特集 2011年7月14日

温かいお接待と冷たい橋の下~遍路日記まとめ~

ポンジュースだけじゃない、愛媛県
ポンジュースだけじゃない、愛媛県
2011年4月29日から始まった「木村岳人のお遍路日記」は、なんとかその全ての行程を歩き切り、2011年6月30日に無事完結した。丸々二ヶ月、よくもまぁ、飽きもせず毎日歩き続けられたものである。

先月、先々月には、その遍路の様子をまとめた記事も書かせていただいた。徳島編「歩き遍路はじめました」と、高知編「風吹き荒び、雨打ちつける、怒涛の高知県」だ。

遍路が終わった今、さすがにこれ以上引っ張るのもどうかと思い、残り全部を一気にまとめてしまおうと思ったのだが……はい、スミマセン、愛媛県内での出来事があまりに膨大すぎて、一つの記事にまとめられませんでした。

というワケで、今回は遍路日記まとめ愛媛編です。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)


> 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter

「菩提の道場」愛媛県

四国遍路はかつての国、現在の県ごとにステージが分かれている。徳島県は「発心の道場」、高知県が「修行の道場」、そして今回の愛媛県は「菩提の道場」だ。

菩提とは、すなわち悟りの事である。という事は、私はこの愛媛県で悟りを開かねばならないという事か。しかしそれとは裏腹に、高知県から愛媛県に入っても、疲れただとか、天気が心配とか、そんな煩悩ばかりが頭をよぎる。

う~ん、幸先が不安だ。
今回は高知県と愛媛県の境、松尾峠から
今回は高知県と愛媛県の境、松尾峠から
よく整備された山道を下りる
よく整備された山道を下りる
一本松という集落で一休みしていたら――
一本松という集落で一休みしていたら――
おなじみ、フランス人二人組と遭遇
おなじみ、フランス人二人組と遭遇
愛媛県は、人との出会いが多い県であった。もはやおなじみとなったポングたち二人とも、この愛媛県に入った直後に再会している。

この二人は、徳島県で幾度となく顔を合わせたフランス人である。三ヶ月の休暇を利用して来日し、四国88箇所霊場を周っているという。

高知県に入ってからは長い間姿を見かけなかったものの、土佐久礼でまさかの再会を果たし、そして愛媛県ではこの二本松集落での再会を皮切りに、毎日のように会う事になる。
先に行った二人を追いかけるように歩き――
先に行った二人を追いかけるように歩き――
川沿いの道を行くと――
川沿いの道を行くと――
40番札所、観自在寺に到着
40番札所、観自在寺に到着
観自在寺でお参りを済ますと、時間はちょうど17時であった。私は基本的に宿を使わず、野宿で遍路をやっている。そろそろ寝床を探さねばならない時間であるが……。聞くところによると、この観自在寺には通夜堂があるらしい。

通夜堂とは、本来は夜を徹して行をする為のお堂であるが、現在は遍路が無料で宿泊できる仮眠所の事を指す。野宿遍路にとっては大変ありがたい、ご好意の施設である。
通夜堂は境内の隅に、ひっそりとある事が多い(こちらは33番札所、雪蹊寺の通夜堂)
通夜堂は境内の隅に、ひっそりとある事が多い(こちらは33番札所、雪蹊寺の通夜堂)
内部はこんな感じ(こちらは観自在寺の通夜堂)
内部はこんな感じ(こちらは観自在寺の通夜堂)
通夜堂は基本的には寝るスペースがあるだけなので、そこにマットや寝袋を敷いて雑魚寝する。お寺によっては、トイレ掃除などのお手伝いを条件としている所も少なくない(まぁ、泊まらせていただくのだから、当然ですな)。

この日は、私の他に二人の遍路が通夜堂のお世話になっていた。一人は、私よりもやや若いお兄ちゃんで、ストーブ(ガスバーナー)や食材をたんまり背負った完全自炊派。もう一人は、真言に関する知識が豊富で、読経も相当気合が入った本格派おじいちゃん。

