特集 2013年11月19日

あっちこっちにある東照宮

日光以外にも、意外とあっちこっちにあるもんだ
日光以外にも、意外とあっちこっちにあるもんだ
先月、「世界最長の並木道『日光杉並木』を踏破したかった」という記事を書かせて頂いた。日光東照宮への参詣道沿いに植えられた杉並木を、頑張って歩き通そうという記事である。

そして、今回もまた東照宮についての記事だ。ただし、今度は日光東照宮ではなく、日光以外の場所にある東照宮に焦点を当てたいと思う。

ご存じだろうか、江戸幕府初代将軍徳川家康を祀る神社「東照宮」は、日光のみならず日本各地に存在する事を。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

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東照宮の大ボス「日光東照宮」

というワケで、今回は日光以外にある東照宮をご紹介……するのだが、その前に、まずは日光東照宮をおさらいしておこう。

日光東照宮は全国に散在する東照宮の総本社、すなわち東照宮の親玉という位置付けである。広大な境内に建ち並ぶ社殿群は、江戸幕府三代将軍徳川家光によって寛永13年(1636年)に建てられたものだ。

おじいちゃん大好きっ子であった家光は、それはもう、凄まじく立派な社殿を建立した。現在はほとんどの社殿が国宝や重要文化財に指定されており、日光は東日本随一の文化財密集地帯となっている。
はい、出ました。泣く子も黙る日光東照宮
はい、出ました。泣く子も黙る日光東照宮
その境内は、いつも多くの参拝客で賑わっている(人が映ってない写真を撮るのはなかなか大変)
その境内は、いつも多くの参拝客で賑わっている(人が映ってない写真を撮るのはなかなか大変)
日光東照宮のシンボル、陽明門
日光東照宮のシンボル、陽明門
黒と白で彩られている、おびただしいまでの彫刻に圧倒される
黒と白で彩られている、おびただしいまでの彫刻に圧倒される
社殿を囲む塀までも、「よくもまぁここまで」と思うくらいに豪華
社殿を囲む塀までも、「よくもまぁここまで」と思うくらいに豪華
伝説の大工「左甚五郎」の眠り猫も、もちろんあるよ
伝説の大工「左甚五郎」の眠り猫も、もちろんあるよ
社殿の裏手には宝塔があり、これが家康の墓である
社殿の裏手には宝塔があり、これが家康の墓である
日光東照宮は社殿もまた豪華なのだが、私が訪れた時は修理の真っ最中であり、全体が布に覆われて外観を見る事はできなかった。

代わりと言ってはなんだが、同じく日光山内に存在する「大猷院(たいゆういん)」本殿の写真を載せておこう。

大猷院は徳川家光の霊廟であり、その社殿は金と黒を基調とした、これまた眩いまでに豪華な建築である。
ででーんと建つ大猷院の本殿
ででーんと建つ大猷院の本殿
うーん、こうして改めて見ても、やはり日光東照宮の豪華さは無類である。

右を向いても、左を向いても、鮮やかな色彩の彫刻がこれ以上無いくらいにてんこ盛り。それらを眺めていると、なんとなく胸焼けがしてきそうな気さえする。

……とまぁ、さすがと言うべき日光東照宮。日本全国に散らばる他の東照宮は、さてはて、どんな感じなのだろう。

元祖東照宮「久能山東照宮」

晩年の徳川家康は、現在の静岡県静岡市に位置する駿府城に住んでいた。

元和2年(1616年)に死去する間際、家康は「自分の遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたら日光に小さな堂を建てて祀るように」と遺言を残したという。その遺言通り、家康が最初に埋葬されたのが、静岡市の駿河湾沿いにそびえる久能山だ。

