特集 2016年7月4日

35歳にしてアメリカ人であることが発覚した話

35年前、ニューヨーク郊外の自宅アパート前にて
35年前、ニューヨーク郊外の自宅アパート前にて
本日、7月4日はアメリカの独立記念日である。だからといって、日本人である僕に特別な感慨はない。

いや、これまではなかったのだが、今は星条旗に敬礼のひとつもすべきではないのかという心境に至っている。なぜなら……僕、どうやらアメリカ人かもしれないんです。
1980年生まれ埼玉育ち。東京の「やじろべえ」という会社で編集者、ライターをしています。ニューヨーク出身という冗談みたいな経歴の持ち主ですが、英語は全く話せません。

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> 個人サイト Twitter (@noriyukienami)

ことのいきさつを説明します

順を追って説明しよう。話はまず筆者の出生から始まる。

僕は1980年、アメリカのニューヨークで生まれた。プロフィールにもそう記してある。
若かりし筆者。ニューヨーク自宅近くの公園にて
若かりし筆者。ニューヨーク自宅近くの公園にて
銀行員だった父の当時の赴任先がニューヨークで、一家で移住した3年目の秋に僕が生まれたわけだ。ブロンクスのローレンスホスピタルで、Dr.コーにとりあげてもらった。

両親は日本人だが、アメリカで出生した子どもには自動的にアメリカ国籍が与えられる。これを拒否することはできず、僕も日本とアメリカの二重国籍を保有したまま大人になった。
自宅裏のブロンクスリバーにて。よく家族でピクニックをした思い出の河川敷。憶えてないけど
自宅裏のブロンクスリバーにて。よく家族でピクニックをした思い出の河川敷。憶えてないけど
だが、日本は原則として二重国籍を認めていないため、20歳前後で国籍の選択を迫られる。僕の場合は18歳で両親の手続きのもと日本国籍を選び、以来、日本人として生きてきた。ちなみに、「元・アメリカ人です」は、僕の自己紹介ギャグのひとつである。わりとウケる。
1980年頃のマンハッタン。当時、父が働いていたワールドトレードセンターも見える
1980年頃のマンハッタン。当時、父が働いていたワールドトレードセンターも見える
あのビルに筆者も入ったことがあったらしい
あのビルに筆者も入ったことがあったらしい

日本国籍を選択しても、アメリカの国籍はなくならない?

僕はこれまで、日本国籍を選択した時点で、自動的にアメリカの国籍は失われるものと思っていた。だが、どうもそれは違うらしいのだ。

仕事でアメリカのグリーンカードのことを調べていたとき、たまたま二重国籍の解説をしている文献を見つけた。そこには、以下のような趣旨のことが書いてあった。

・米国の最高裁判所は二重国籍を「法律上認められている資格」としている
・一国の市民権を主張することにより他方の国の権利を放棄したことにはならない

この理屈に照らせば、日本国籍を選択云々というのはあくまで日本側の法律の都合によるもので、アメリカの法律上はまだアメリカ国籍が残っているということになる。

つまり、僕は元・アメリカ人ではなく、現役バリバリのアメリカ人である疑いが浮上してきたのである。まじか!
(※正確にはアメリカ国籍も保有する日本人)

こうなると、白黒はっきりつけておきたい。まずは、実家の母に当時の手続きのことを含め、色々聞いてみることにした。
母の近影は撮らせてもらえなかったので、実家の愛犬を載せておきます
母の近影は撮らせてもらえなかったので、実家の愛犬を載せておきます
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アメリカ国籍は持たせたくなかった母

―― そもそも生まれたときにアメリカか日本か、どっちか選ぶことはできなかった?

母「そうやね(※母は大阪出身です)、日本人やから(アメリカ国籍を)離脱したいといってもさせてくれなかったわけ。本人が一定の年齢になってから選ばないとアカンって言われて。

しかも、生まれた時点で日本の領事館にちゃんと『日本の国籍を留保します』っていう届け出を出しておかないと(日本の国籍はなくなってしまって)、アメリカ人になっちゃう。だから、とりあえずその留保の届け出は出すんだけど、正式な国籍選択の手続きができる年齢になるまでは二重国籍になってしまうのよね」

―― で、18歳のときに僕の意思を確認してから日本国籍選択の手続きをしてくれたよね

母「そう、でも本当はもっと前にさせたかった。あなたが小学生のときに湾岸戦争が起きて、お母さん心配性やから(あなたが巻き込まれるんじゃないかと思って)アメリカ国籍の離脱ができないか改めて聞いたのよ。でも、やっぱり18歳にならなアカンって言われた」
イエローキャブと母と兄(兄は日本生まれ)
イエローキャブと母と兄(兄は日本生まれ)
―― 国籍選択しないとどうなるのかな?

母「当時、お母さんが大使館とか外務省とかに問い合わせた時には『(手続き)せんでもいい。何も困らん』みたいに言った人もおったね。なんだかいい加減やなあと思ったけど、ほら、お母さん心配性やから(二回目)」
1981年8月、ボストン旅行にて
1981年8月、ボストン旅行にて
母は当時の手続き書類やコピーなども全て保管しておいてくれた。さすが、自称「きっちりしい」である。本当にありがたい。
アメリカの出生証明書。1980年、ブロンクスにて生まれたことが記されている
アメリカの出生証明書。1980年、ブロンクスにて生まれたことが記されている
アメリカのパスポート。すでに失効しているが、必要になるときがくるかもしれないと貸金庫で保管しておいてくれたらしい
アメリカのパスポート。すでに失効しているが、必要になるときがくるかもしれないと貸金庫で保管しておいてくれたらしい
若かりしパスポート写真
若かりしパスポート写真
―― 僕ってアメリカのパスポート持ってたんだ