ちなみに、右上の写真の右端にある黒光りした菅笠は、その本格派おじいちゃんのものだ。装備からして、かなり本気な感じ。このおじいちゃんとは、その後も度々寝床が一緒になる。
翌日からは、松山方面に向け国道56線沿いを北上していく
翌日からは、松山方面に向け国道56線沿いを北上していく
荒々しい黒潮の海に慣れていたので、瀬戸内の凪っぷりには驚かされた
荒々しい黒潮の海に慣れていたので、瀬戸内の凪っぷりには驚かされた
柏坂峠の遍路道。登山はキツイけど、国道のアスファルトを歩くより何倍も楽しい
柏坂峠の遍路道。登山はキツイけど、国道のアスファルトを歩くより何倍も楽しい
それはそうと、「へんろ道」のアルファベット表記が気になった。「HENRO MITI」って
それはそうと、「へんろ道」のアルファベット表記が気になった。「HENRO MITI」って
柏坂峠の先の岩松は、町並みが魅力的
柏坂峠の先の岩松は、町並みが魅力的
そしてまた、峠の遍路道
そしてまた、峠の遍路道
さらに歩いて、宇和島に到着。現存天守!
さらに歩いて、宇和島に到着。現存天守!
脅威の駐車技術に驚愕しつつ三間方面へ歩く
脅威の駐車技術に驚愕しつつ三間方面へ歩く
三間では、水田の景観に心癒された
三間では、水田の景観に心癒された
そして41番札所、龍光寺に到着(ここは元々神社が札所なので、参道入口に鳥居があります)
そして41番札所、龍光寺に到着(ここは元々神社が札所なので、参道入口に鳥居があります)

感涙モノ、読者さんからのお接待

龍光寺に到着したこの日、私は近くにあった道の駅に泊まる事にした。

とりあえず日が沈むまで時間を潰そうと、iPhoneでtwitterとかしながらぼんやり過ごしていたのだが、その時、ふと一人の男性が私の側に近寄ってきた。

そして一言、「木村さんですよね?」。
広々とした三間の道の駅
広々とした三間の道の駅
ここで黄昏れていたら、その方はいらっしゃった
ここで黄昏れていたら、その方はいらっしゃった
そう、なんと読者の方が来てくださったのだ。そして「お接待です」と、南予地方のお菓子や、特産品の河内晩柑(かわちばんかん)、それと湿布を差し入れいただいた。

これには驚き、そして感激した。これまで一ヶ月以上遍路を続けていたが、読者の方とお会いするのはこの時が初めてだったのだ。
本当に、ありがとうございました
本当に、ありがとうございました
頂いた品々も、津島町の善助餅や、宇和島の唐饅頭、薄クッキーのだんだん、それに大洲の志ぐれ餅と、まさに南予の銘菓が勢ぞろい。

どれもこれもおいしかったし(特に志ぐれ餅はもちもちの食感が気に入り、この後も見つけては購入していた)、何よりそのお心遣いが、物凄くありがたかった。

この出会いを皮切りに、愛媛県や香川県では度々読者の方がお越しくださり、お接待頂いた。いずれの方もその土地土地の銘菓など、地域への愛が感じられる、心のこもった差し入れで、大感激であった。
車で来てくださった松山市のご夫婦
車で来てくださった松山市のご夫婦
一六タルトや柑橘類、温泉のチケットまで!
一六タルトや柑橘類、温泉のチケットまで!
新居浜市の母娘さんからはハタダのタルトなど
新居浜市の母娘さんからはハタダのタルトなど
同じく新居浜市の男性から、パンとカイロ
同じく新居浜市の男性から、パンとカイロ
伊予三島の高橋さん夫妻からは――
伊予三島の高橋さん夫妻からは――
塩ラーメンをご馳走していただきました
塩ラーメンをご馳走していただきました
私なんぞにここまでしていただいて、本当に申し訳ないくらいである。遍路というのは、人の善意で成り立つものなのだなぁと実感した。

歩いて、寝て、人の助けに感謝して、また歩く。その繰り返しである。
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峠と町並み、楽しい南予の遍路道

