特集 2016年2月5日

歴代高さ日本一のダムを追う

1963年からの長期政権を敷く黒部ダム
1963年からの長期政権を敷く黒部ダム
高さ日本一のダムと言えば黒部ダム、というのは割と有名だと思う。

黒部ダムは高さ186mで、1963年に完成して以来、日本一の座を欲しいままにしている。いまのところ、これ以上大きなダムの建設予定はないから、今後も王座に君臨し続けるだろう。

では黒部ダムが完成する前に高さ日本一だったダムはどこだろう。そしてその前は?

そんな歴代の日本一高いダムを調べました。
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
(動画インタビュー)

前の記事:レア水門を愛でよう

> 個人サイト ダムサイト

日本史で言うと徳川幕府

黒部ダムは戦後の高度経済成長期、国の発展に電力インフラが追いつかず、頻繁に停電をするような時代の救世主として誕生した発電専用のダムだ。

ダムが造られる前の黒部峡谷は人跡未踏の地で、そんな場所に関西電力が社運をかけて建設したドキュメントは小説や映画としても描かれ、日本一のダムという事実とともに広く知られている。

スペックが最強のうえにドラマにも事欠かない。さらに会社の観光開発もあって、年間100万人以上が訪れる名実ともに日本のトップに君臨するダムだ。高スペックなダムにはますます人が集まり、そうでないダムはアピールする機会もない。ダム界も格差社会なのだ。
ダム好きの目から見てもやっぱり別格の存在感だと思う
ダム好きの目から見てもやっぱり別格の存在感だと思う
そんな黒部ダムは1963年に完成。それから50年以上経った今でも、日本には黒部ダムを凌ぐ高さのダムは計画されていない。今後、人口が減っていく中でダムの需要が増えることは考えづらいから、少なくともあと100年以上は日本一の座にあり続けるだろう。徳川幕府並みの長期政権が約束されている。

今後、黒部ダム以上のダムが計画されるとすれば、人口が減って今よりさらに大都市への集中が起きた上で、現在活躍しているダムたちが寿命を迎え、さらに気候が熱帯化して極端な大雨や渇水が起こるようになった未来、だろうか。黒部ダムを超えるダムは見たいけど、そんな時代に生きるのは大変そうだ。

前政権も一時代を築いたダム

さて、では1963年6月に黒部ダムが完成するまで高さ日本一だったダムはどこか。

これは調べるまでもなく分かった。日本のダムの高さ順を見てみると、186mの黒部ダムの次が176mの高瀬ダム(1979年完成)、その次が161mの徳山ダム(2008年)、そして158mの奈良俣ダム(1991年)と続く。これらはすべて黒部ダム以降に完成したダムだけど、その次に並ぶのが157mの奥只見ダム(1960年)なのだ。つまり1960年から1963年5月までの3年間は奥只見ダムが日本一高いダムだったことになる。
重力式コンクリートダムという形式では現在でも高さ日本一
重力式コンクリートダムという形式では現在でも高さ日本一
奥只見ダムも発電専用。やはり戦後の復興にともなって不足する首都圏の電力をまかなう目的で、国営企業の電源開発が建設した。

ダム建設というと映画「黒部の太陽」に代表されるように黒部ダムのドラマが知名度では抜きん出ているけれど、奥只見ダムも全長22kmのうち18kmがトンネルという工事用道路を造らなければならないほど、山奥での難工事だった。ちなみに小説「ホワイトアウト」のモデルになったのはこのダムである(映画では黒部ダムの外観が使われた)。
3年間とはいえ一時代を築いた人が持つ凄みがある
3年間とはいえ一時代を築いた人が持つ凄みがある
実際に本物を目の前にすると、およそ6億立方メートルもの水をせき止めている堤体は緊張感がみなぎっていて、時代のせいか装飾的要素もほとんどなく、ほとんど直線で構成された端正な立ち姿に惚れ惚れしてしまう。
いったん広告です

戦後復興のシンボル

奥只見ダムが完成する1960年以前の最も高いダムは、1956年10月に完成式を迎えた天竜川の佐久間ダムだ。奥只見ダムと同じく電源開発が建設した発電専用の重力式コンクリートダムで、高さは奥只見ダムより1.5m低いだけの155.5m。

このダムはアメリカから輸入した建設機械や招聘した技術者の手を借りながら、約3年という超ハイペースで完成。日本のダム建設技術を一気に引き上げた記念碑的な堤体だ。
それまでより高さを一気に40m以上更新した
それまでより高さを一気に40m以上更新した
ここまで見てきて分かるように、巨大ダムの建設という意味では日本のダム建設を牽引してきたのは発電用、つまり電力会社が多い。なぜなら水力発電の出力は単純に水の流量と落差で決まるから、水の豊富な川に高いダムを作る、というのがもっとも効率的なので、高度経済成長期には全国の大河川に各電力会社がこぞってエース級の巨大ダムを建設した。