母「家族のなかであなただけアメリカ人だったからね。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも持ってないけど、あなただけアメリカのパスポートだった。パスポート以外の書類も、全部控えをとってあるから。これが18歳の時に提出した国籍選択届ね」
平成10年に提出した国籍選択届のコピー。「日本の国籍を選択し、外国の国籍を放棄する」との意思を示すものだが、重い決断の割には紙切れ一枚の簡素な書類である
平成10年に提出した国籍選択届のコピー。「日本の国籍を選択し、外国の国籍を放棄する」との意思を示すものだが、重い決断の割には紙切れ一枚の簡素な書類である
母「お母さんの記憶では、国籍の選択をしたいと言ったらこれが送られてきた。すぐに記入して手続きをしたんだけど、そのあと特に『手続き完了しました』みたいな連絡はなくて、戸籍謄本にちゃんと載るから大丈夫ですよって言われたのね。それで、少ししてから取り寄せたのがこの謄本」
手続き後、母が手配した戸籍謄本。確かに「国籍選択の宣言届出」とある
手続き後、母が手配した戸籍謄本。確かに「国籍選択の宣言届出」とある
―― あくまで日本に対して「(日本国籍を選ぶ)宣言をした」ってことで、アメリカ側からみるとアメリカ国籍は失われていないんだろうね。ややこしい

母「そこまでは思い至らなかった。手続きするとき、誰も教えてくれなかったから……。ごめんなさい」


いやいや、インターネットもない時代にここまで自分で調べて手続きするのは大変だっただろう。むしろ、当事者なのに母親に任せっきりにしていた自分が恥ずかしい。
すまん、母。こんど温泉でも連れていくからな。

あ、ちなみに「国籍持たせたくないんだったらアメリカで生まなきゃよかったじゃん」みたいな、的外れな批判はやめてくださいね。
「お父さんが写真に興味がない人やったからあまりないよ」といいつつ、大量のアルバムを保管していた母
「お父さんが写真に興味がない人やったからあまりないよ」といいつつ、大量のアルバムを保管していた母

けっきょくアメリカ国籍あるの? ないの?

さて、いよいよ核心である。結局のところ僕はアメリカ人なのか? 在日アメリカ大使館に電話で問い合わせてみた。
自由の女神は一度だけ見に行ったらしい
自由の女神は一度だけ見に行ったらしい
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日本語が通じる担当者が教えてくれたところでは、やはり日本の国籍選択手続きをしただけでは、正式にアメリカ国籍を離脱したことにはならないという。アメリカの国籍離脱の手続きは本人しかできないため、「あなたが手続きをした記憶がないのであれば米国籍は残っているはずです」とのこと。

いくら僕がぼんやり生きているといっても、そんな重要なことを忘れるわけがない。手続きはしていない。

ということは…

おれ、アメリカ人だ。
ハロー、ホワイトハウス
ハロー、ホワイトハウス

アメリカ人だったっぽい

日本の国籍選択届を出しているので断言していいかは分からないが、少なくともアメリカの見解としては日本人でもありアメリカ人でもあるということになった。

ハハハ、なんてこった。オーマイゴッドだねジョニー(ジョニーという知り合いはいません)
グンモーニン、ペンタゴン
グンモーニン、ペンタゴン
なお、アメリカにおける僕の国籍の取り扱いが現在どうなっているかについては調べようがないらしく、あくまで大使館などで離脱の手続きをしていないのであれば「(国籍が)ある」ということらしい。国籍ってそんなもんなのか、データベースとかで管理されていたりするんじゃないのか?
ハーイ、ハリウッド
ハーイ、ハリウッド

国籍離脱の手続きは今からでも可能

ちなみに、離脱の手続きは今からでも可能。まず、在日アメリカ大使館にて2回の面談を行ったのち、正式に国籍の離脱を申し出る。その後、ワシントンDCにある国務省の許可が降りれば離脱となるようだ。

面談には予約が必要で、1回目の面談時にメリット・デメリットを聞いたうえで、そのまま国籍を保持することもできるという。検討の猶予は30日間。離脱をしない場合はそのまま2回目の面談に進まければいいとのこと。

だが、メリット・デメリットで決めていいような話なのか、聞くと揺らいでしまうのではないかと悩んだが、やはり話だけは聞いてみたいと思い、1回目の予約をすることにした。
1981年8月、ニューポートにて
1981年8月、ニューポートにて

面談は2カ月後

さっそく大使館のウェブサイトから申し込んだところ、約2カ月後に予約がとれた。メール一本のやりとりで予約できたのは意外だったが、それは僕がアメリカ人だからなのだろう。

返信メールには「米国の市民権の喪失に関するカウンセリング」とあった。面談相手は大使館の領事(アメリカ人)だが、希望すれば通訳もつけてくれるらしい。

離脱か維持か、どちらを選ぶかは正直決めかねている。だが、少なくともあと数か月はアメリカ人なわけだ。ティーボーンステーキを食べ、バーボンを飲みながらゆっくり考えたいと思う。

1982年、日本帰国時に立ち寄ったロスのディズニーランドにて
1982年、日本帰国時に立ち寄ったロスのディズニーランドにて
子どもにアメリカの国籍をとらせるため、ハワイなどで出産しようと考える人もいるらしい(ただ、国籍取得目的の現地出産は原則として認められていない)のだが、うちの母親に関しては日本の国籍選択届を出すまでの18年間、本当に気が気ではなかったようだ。なぜなら、「心配性やから」。

メリット次第では揺らいでしまいそうだが、母の思いを汲んで離脱し、心配性な母の心配ごとをひとつ減らしてやるのが親孝行なのかもしれない。「元・アメリカ人」のギャグもまた使えるわけだし。
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