの復興を願ってつけられた

復興計画完成直後の航空写真。御幸通のぶっとさにビビる
復興計画完成直後の航空写真。御幸通のぶっとさにビビる
徳山の東京風地名に関しては、戦後復興事業のさい、東京のように復興して発展するようにという願いが込められていた。

普通、新しい地名を名付けるさいは、扇町とか末広町のような瑞祥地名を名づけたり、ひばりヶ丘やあざみ野みたいなイメージの良い言葉を選んで名づけたりすることが多いわけだけども、徳山のそれは東京の地名がそれだったわけだ。

ただ、代々少路や、新宿、原宿のように由来がはっきりしてるものもあれば、青山町や千代田町のように由来がわからなくなっているもの、元々偶然同じ地名だったものなど、そのルーツはさまざまで、ましてや十把一絡げに「パクった」とくくるようなことはできないことがわかった。

ただ、何れにしろ、新しい町名が決定して半世紀以上。すでにリトルトーキョーとしてみょうになじんでいるようなきもする。
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