翌年の元和3年(1617年)には久能山東照宮が建てられ、その歴史は日光東照宮よりも古く、久能山は東照宮の発祥の地、いわば東照宮の元祖なのである。
久能山東照宮は久能山の上にあるので、辿り着くまでが大変だ
久能山東照宮は久能山の上にあるので、辿り着くまでが大変だ
結構急な九十九折りの石段を、えっちらほっちら上って行く
結構急な九十九折りの石段を、えっちらほっちら上って行く
頂上からの眺めが素晴らしかった
頂上からの眺めが素晴らしかった
さらに進んでいき、門の奥に見えたのが久能山東照宮の社殿
さらに進んでいき、門の奥に見えたのが久能山東照宮の社殿
これまたカラフルな社殿である
これまたカラフルな社殿である
黒、赤、金のコントラストが凄まじい
黒、赤、金のコントラストが凄まじい
2006年に塗り替えられたばかりなので、彩色も鮮やかだ
2006年に塗り替えられたばかりなので、彩色も鮮やかだ
社殿の裏、家康の遺体が一時的に埋葬された場所には、日光東照宮と同じように宝塔がたたずんでいる
社殿の裏、家康の遺体が一時的に埋葬された場所には、日光東照宮と同じように宝塔がたたずんでいる
いやはや、久能山東照宮もまた日光東照宮に負けず劣らず極めて豪華な社殿である。張り直されたばかりの金箔は光沢を失っておらず、カラフルな色使いも相まって、その派手さは日光以上かもしれない。

なお、東照宮の社殿はどこも「権現造り」という様式で建てられているのだが、久能山東照宮は一番最初に建立された権現造りである。日本建築史上においても重要な事から、2010年には国宝に指定された。

……とまぁ、日光と久能山は、それぞれ期待通りの立派さである。もっとも、片や総本社、片や元祖というワケで、当然といえば当然なのかもしれない。では次は、もう少し身近な東照宮を見てみる事にしよう。

東京都内に存在する、二つの東照宮である。
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上野動物園の横に鎮座する「上野東照宮」

三つ目の東照宮は、上野公園の中にポツンと存在する上野東照宮である。

上野動物園に行った事ある人や、上野で花見をしたことある人などは、その鳥居を見た事があるのではないだろうか。
上野駅の公園口から上野公園へ
上野駅の公園口から上野公園へ
平日であったが、多くの人出であった
平日であったが、多くの人出であった
上野動物園入口の、左に伸びる路地を行くと――
上野動物園入口の、左に伸びる路地を行くと――
どどんと鳥居が現れる。ここが上野東照宮
どどんと鳥居が現れる。ここが上野東照宮
参道を進んでいくと、現れるのは金ぴか社殿
参道を進んでいくと、現れるのは金ぴか社殿
見た目通り、金色殿とも呼ばれている
見た目通り、金色殿とも呼ばれている
軒周りは極彩色で、やっぱりド派手だ
軒周りは極彩色で、やっぱりド派手だ
上野東照宮は家康の家臣であった藤堂高虎が創建し、現在の社殿は慶安4年(1651年)に建てられたもの。ご覧のとおり、これまた頑張りすぎな感じに豪華であり、重要文化財に指定されている。

日光東照宮は現在大修理の真っただ中であるが、上野東照宮もまたそれに合わせるように修復工事中であった(5年くらい前に訪れた時も修復中だったので、そろそろ終わってるかと思ったが、まだだった)。

しかし、その工事ももうすぐ終わるようで(今年中に完成するようだ)、真新しい金箔や彩色は色鮮やかで、凄まじく派手な社殿である事がうかがえる。

久能山東照宮が国宝になったのは修理後だし、また2012年には同じくハデハデ建築である埼玉県の歓喜院聖天堂が国宝になったので、上野東照宮も近々国宝になるかもしれないですな。
境内には大名たちが寄進した銅の燈籠が並んでいて雰囲気良し
境内には大名たちが寄進した銅の燈籠が並んでいて雰囲気良し

東京タワーのお膝元「芝東照宮」

東京にはもう一ヶ所、東照宮が存在する。東京タワーのすぐ側、芝公園の中に鎮座する「芝東照宮」だ。

芝公園には、増上寺という大きなお寺が存在する。というか、東京タワーを含む芝公園の全域が増上寺の境内だったのだ。芝公園の一角に位置する芝東照宮もまた、かつては増上寺の一部であった。
そういえば、築50年以上の東京タワーも、立派な文化財ですな
そういえば、築50年以上の東京タワーも、立派な文化財ですな
その直下にあるのは、徳川家の菩提寺である増上寺
その直下にあるのは、徳川家の菩提寺である増上寺
本堂は昭和49年の再建で、東京タワーより新しい
本堂は昭和49年の再建で、東京タワーより新しい
その裏手には、徳川家の墓所もある
その裏手には、徳川家の墓所もある
第二次世界大戦前は、この増上寺には日光東照宮にも引けを取らないくらいに立派な江戸幕府歴代将軍の霊廟があったという。しかし、残念ながらそれらは東京大空襲で燃えてしまった。戦災による東京の損失は本当に大きい。