さて、引き続き南予の遍路道を歩いていく。

この辺りには、思っていたよりも良好に遍路道が残されている。まぁ、要は峠が多いという事なのだけど、山道は木陰が多いし、地面も柔らかいので足に優しい。昔の遍路の雰囲気にどっぷり浸れるのも素晴らしい。

また、町は町で、なかなかに立派な町並みを見る事ができる。古い道に古い町並み。古いもの好きな私にとって、南予地方はたまらないエリアなのだ。
朝霧の中、三間の道をしばらく行くと――
朝霧の中、三間の道をしばらく行くと――
早くも、42番札所の佛木寺に到着
早くも、42番札所の佛木寺に到着
鎖で登る箇所もある、険しい歯長峠を越え――
鎖で登る箇所もある、険しい歯長峠を越え――
城塞みたいな石垣の段畑を横目に――
城塞みたいな石垣の段畑を横目に――
若干恨めしそうな表情の生垣に怯みつつ――
若干恨めしそうな表情の生垣に怯みつつ――
43番札所の明石寺に着いた
43番札所の明石寺に着いた
明石寺から、さらに一山越えれば――
明石寺から、さらに一山越えれば――
カッコイイ町並みが残る卯之町に出る
カッコイイ町並みが残る卯之町に出る
さらに、落ち着いた風情の旧道を歩き――
さらに、落ち着いた風情の旧道を歩き――
鳥坂峠を越えて行けば――
鳥坂峠を越えて行けば――
これまた立派な町並みの城下町、大洲に到着
これまた立派な町並みの城下町、大洲に到着
天守を完璧に復元した大洲城も素晴らしい
天守を完璧に復元した大洲城も素晴らしい

お大師さんが寝られなかった場所で寝る

ところで、大洲の町から少し進んだ所には、十夜ヶ橋(とよがはし)と呼ばれる橋がある。

弘法大師がこの地を訪れた際、どの家でも宿泊を断られてしまい、しょうがなくこの橋の下で野宿をした。しかしながら、寒さと空腹、そして橋の上を通る人の杖がうるさくて全く寝られず、一夜が十夜と思えるほど長く感じたという。

その伝説から、現在も遍路は橋の上で杖を突いてはならないという慣習がある。私はそれを知らず、遍路三日目に吉野川を渡る沈下橋の上で杖をガンガン突いてしまい、他の方から大声で注意されてしまった。
そしてこれが、弘法大師が野宿したという十夜ヶ橋
そしてこれが、弘法大師が野宿したという十夜ヶ橋
うん、まぁ、何ていうか、いたって普通なコンクリートの橋である。

現在、十夜ヶ橋には交通量の多い国道56号線が通っており、さらにその上には高速道路の高架橋が覆いかぶさっている。しかも、すぐ側には鉄道の線路というオマケ付きだ。

弘法大師が野宿したという平安時代より、明らかに騒音の要素が増えている気がするぞ。
橋の下に降りられるようになっている
橋の下に降りられるようになっている
そこには、弘法大師像などが並んでいた
そこには、弘法大師像などが並んでいた
へぇ~、四国霊場唯一の野宿修行道場とな
へぇ~、四国霊場唯一の野宿修行道場とな
なるほど、どうやらここは、野宿をしても良い場所らしい。なんせ、四国霊場唯一の野宿修行道場なのだから。っていうか、野宿修行道場って、四国どころか日本唯一、いや世界唯一であるような気がするが。