たった2ヶ月の短命政権

しかし、実は佐久間ダムが完成する直前にそれまでの記録更新を果たしていたダムがある。栃木県を流れる鬼怒川の支流、牡鹿川に当時の建設省(現・国土交通省)が建設した高さ112mの重力式コンクリートダムで、発電だけでなく治水や農業用水の確保といった役割を持つ多目的ダム、五十里ダムだ。
日本の歴代総理で言えば宇野さんくらいの在任期間
日本の歴代総理で言えば宇野さんくらいの在任期間

関東地方は戦後、荒廃した山林の影響で毎年のように洪水被害に見舞われ、特に1947年に襲来したカスリーン台風は利根川の流域に未曾有の被害をもらたした。そこでダムによって洪水調節を計画し、利根川水系の各地で治水用のダム建設が始まった。

五十里ダムはそんな時期に利根川水系最初の治水ダムとして造られ、日本一の高さだけでなく、重力式コンクリートダムで初めて高さ100mを超えたダムでもあるのだが、完成した1956年8月の2ヶ月後に上の佐久間ダムが完成。栄光はあっという間に過ぎ去ってしまった。

現在では鬼怒川流域に造られた国土交通省の多目的ダムでもっとも低く、利根川水系全体でも中堅クラスとなってしまったけれど、完成から50年以上を経ても放流設備を増強したりして一線級の働きを続けている。記憶に新しいところでは去年秋に鬼怒川流域で大洪水が発生したとき、下流の堤防が決壊してしまったとは言え、上流では五十里ダムをはじめとしたダムたちがギリギリまで水を貯めて耐えていた。

初のアーチダムがいきなり日本一

1956年8月に誕生した五十里ダムより前に日本一の高さだったダムはどこだろう。これも高さの順に沿って見てみると、1955年5月に完成した、高さ110mの上椎葉ダムであるらしい。

上椎葉ダムは日本で初めて100mを超えたダムであり、そして日本で初めて建設されたアーチダムでもある。高さ日本一なんて謳わなくても十分に話題豊富なのだ。
高さ日本一がそれほど重要ではないほどの要素を持った上椎葉ダム
高さ日本一がそれほど重要ではないほどの要素を持った上椎葉ダム
上椎葉ダムは九州電力が建設した発電用ダムだ。このように、新しい技術を投入してくるのも発電ダムが多い。アーチダムという海外から初めて入ってきた技術をもし上椎葉ダムが採用していなかったら、あの黒部ダムも形式か高さか完成した日付が異なっていたかも知れない。上椎葉ダムは日本のすべてのアーチダムの始祖なのだ。
日本のアーチダムはここから始まった
日本のアーチダムはここから始まった
いったん広告です

まもなく役目を終えるかつての王者

日本初のアーチダムに王座を奪われたのは、洪水調節と発電という異なる用途を持たせたかなり初期のダム、木曽川の丸山ダムだ。
斜陽の丸山ダム
斜陽の丸山ダム
丸山ダムは岐阜県内を流れる木曽川に1954年4月に完成した高さ98.2mの重力式コンクリートダムで、王者在位期間はおよそ1年。うまく説明できないけど、戦後から現在まで受け継がれる巨大重力式コンクリートダムの基本形を最初に示したダムなんじゃないかと思う。

もともとは発電用として建設されていたところに治水の用途を追加したので、工事の途中から高さをかさ上げしたという。ひょっとしたら、発電だけなら高さ日本一の栄光には輝いていなかった可能性もある。
しかしさらなるかさ上げが行われることに
しかしさらなるかさ上げが行われることに
しかし、あるとき丸山ダムの処理能力を上回る洪水が発生、下流で大規模な浸水被害が起こってしまい、丸山ダムは増強工事が行われることになった。具体的には、丸山ダムのすぐ下流におよそ25mも高い新丸山ダムを建設し、現在の丸山ダムは新丸山ダムのダム湖に水没することになってしまった。

現在、道路などを高い場所につけ変える工事が行われていて、それが終われば本体工事が始まる。高さ日本一経験ダムとは言えあと数年で役目を終えてしまうのである。

戦前の王者

丸山ダムが完成したのは終戦から9年後の1954年。その時点での高さ日本一のダムは、日本が第二次世界大戦に参戦する3年前の1938年に完成した、宮崎県の塚原ダムだ。高さ87mの発電用重力式コンクリートダムは、日本だけでなく東洋一の重力式コンクリートダムと呼ばれていたという。建設時は海辺の延岡市からおよそ40kmもロープウェイが張られてセメントなどの資材が運ばれたという。ちょっと想像できない規模だ。
戦前から戦後にかけておよそ16年間王座に君臨した塚原ダム
戦前から戦後にかけておよそ16年間王座に君臨した塚原ダム
塚原ダムの特徴は、ダムの上にまるで中世ヨーロッパのお城を模したような凹凸があること。これほどの巨大建造物は当時の技術者たちにとっても未知の領域だったはずで、彼らにすればまさしく城や要塞のようなイメージだったのかも知れない。
レゴブロックのお城シリーズのよう
レゴブロックのお城シリーズのよう

