昭和27年から31年5月まで此のポイントに住んでました。
当時は相浦火力発電所の増設工事に伴い建築関連の仕事の
需要があふれている時期でした。
父方も母方も祖父や叔父が九州電力勤めだった関係で
父も当時の住所で佐世保市畑中免光町21番地の建築会社に
勤めていました(当時の会社は倒産し現在は有りません)。
板を打合わせただけの粗末な家に住みセメント打ち放しで
肌触りザラザラの共同風呂に入る日々でしたが子供心にも
活気の有る生活でした。
後半は川向こうの真申に引っ越したのですが、其方の正確な
場所は残念ながら覚えていません。
真申側に引っ越しして間もなく父が事故死した為、熊本へ引っ越しました。
その後、成長するに連れ一度は訪れたいと思いながらも
生活に追われ行く機会も無く57歳になってしまいました。
現在は発電所も移転して更地になっており当時の面影は
残っていないと思いますが、何方か真申駅を背にして昔の
発電所方向を撮って頂けたら嬉しく思います。
どうか宜しくお願いいたします。
|