この看板によると、十夜ヶ橋を管理している永徳寺に申し込めば、ここで野宿をする為のゴザを貸していただけるそうだ。

弘法大師が寝られなかった、そんな場所で野宿してみるのも面白い。私は早速、お寺に野宿修行を申し込んでみる事にした。
というワケで、橋の側にある永徳寺の納経所へ
というワケで、橋の側にある永徳寺の納経所へ
身分証明の納札をお渡しして、ゴザを借りた
身分証明の納札をお渡しして、ゴザを借りた
ふと本堂を見ると、観自在寺の通夜堂で一緒になった、本格派おじいちゃんが読経していた
ふと本堂を見ると、観自在寺の通夜堂で一緒になった、本格派おじいちゃんが読経していた
このお寺には、こんなに立派な通夜堂もある。おじいちゃんは、こちらのお世話になるそうだ
このお寺には、こんなに立派な通夜堂もある。おじいちゃんは、こちらのお世話になるそうだ
一方、私はゴザを片手に橋の下へ
一方、私はゴザを片手に橋の下へ
これ以上無いくらいシンプルな寝床ですな
これ以上無いくらいシンプルな寝床ですな
おじいちゃんが泊まるという、立派な永徳寺の通夜堂に後ろ髪を引かれながら、私は十夜ヶ橋の下、大師像の前にゴザを敷いた。

そうしてできた今夜の寝床は、寝床というよりむしろお白洲の下手人が座る場所みたいな、そんな悲しくなるくらいにシンプルなものだ。
とりあえず、横になってみる
とりあえず、横になってみる
……う~ん……
……う~ん……
……よいしょっと
……よいしょっと
よし、これでOK
よし、これでOK
はい、スミマセン。結局、私はザックからエアマットと寝袋を引っ張り出し、フル装備で寝る事にした。だって、地面が凄く固いんだもの。そして冷たいんだもの。

まぁ、このように寝袋を使用していても、実際橋の下に寝そべってみると、十分修行と言えるような辛さがある。安眠を邪魔する要素は、想像以上に多いものだ。
川にいる、たくさんの鯉が跳ねる音とか
川にいる、たくさんの鯉が跳ねる音とか
橋裏にいる鳩が鳴く音とか
橋裏にいる鳩が鳴く音とか
日が沈むと、蚊もたくさん集まってきた
日が沈むと、蚊もたくさん集まってきた
夜になっても、国道56号線の交通量は減らない
夜になっても、国道56号線の交通量は減らない
ひっきりなしに響く車の音がうるさいのはもちろんの事、意外にも鯉とか鳩とかが、頻繁に私の気配センサーに感知されてしまうのだ。うつらうつらしていても、鯉が跳ねたり、鳩が鳴いたりするだけで、意識が戻ってきてしまう。

あと、やはり水辺の側という事もあって、蚊が多い。少し風があったので大丈夫かなと思ったが、蚊の軍団は風などものともせず、まさにどこ吹く風で、私に攻撃を仕掛けてくる。

夜になっても国道56号線を走る車の量は減らず、特にトラックのような大きい車両が通ると相当大きな音が鳴り響き、それでまた目が覚めてしまう。
しかし、気が付いたら夜が明けていた
しかし、気が付いたら夜が明けていた
おはようございます
おはようございます
とはいえ、やはり体の疲労には抗えなかったのか、それら数々の障害の中でも何とか眠る事ができたらしい。ふと気が付いたら真夜中、次に気が付いたら朝になっていた。

しかし、熟睡はできなかったらしく(何台ものトラックが行きかう夢を見た)、寝起きなのにすっきりした感じがしない。疲れも残っている。

眠れない事はなかったけど、単に意識を失っていただけという感じだ。体力の回復には繋がってないというか。むしろ、疲れた。
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内子の町並みと味噌パスタ

十夜ヶ橋を後にした私が次に到達したのは、松山方面と久万高原方面への分岐点である、内子町であった。

ご存知の方も多いと思うが、内子には和紙や木蝋で栄えた時代の立派な町並みが、良好な状態で残されている。愛媛県、いや四国を代表する歴史的な町並みと言えよう。
十夜ヶ橋から旧道を歩き――
十夜ヶ橋から旧道を歩き――
十夜ヶ橋から旧道を歩き――
十夜ヶ橋から旧道を歩き――
たどり着くのが内子町
たどり着くのが内子町
松山方面へ抜ける旧街道沿いの町並みが凄い
松山方面へ抜ける旧街道沿いの町並みが凄い
内子座という、古い劇場もあるよ
内子座という、古い劇場もあるよ
遍路道は、内子から東の久万高原へと続いていく。この内子の町並みは、内子から北の松山へと向かう街道の入口にあるので、遍路道とは若干外れてはいるものの、ここまできて見逃すのは惜しい。近くの公園のベンチに荷物を置き、町並みを見学させて頂いた。