外国企業が設計した東洋一のダム

塚原ダムの前に高さ日本一だったダムは、富山県を北上し富山湾に流れ出る庄川に建設された小牧ダム。発電用の重力式コンクリートダムで、高さは79.2m。こちらも当時は東洋一のダムと言われていたらしい。当時の日本にはこれほどの巨大ダムを設計する技術がなかったため、アメリカ企業が設計を行ったそうだ。
それ以後のダムと雰囲気が違う
それ以後のダムと雰囲気が違う
小牧ダムが完成したのは1930年、昭和5年で80m近くある。現在に比べて大きな建物も少ない時代にこのダムを目にした人々の驚きはどのようなものだったんだろう。
いったん広告です

大正末期に完成した50m超ダム

小牧ダム以前に高さ日本一だったダムが建設された時代はとうとう大正時代まで遡り、1924年(大正13年)に岐阜県に大井ダム(高さ53.4m)、広島県に帝釈川ダム(56.9m)という発電用のダムが相次いで完成している。詳しい資料がないのでどちらが先に完成したか詳細は不明だけど、残念ながら帝釈川ダムの写真を持っていないので、ここでは大井ダムが先に完成したと仮定して大井ダムを紹介したい(とは言え小牧ダム完成までの6年間は帝釈川ダムが高さ日本一のはず)。
不可能と言われた木曽川をせき止めた大井ダム
不可能と言われた木曽川をせき止めた大井ダム
大井ダムは福沢諭吉の養子である福沢桃介が手がけた発電用ダムで、建設は困難を極めたが何とか完成にこぎつけ、このダムを足がかりに木曽川の開発を進め、それが後の関西電力の礎となった由緒あるダムである。
ダムの脇にはなんだか由緒ありそうなものが
ダムの脇にはなんだか由緒ありそうなものが
名門ダム感が滲み出ている
名門ダム感が滲み出ている
大正13年にこの壁はインパクトあっただろうなー
大正13年にこの壁はインパクトあっただろうなー

発電用ダムで初めて天下を取ったのは

この時代になると資料もあまり多くないので正確なところは分からないのだけど、帝釈川ダム、大井ダム以前に高さ日本一だったダムは、どうやら山梨県の大野ダムのようだ。ダム好きでも関東の人以外は知らない人も多いと思う。1914年(大正3年)に造られた高さ37.3mの発電用アースダム(土を積み上げたダム)だ。何回か行ったことがあるけど「あそこが!?」と思ったほど意外だった。
100年前はここが高さ日本一のダムだったのだ
100年前はここが高さ日本一のダムだったのだ
日本一の高さから見下ろしても現在は特に感慨もない
日本一の高さから見下ろしても現在は特に感慨もない

最初に高さ日本一だったのは

さて、どこかでこの記事を終わらせなければならないので、ここでは日本で初めて造られたコンクリートダムを日本で最初の高さ日本一のダムとして紹介したい。

神戸市の山中に建設されている布引五本松ダムだ。完成したのは1900年(明治33年)、高さ33.3mの水道用ダムである。33.3mってひょっとして111尺ということだろうか。
日本で最初のコンクリートダム
日本で最初のコンクリートダム
完成から95年後の阪神淡路大震災でダメージを受けたものの、補修をして見事に復活。現役で活躍しているダムだ。

116年前、高さ日本一だったダムはこれからも神戸の街に水を供給してくれるだろう。

間違ってたら教えてください

というわけで、誰かがやっていそうで探したけど見つからなかったので、歴代高さ日本一のダムを調べてみた。慎重に調べたけれど、もし抜けているダムや情報を見つけたら優しく教えてください。
その前の日本一は何世紀かに渡って満濃池だろうか
その前の日本一は何世紀かに渡って満濃池だろうか
▽デイリーポータルZトップへ

banner.jpg

 

デイリーポータルZのTwitterをフォローすると、あなたのタイムラインに「役には立たないけどなんかいい情報」がとどきます!

→→→  ←←←

 

デイリーポータルZは、Amazonアソシエイト・プログラムに参加しています。

デイリーポータルZを

 

バックナンバー

バックナンバー

▲デイリーポータルZトップへ バックナンバーいちらんへ