使うのはマスクだけ
その遊びとは「マスクごしにこっそり変な顔をする」というものだ。ふだんであれば公衆の面前で変な顔なんてできない。なぜなら変なやつだと思われるからだ。しかし、マスクの下ならどんなに変な顔をしていてもバレない。人とすれ違う時、電車の中、どんなに人が多い場所でもお構いなしに変な顔ができるのだ。でも、周囲はまさか僕が変な顔をしているなんて思いもしない。そのドキドキ感を一度味わうとやめられなくなる。合法的な露出狂みたいなものだ。
ぼくはこのささやかな遊びを冬になると毎年行っている。中学の時からだからもう15年以上になる。
マスクは大きければ大きいほどいい。変な顔のバリエーションが広がるからだ
すれちがう人々に変な顔をこっそりおみまいするのが楽しいのだ
この遊びを覚えてからマスクをしている人を見ると「もしかしたらあの人も、マスクの下で変な顔をしているかもしれない」と思うようになった
実践してみます
まあなんのことだかよくわからないと思うので、実践してみよう。つまりこういうことである。
例えば、待ち合わせのシーン
人と待ち合わせをして相手が遅れてきたとする。本当は腹わたが煮えくりかえっているが、それを顔に出すのも大人げない。そういう時こそこの技は役に立つ。
「いや~ぜんぜん待ってないよ」 ※マウスオーバーでマスクオフ
このように、マスクの下でこっそり怒りを表現できるのだ。遅れてきた相手に対するささやかな復讐である。ポイントは、隠れていない場所の表情をいかに平静に保つか。初心者はつい眉毛や目まで動かしてしまい、表情の変化を悟られてしまうので注意したい。
逆に自分が遅れてしまった場合でも
「遅れて申し訳ありません!」 ※マウスオーバーでマスクオフ
素直に謝りたくない時ってあるでしょ
これは、遅刻を申し訳なさそうに詫びる彼が、じつはマスクの下で変な顔をしていたという状態だ。まさに「舌を出す」とはこのことだろう。
遅れてしまったけどじつはそんなに悪いと思っていない時や、ただ謝るのは癪にさわる時などは、マスクの下で舌を出すことで心のバランスをとることができる。
ところ変わって、お次は例えばマジメな打ち合わせなどのシーン
ビジネスシーンでも
ビジネスシーンでもこの技は使える。マスクをしたまま打ち合わせや会議に臨むのは、相手に風邪をうつさないためのマナーなので問題ない。問題は打ち合わせや会議の際中に眠くなってしまった時だ。
「インフルエンサーにガバナンスを利かせてシナジーします」 ※マウスオーバーでマスクオフ
いくら眠くても打ち合わせ中にアクビなんてしたら大変だ。いくらいいことを言っていたとしても顧客を怒らせてしまう。
でも、マスクの下ならばれない。アクビというリスクをガバナンスできる(意味を知らずに使っています)。
また、ビジネスシーン以外に恋愛シーンでもこの技は有効だ。例えば彼女とお茶をしている時に他の女性に見とれてしまうことがあるだろう。
レジの女性に見とれてしまうのも、男ならよくあること
「あの娘、かわいいな…」 ※マウスオーバーでマスクオフ
破局を回避
このようにリアルに鼻の下を延ばしていたとしても絶対にばれない。マスクのおかげで破局の危機は回避される。
もちろん、そんなに実用的な使い方だけじゃなく、もっとライトに、レジャーとしての変な顔を楽しむのもアリだ。
一見、思慮にふけっている風 ※マウスオーバーでマスクオフ
かっこつけた自分とユーモラスな自分。自分の中にある二面性がせめぎあう。マスクというアイテムひとつでそんな葛藤を表現することも可能だ。現代アートみたいだろう。
周囲の女子に「あの人素敵だわ…」なんて思わせておいて、じつはマスクの下ではへんてこな顔をしているのだ。ざまあみろ。
「あの子のプレゼント、これでいいかな」 ※マウスオーバーでマスクオフ
「たまには嫁に土産でも買っていくか」 ※マウスオーバーでマスクオフ
マスクに覆われた変態性を見抜け
子どもへのプレゼントを選ぶよきパパも、奥さんにおいしいものを食べさせたい優しい夫も、腹の底では何を考えているか分からない。世の女性には、マスクをしている男には注意しろと言いたい。そいつ、もしかしたらとてつもない変態かもしれませんよ。
と、ここまで色々やってきたが、この遊びが一番楽しいのはやはり電車の中だ。騙されたと思って一度試してもらいたい。退屈な通勤もレジャーとして楽しめるようになるはずだ。
ほら ※マウスオーバーでマスクオフ
こんなに ※マウスオーバーでマスクオフ
楽しいんです ※マウスオーバーでマスクオフ
同行の安藤さんにも伝授した ※マウスオーバーでマスクオフ
日常をレジャーに変えろ
最近は人前でおちおちへんな顔もできない窮屈な世の中だけど、誰にも迷惑をかけずに欲望を満たす方法は何かしらあるものだ。
これに限らず、「日常の退屈な時間もちょっとした工夫で楽しいものになる」ということをこれからも忘れずに生きていきたい(と、あまりにもしょうもない記事なので、もっともらしい締め方をしてみる)。