とりあえず満足し、荷物を置いた公園に戻って一休みしていると、ふとエプロン姿の男性が私の方へと歩いてくるのが見えた。その方はやはり読者さんで、この内子でイタリアンレストランをされているという。しかも、なんと昼食をご馳走して下さるとおっしゃる。
内子のメイン通りにある、Poco a Pocoさん
内子のメイン通りにある、Poco a Pocoさん
おしゃれなお店です
おしゃれなお店です
頂いたのは、内子の味噌と豚肉を使ったパスタ
頂いたのは、内子の味噌と豚肉を使ったパスタ
これが、お世辞抜きで本当にうまかった。

味噌と豚肉、それとナスを使ったパスタで、左の小鉢にあるもろみ味噌を加えて頂く。味噌、豚肉、ナスという相性抜群トリオが、またパスタと合うんですな。

内子のもろみ味噌もうまみが強く、豚肉もプリプリしているのに柔らかい。久々に充実した食事を堪能させていただきました。Poco a Pocoさん、本当にありがとうございます。

おじいちゃんと行く久万高原

さて、うまいパスタを頂いてモチベーションが高まった私は、内子を後にして久万高原へと歩みを進めた。

久万高原は、高原という名前が付くくらいなので、当然ながら山を上ったその先にある。内子からは、川沿いの国道379号線や、その旧道を通って、まずは小田町方面へ向かう。
山の緑が明らかに濃くなった
山の緑が明らかに濃くなった
そろそろ日が暮れそうだが……
そろそろ日が暮れそうだが……
「千人宿大師堂」の前を通りかかると――
「千人宿大師堂」の前を通りかかると――
あの本格派おじいちゃんの姿が!
あの本格派おじいちゃんの姿が!
この日は、久万高原に向かうその途中で日が暮れそうだったので、寝床を求めて歩いていたのだが、途中にあった「千人宿大師堂」に、本格派おじいちゃんがいて驚いた。

おじいちゃんに話を聞くと、この大師堂に宿泊させていただく事ができるという。なんでも、これまでに千人の遍路を泊めたから、「千人宿大師堂」というらしいのだ。

私もまたそのご好意に甘えさせていただき、おじいちゃんと共に、ここで一夜を過ごした。
おじいちゃんと出発
おじいちゃんと出発
翌朝は、おじいちゃんと一緒に大師堂を後にして、共に久万高原に向かった。特に一緒に行こうとか、そういう言葉は無かったのだけど、何となく成り行きでそうなったのだ。

私は、これまで基本的に一人だけで歩いてきた。誰かと一緒に歩いたのは、たったの一度。徳島県の藤井寺に向かう途中、おばぁちゃん遍路と一緒になったその時だけだ。この時もまた、何となくの成り行きだった。
しばらくして、突合分岐点に到達
しばらくして、突合分岐点に到達
おじいちゃんは、私とは別の道に行く
おじいちゃんは、私とは別の道に行く
一時間ほど歩いて、突合という場所に出た。ここは、鴇田(ひわた)峠を経由して久万町に向かうルートと、小田町と農祖峠(のうそのとう)を経由して久万町に向かうルートの分岐点だ。

鴇田峠ルートは久万町への最短ルートであるが、途中に町が無い。私は手持ちの食料が心もとなかったので、とりあえずは小田町に向かう事にした。鴇田峠へ向かうおじいちゃんとは、ここでお別れである。

