特集 2013年9月10日

足利氏のお宅訪問、新国宝の鑁阿寺を見にいった

かの有名な足利氏の館の跡は、なんとも立派なお寺でした
かの有名な足利氏の館の跡は、なんとも立派なお寺でした
日本の文化財保護法には、“国宝”という制度がある。数ある文化財の中でも、特に価値の高いモノが指定される、とても貴重な存在だ。

先月、新たな国宝建造物が誕生した。その最新の国宝は、鑁阿寺(ばんなじ)というお寺の本堂。室町幕府を開いた足利尊氏で有名な、足利氏のかつての館の跡に建つ、鎌倉時代の建物だ。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

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足利氏の邸宅があるのは栃木県足利市

征夷大将軍まで上り詰めた足利尊氏でおなじみの足利氏。幕府を開いたのは京都の北小路室町だが、その本拠地は現在の栃木県足利市である。

地名になっている事からも分かる通り、足利氏は昔から足利市界隈の有力者であった。足利市の中心部に位置する館の跡も、たいそう立派なものである。

というワケで、鉄道を乗り継いでJR両毛線の足利駅にやってきた。この足利駅もまた駅舎の雰囲気がなかなか良いので、手始めに紹介したい。
昭和8年(1933年)に建てられた、歴史ある駅舎だ
昭和8年(1933年)に建てられた、歴史ある駅舎だ
アーチにステンドグラスと、洋風なたたずまいである
アーチにステンドグラスと、洋風なたたずまいである
鉄製の持ち送りがさりげなくカッコ良い
鉄製の持ち送りがさりげなくカッコ良い
どうやら両毛線には、このような洋風駅舎が数多く建てられたらしい。現在はこの足利駅だけになってしまったようであるが。

足利市は普段と変わりないムード

つい先月に鑁阿寺の本堂が国宝になったばかりという事で、足利市はお祝いムード……かと思いきや、街はいたって普段通りな様子であった。

私は以前、2008年の11月にも鑁阿寺を見に来た事があるのだが、その時と大差の無い感じである。
とりあえず、駅から鑁阿寺に向かう
とりあえず、駅から鑁阿寺に向かう
以前と違うのは、国宝指定を祝した旗があったくらいか
以前と違うのは、国宝指定を祝した旗があったくらいか
まぁ、足利市は元から知名度があるので観光客もそれなりにやってくるし、鑁阿寺は地域にとても大事にされているお寺のようなので、今改めて国宝になったといっても、市民にさほどの驚きは無かったのかもしれない。
見えてきた、鑁阿寺の山門だ
見えてきた、鑁阿寺の山門だ
門前の通りにも古くてカッコ良い建物が多い
門前の通りにも古くてカッコ良い建物が多い
足利尊氏の像もあった。これからご実家にお邪魔します
足利尊氏の像もあった。これからご実家にお邪魔します
私が鑁阿寺を訪れたのは休日の午前中であったが、参拝客の姿は結構多かった。国宝効果はそれなりにあるようだ。

ちなみにこの日は天気があまりよろしくなく、曇天に時折小雨もパラつくような日であった。写真も暗く残念な感じなので、ここからは以前訪れた時に撮った写真を使わせてもらおう。
鑁阿寺の山門。いわば足利氏のお宅の玄関口である
鑁阿寺の山門。いわば足利氏のお宅の玄関口である
その敷地の周囲には濠が巡らされている
その敷地の周囲には濠が巡らされている
ぐるっと一周、まるで城のようである。っていうか、城である
ぐるっと一周、まるで城のようである。っていうか、城である
有力者の家なだけあって、さぞ警備は厳重だった事だろう
有力者の家なだけあって、さぞ警備は厳重だった事だろう
全容はこんな感じ。近くの小学校より敷地がでかい
全容はこんな感じ。近くの小学校より敷地がでかい
元は足利氏が自宅の敷地にお堂を建てた事に始まり、その後の文暦元年(1234年)に整備され、完全なお寺になったようだ。つまり尊氏の時代には、既に邸宅としての機能は薄かったのだろうが気にしない。

