特集 2013年5月24日

一駅だから歩こう感覚でどこまでも歩ける説

一駅だから歩こう
一駅だから歩こう
「一駅だから歩こう」という時がある。隣駅だからわざわざ電車に乗らないで歩こう、ということだ。健康にもいいし、お財布にも優しい選択だと思う。

この「一駅だから歩こう」という感覚を持ち続けることでどこまでも歩けるのではないだろうか。一駅歩いたところで、気持ちを新たに「一駅だから歩こう」と思うのだ。野球で打たれた後の「切り替えて行こう」と言ったりする。我々は気持ちを入れ替えることのできる生き物なのだ。
1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮

一駅だから歩こう感覚の可能性

「切り替えて行こう」という考え方がある。野球で打たれた直後に、その失敗は忘れ次のプレーに集中する時や、仕事で休憩を終え気持ちをオフからオンに入れる時など、「切り替えて行こう」という考え方をする。我々の生活にはなくてはならない考え方だ。
常に青空のような気持ちで物事に向かうことが大切
常に青空のような気持ちで物事に向かうことが大切
「一駅だから歩こう」という考え方もある。隣の駅だから電車に乗らずに歩いて行こうという考え方だ。これが不思議なもので「二駅だから歩こう」はあまり聞かない。同じく「三駅だから歩こう」も聞かない。「一駅だから歩こう」なのだ。人は一駅なら歩いてもいいと考える生き物なのである。
隣駅までは歩ける!
隣駅までは歩ける!
この考え方を組み合わせることで我々はどこまでも歩けるのではないだろうか。一駅歩いたところで、気持ちを入れ替え「一駅だから歩こう」と思うのだ。気持ちを入れ替えたわけだからすでに一駅歩いたことはチャラである。もはや我々に電車は必要なくなる考え方と言えるだろう。
実際に試してみます(渋谷駅から山手線を歩きます)
実際に試してみます(渋谷駅から山手線を歩きます)

山手線を一周する

東京の都心部を環状運転している山手線。これを歩いて一周すると思うと夏休み最終日みたいな気持ちになってしまう。しかし、先にも書いたように「一駅だから歩こう」で歩き、一駅歩いたところで気持ちを入れ替え「一駅だから歩こう」と思えば、最寄りのコンビニに行くような感覚で歩けるのではないだろうか。先に言ってしまえば勝ちを確信した勝負である。
渋谷をスタートして恵比寿を目指す
渋谷をスタートして恵比寿を目指す
渋谷駅から恵比寿駅を目指して歩く。普段の私ならば何の迷いもなく電車に乗るけれど、今の私は違う。「一駅だから歩こうか」と「気持ちを入れ替える」という黄金のツートップのような組み合わせを発見したのだ。歩いているが、もはや電車に乗っていると言ってもいいかもしれない。

私は「気持ちを入れ替える」ことを人生で幾度となくやって来た。人生で2度ほどクビを経験しているが、クビと言われた次の瞬間には気持ちを入れ替え、仕事のことではなく、その日の夕食のことを考えていた。そしてお酒が進む素晴らしき夕食のチョイスに成功している。気持ちは簡単に入れ替えられるのだ。
初めて歩く道は発見があって楽しい!
初めて歩く道は発見があって楽しい!
「一駅だから歩こう」という考え方は田舎出身でどこに行くのも車という文化で育った私には理解しがたいものであったけれど、普段は流れるだけの景色を歩いてみるのも悪いものではなかった。知っていたけれど、知らない世界を見ることができるのだ。春という気候のよさも手伝い生きることの喜びを感じていると言ってもいいかもしれない。
恵比寿駅。一駅だから歩こうと思います!
恵比寿駅。一駅だから歩こうと思います!
電車なら数分のところを徒歩のため二十分ほどかけて恵比寿駅に到着した。ここで気持ちを入れ替える。渋谷駅からの二十分を忘れ、恵比寿駅から「一駅だから歩こう」と思うのだ。過去にとらわれないのだ。常にいま自分がいるところがスタート地点なのだ。きっと似たようなことが自己啓発本に書いてあると思う。
進むにつれ、電車に目がいくことが増えた
進むにつれ、電車に目がいくことが増えた
恵比寿から五反田、五反田から大崎と私の理論で歩いた。もちろん私の理論は机上で作られたもので、実際に歩いてみると若干の理論の間違いは出てくる。