成り行きで一緒に歩き出し、成り行きで別れる。遍路では、その全てが成り行き任せだ。
小田町で食料確保後、農祖峠方面へ――
小田町で食料確保後、農祖峠方面へ――
途中で畑峠(はたのとう)ルートに入り――
途中で畑峠(はたのとう)ルートに入り――
おじいちゃんが行った鴇田峠ルートに合流――
おじいちゃんが行った鴇田峠ルートに合流――
そのまま鴇田峠の遍路道を抜け――
そのまま鴇田峠の遍路道を抜け――
ようやく久万町に出た
ようやく久万町に出た
44番札所、大宝寺に到着
44番札所、大宝寺に到着
大宝寺からはさらに山を越え――
大宝寺からはさらに山を越え――
八丁坂遍路道を行き――
八丁坂遍路道を行き――
迫割禅定(せりわりぜんじょう)の行場を横切り
迫割禅定(せりわりぜんじょう)の行場を横切り
45番札所、岩屋寺に到着
45番札所、岩屋寺に到着
岩屋寺からは川沿いに久万町へ戻り――
岩屋寺からは川沿いに久万町へ戻り――
松山市との境にある三坂峠を目指す
松山市との境にある三坂峠を目指す

松山市内の札所ラッシュ

昔から人が多かった場所には霊場もたくさんあるようで、松山市内には全部で8つもの札所が存在する。

それぞれの距離も近く、歩く事よりもむしろお参りに忙殺される、札所ラッシュのエリアだ。
三坂峠を下って松山に入ると――
三坂峠を下って松山に入ると――
46番札所の浄瑠璃寺に着いた
46番札所の浄瑠璃寺に着いた
浄瑠璃寺からは1km足らずの距離で――
浄瑠璃寺からは1km足らずの距離で――
47番札所の八坂寺に到着
47番札所の八坂寺に到着
古墳が残る農道を行き――
古墳が残る農道を行き――
48番札所の西林寺に着く
48番札所の西林寺に着く
へんてこな埴輪を眺めながら――
へんてこな埴輪を眺めながら――
49番札所の浄土寺まで来た
49番札所の浄土寺まで来た
さらに少し歩けば――
さらに少し歩けば――
50番札所の繁多寺
50番札所の繁多寺
松山市街地の住宅街を行き――
松山市街地の住宅街を行き――
51番札所の石手寺に到着
51番札所の石手寺に到着
とんとん拍子に進んでいるように見えるが、実際こんな感じである。46番から47番までの間なんか1kmにも満たないし、他の札所もせいぜい2~4km程度の距離。

しかし、これほど札所が密集していてもなかなか変化はあるもので、徐々に郊外から町中に遷移していくその光景が意外と楽しい。
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松山から今治、そして県境へ

さて、松山市から今治までの道のりは、なかなか険しいものであった。それは地形的なものではなく、主に雨のせいだ。

53番札所を後にすると、次の54番札所は今治市。およそ35kmの距離が開く。まぁ、歩く距離が長いだけなら問題無いのだが、それに雨が加わると、一気に気が滅入るのである。