ちなみに今回国宝となった本堂は、尊氏の父である貞氏(さだうじ)が正安元年(1299年)に建てたものである。

とまぁ、要するにこの鑁阿寺は、中世の有力武士の館跡、それと中世の密教寺院という、二つの価値を併せ持った貴重なお寺なのだ。
それでは、橋を渡って敷地の中へ。お邪魔しまーす
それでは、橋を渡って敷地の中へ。お邪魔しまーす
石畳の先に見えたのが、今回国宝に指定された本堂だ
石畳の先に見えたのが、今回国宝に指定された本堂だ
ちなみにこの本堂は、日本古来の建築様式である和様に加え、鎌倉時代初期に宋から渡ってきた禅宗様という新たな様式がミックスされた、折衷様の先駆けである。
ちなみに、現在の写真はこんな感じ
ちなみに、現在の写真はこんな感じ
近年修理され、屋根も新しく葺き替えられた
近年修理され、屋根も新しく葺き替えられた
前回の訪問では屋根の家紋がくすんでいたものの、今回改めて訪ねてみると、金箔が押し直されピカピカに輝いていた。

屋根の中心部分の色が違うのが気になるが、これは中心部分だけ古瓦が使われている為だ。屋根の葺き替えの際に、まだ使える古瓦を再利用するのはよくある事だが、このような一列に古瓦を置くのは初めて見た。

その事をお寺の人に尋ねてみると、どうやら「芯を通す」という意味でこうしたのだそうだ。正直言うと、モヒカンに見えてしまった。
向拝(建物入口の庇)の彫刻がカッコ良いが、これは江戸時代に加えられたものだ
向拝(建物入口の庇)の彫刻がカッコ良いが、これは江戸時代に加えられたものだ
江戸時代の部分も華やかではあるが……
江戸時代の部分も華やかではあるが……
こっちとかの方が、価値としては高い
こっちとかの方が、価値としては高い
建築様式について詳しく語ってもしょうがないので割愛するが、例えば柱の上下が丸くすぼまった粽柱(ちまきばしら)だったり、柱の上だけではなく柱と柱の間にも組物(軒を支える構造物)が置かれている詰組(つめぐみ)であるなど、宋から渡ってきた様式が随所に用いられている。

とまぁ、鎌倉時代以降は日本古来の建築様式と大陸伝来の建築様式が融合してさらに発展していった。この鑁阿寺本堂はその嚆矢としての価値が高く、国宝に指定されたというワケである。
まぁ、そんなうんちくなど語らずとも、良いお寺である事は違いない
まぁ、そんなうんちくなど語らずとも、良いお寺である事は違いない
季節に応じて雰囲気が変わるのもまた良い
季節に応じて雰囲気が変わるのもまた良い
ゆっくり時間を掛けて、隅から隅まで堪能させて頂いた
ゆっくり時間を掛けて、隅から隅まで堪能させて頂いた
本堂裏手には……私の好きな校倉が!(参考「三角鉛筆で作る『俺の正倉院』</a>」)
本堂裏手には……私の好きな校倉が!(参考「三角鉛筆で作る『俺の正倉院』」)
と思ったら、校倉風建築であって校倉造りではない(校倉は木材が交差していないと!)
と思ったら、校倉風建築であって校倉造りではない(校倉は木材が交差していないと!)
境内にはこんなレトロすぎる売店も残っていた
境内にはこんなレトロすぎる売店も残っていた

武田氏のお宅も神社になっている

さて、このようにかつての武士の館が別の用途に再利用されたケースは他にもある。山梨県甲府市にある武田神社がそれだ。

元は戦国武将である武田家の館があった場所で、武田氏滅亡後は長らく放置されていたものの、明治時代に神社が祀られ、武田神社となったのだ。
鑁阿寺ほどの歴史は無いが、良い神社です
鑁阿寺ほどの歴史は無いが、良い神社です
敷地はやはり濠で囲まれている
敷地はやはり濠で囲まれている
あちらこちらに城の成分を見る事ができますな
あちらこちらに城の成分を見る事ができますな
武田氏の生活用水に使われていたのだろうか。井戸も残る
武田氏の生活用水に使われていたのだろうか。井戸も残る
全容はこんな感じ
全容はこんな感じ

次は何が国宝になるのだろう

というワケで、今回は今年新たに国宝となった鑁阿寺を見にいった。建築の価値もさながら、武士の館と寺院という二つの要素を併せ持った、なかなか面白いお寺であった。

ここ近年、平成20年から毎年一件ずつ新たな国宝建造物が誕生している。次はいったい何が国宝になるのだろう。わくわくしながら新指定の季節を待つばかりである。
鑁阿寺のすぐそばにはこれまた歴史ある足利学校も存在するので、セットで見るのが良いかも
鑁阿寺のすぐそばにはこれまた歴史ある足利学校も存在するので、セットで見るのが良いかも
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