気持ちを入れ替えたところで距離が進むに連れ足が痛くなること、気持ちを入れ替えたところで限界はあって夏休みの最終日までは行かないまでも、日曜日の夕食時みたいな気持ちになること。

それ以外は順調である。渋谷から恵比寿の本当の「一駅だから歩こう」の間ですでに疲れを感じていたけれど全て若干である。
品川に着きました(雨が降り出しました)
品川に着きました(雨が降り出しました)

間違いでした

自分の考えたことを曲げない、という強い意志を持つこともある意味では大切だ。一見、間違いに思えても、続けることでその考えが正しかったことを証明できるかもしれない。あきらめないことが大切なのだ。たとえ雨が降り出してもだ。
シバザクラ綺麗! みたいな感想は一切ない
シバザクラ綺麗! みたいな感想は一切ない
誰がこんな雨の中を「一駅だから歩こう」と言うのだろうと思うかもしれない。日照りが続いて恵みの雨だ! と喜ぶ農民でも電車に乗るような雨だ。体は冷えて、渋谷から品川まで歩いた疲れは気持ちを入れ替えたところで、なくなるわけではなく、商店街のポイントよりも順調にたまり、「一駅だから歩こう」は間違いだったと思いはじめていた。というかこの理論は間違いだった。結果が出るのは早かった。
保護されそうな装い
保護されそうな装い
「一駅だから歩こう」というのはどういうつもりなのだろう。その歩く時間を短縮してカフェでコーヒーでも飲んでいた方がよっぽど有意義だ。疲れはないし、冴えた頭でものごとを考えることもできる。今の私はもはや迷子だ。人生の迷子。それと書いていないけれど、今までの道のりだって、電車で通過したことしかなかったから、散々迷っている。
そして、濡れ放題
そして、濡れ放題

歩くとは何だろう

結果が全てだ、という考え方がある。もっともな考え方だ。どんなに過程がよくても結果が伴わなければ意味がない。結果が全てなのだ。つまり駅に着くことが結果とするならば、何も歩く必要はないのだ。電車に乗ればもっと効率的に結果に辿り着くことができる。「一駅だから歩こう」は間違いなのだ。
これは間違いだった
これは間違いだった
気持ちを入れ替えるも何だろうと思う。入れ替えたところで何も変わらない。野球で打たれた後に「切り替えて行こう」と言われても、打たれた事実は変わらない。何も変わらないのだ。今回だって気持ちを切り替えたところで一駅歩いた事実は変わらない。疲れはたまるし、電車に乗って移動した時よりも何倍も移動に時間がかかっている。結果が伴わないのだ。
日も暮れる
日も暮れる
一駅だから歩こうとは時間をムダにすることである。私はそう気がついた。自分で考えた理論であったが、何一ついいことはなかった。時間はかかるし、濡れるし、ひもじい気持ちになるしで、もうダメなのだ。でも、結果が全てなのだ。山手線を一周することである。私が本日の結果として据えたものだ。
東京駅まで歩いた
東京駅まで歩いた
乗る
乗る
渋谷に到着!
渋谷に到着!

歩くな!

自分の考えたことに間違いだと認めることは勇気が必要だ。しかし、勇気を出すことも大切なことである。「一駅だから歩こう感覚でどこまでも歩ける説」は完全な間違いである。正直な話、渋谷から大崎あたりまでは正しい、と自分に言い聞かせたが、違う。電車の方が確実にいい。渋谷から東京まで歩いたけれど、何一ついいことはなかった。文明の発達が電車を生み出したのだ。今まで歩くしか方法がなかったのに、電車ができたのだ。乗らなければ。「一駅だから歩こう」は間違いなのだ。「一駅だから電車に乗ろう」なのだ。それが分かった一日だった。
渋谷から恵比寿の間で早くも休んでいた
渋谷から恵比寿の間で早くも休んでいた
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