大雨の中、長距離歩くのはとてもキツイ。靴の中はびしょびしょで、足がふやけているのでマメもできやすいし、ザックカバーをかけても背中や底からじわりじわりと水が浸入。寝袋が水を吸った日には、泣くに泣けないものがある。
松山市街地を抜け――
松山市街地を抜け――
52番札所の太山寺へ
52番札所の太山寺へ
車道を一直線に行けば――
車道を一直線に行けば――
53番札所の円明寺
53番札所の円明寺
海沿いの車道をひたすら歩き――
海沿いの車道をひたすら歩き――
ポングたち二人を抜きつ抜かれつ――
ポングたち二人を抜きつ抜かれつ――
降りしきる雨に心腐らせながら――
降りしきる雨に心腐らせながら――
ようやく54番札所の延命寺へ
ようやく54番札所の延命寺へ
さらに、墓地を抜けて今治市街へ下り――
さらに、墓地を抜けて今治市街へ下り――
55番札所、南光坊に到着(元は、隣の別宮大山祇神社が札所です)
55番札所、南光坊に到着(元は、隣の別宮大山祇神社が札所です)
南下して市街地を抜けると――
南下して市街地を抜けると――
たどり着くのが56番札所の泰山寺
たどり着くのが56番札所の泰山寺
細い路地や田畑のあぜ道を歩き――
細い路地や田畑のあぜ道を歩き――
57番札所、栄福寺へ(ここも元は神社以下略)
57番札所、栄福寺へ(ここも元は神社以下略)
やっぱりポングたちに抜かれつ抜きつ
やっぱりポングたちに抜かれつ抜きつ
58番札所の仙遊寺に到着
58番札所の仙遊寺に到着
仙遊寺からは山道を下り――
仙遊寺からは山道を下り――
59番札所の伊予国分寺に着いた
59番札所の伊予国分寺に着いた
農道を南へ、南へ――
農道を南へ、南へ――
横峰寺の山号、石鉄山の鳥居をくぐり――
横峰寺の山号、石鉄山の鳥居をくぐり――
沢沿いの遍路道を延々登って――
沢沿いの遍路道を延々登って――
60番札所、横峰寺に到着
60番札所、横峰寺に到着
ここから石槌山が見えるはずなのだけど
ここから石槌山が見えるはずなのだけど
神の山、石鎚へ行くには相当な覚悟が必要です
神の山、石鎚へ行くには相当な覚悟が必要です
覚悟と準備が不十分な私は下山し――
覚悟と準備が不十分な私は下山し――
文化会館みたいな建物の、61番札所香園寺へ
文化会館みたいな建物の、61番札所香園寺へ
さらに市街地をちょっとだけ歩けば――
さらに市街地をちょっとだけ歩けば――
62番札所の宝寿寺に着く(ここも元は以下略)
62番札所の宝寿寺に着く(ここも元は以下略)
社が祀られている湧き水に寄りつつ――
社が祀られている湧き水に寄りつつ――
63番札所の吉祥寺へ
63番札所の吉祥寺へ
道中、甘夏のお接待を頂き――
道中、甘夏のお接待を頂き――
64番札所、前神寺に到着
64番札所、前神寺に到着
新居浜市の旧道をがむしゃらに歩き続け――
新居浜市の旧道をがむしゃらに歩き続け――
四国中央市の旧道も闇雲に歩き続け――
四国中央市の旧道も闇雲に歩き続け――
さらに山を登って到着したのが――
さらに山を登って到着したのが――
65番札所の三角寺
65番札所の三角寺
雨の中、山中を東へ行き――
雨の中、山中を東へ行き――
愛媛県、徳島県、香川県の県境を歩いて――
愛媛県、徳島県、香川県の県境を歩いて――
まさに雲の辺というべき光景を見ながら――
まさに雲の辺というべき光景を見ながら――
66番札所、雲辺寺に到着!
66番札所、雲辺寺に到着!
雲辺寺は正確には徳島県だけど、まぁ、三角寺から山続きでもあるし、切りも良いので私としては愛媛県扱いとさせていただいた。

まるで私が愛媛県から出るのを阻止するかのように降り続いた雨も止み、いよいよ愛媛県を抜け香川県へと入る。88番札所まで、残すところはあと22ヶ寺だ。

遍路まとめは次回でちゃんと完結します

札所巡りのみならず、他の遍路との出会い、沢山の方々からのお接待、十夜ヶ橋下での野宿など、あまりに出来事が多すぎて、収拾が付かなくなった感のある愛媛県。

「菩提の道場」を歩き切り、果たして悟りは開けたのかと問うてみると、う~ん、どうだろう。分かった事と言えばただ一つ、人間いくら歩いてもそう簡単に変わったりするモンじゃないって事ですかな。足裏の皮は厚くなるけれど。

さてさて、次回こそ本当に最後の最後。遍路日記まとめ香川高野山編は、7月22日の掲載予定です。どうぞ、よろしくお願い致します。
高知県の足摺岬で出会い、三角寺の登山口で再会して二夜を共にしたお坊さん遍路。ポーズはお茶目ですが、毎日托鉢修行もやっており、私が諦めた石鎚山にもしっかり登った凄い人
高知県の足摺岬で出会い、三角寺の登山口で再会して二夜を共にしたお坊さん遍路。ポーズはお茶目ですが、毎日托鉢修行もやっており、私が諦めた石鎚山にもしっかり登った凄い人
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