芝公園の南東部に位置する芝東照宮にも、かつては立派な社殿が建っていたというが、それもまた第二次世界大戦で焼失している。
増上寺に比べて、こぢんまりとした感じの芝東照宮
増上寺に比べて、こぢんまりとした感じの芝東照宮
参道が駐車場として利用されているなど、庶民的な雰囲気の神社だ
参道が駐車場として利用されているなど、庶民的な雰囲気の神社だ
昭和44年に再建された社殿もまた庶民的
昭和44年に再建された社殿もまた庶民的
戦前から残るのは、徳川家光が植えたとされるこの大イチョウと、ご神体の家康像だけだという
戦前から残るのは、徳川家光が植えたとされるこの大イチョウと、ご神体の家康像だけだという
増上寺が徳川家の菩提寺であった事、そして壮大な将軍霊廟があった事から鑑みるに、芝東照宮の社殿もかつては上野東照宮のような、豪華極まりないものだったのだろう。

徳川家という後ろ盾があった時代ならともかく、現代において改めてそのような社殿を建てるというのは、もはや不可能に近い事なのでしょうな。

私は少し切ない気分で、芝公園を後にした。
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日光に向かう途中に建つ「仙波東照宮」

続いては、東京を離れて埼玉県の川越市である。ここにもまた、立派な東照宮が存在するというのだ。その名も、仙波東照宮。
というワケで、やってきました川越
というワケで、やってきました川越
やたらと人が多い商店街を進んでいく
やたらと人が多い商店街を進んでいく
川越と言えば、重厚な蔵造りの町並みで有名だが、今回はパス
川越と言えば、重厚な蔵造りの町並みで有名だが、今回はパス
普通の住宅街を進んでいくと、こんもりとした木々が見えた
普通の住宅街を進んでいくと、こんもりとした木々が見えた
いきなり深い堀がどどん。え、城? 城なの?
いきなり深い堀がどどん。え、城? 城なの?
城ではなく、喜多院というお寺でした
城ではなく、喜多院というお寺でした
住宅街に突然現れた巨大な堀にびっくりしたが、それは城ではなくお寺であった。寺院の中には城塞化されている所も少なくないが、ここまでしっかりとした堀を持つ寺院はそうそう無い。

この近くには川越城が存在していたので、それと何か関係があるのかもなぁと思いながら、境内を歩いて東照宮を探す。どうやら、仙波東照宮はこのお寺の中にあるようなのだ。
客殿、書院、庫裏は江戸城から移築されたものらしい
客殿、書院、庫裏は江戸城から移築されたものらしい
おっと、東照宮は境内の南側にあるようですな
おっと、東照宮は境内の南側にあるようですな
そうして、目的の仙波東照宮を発見(門が閉まっているので入れないかと思いきや、左の路地が入口だった)
そうして、目的の仙波東照宮を発見(門が閉まっているので入れないかと思いきや、左の路地が入口だった)
参道が真っ直ぐに伸び、石段の上に社殿が建つ
参道が真っ直ぐに伸び、石段の上に社殿が建つ
……が、まさかの閉鎖中。どうやら、特別公開以外は閉まっているようだ
……が、まさかの閉鎖中。どうやら、特別公開以外は閉まっているようだ
しょうがないので門の隙間から写真を撮る
しょうがないので門の隙間から写真を撮る
ここは基本的に赤。彩色はピンポイントで、上品にまとまっている印象
ここは基本的に赤。彩色はピンポイントで、上品にまとまっている印象
ちなみに、なぜこの場所に東照宮が建っているのかというと、久能山から日光へ遺骨が改葬される際に、その途中に位置する川越の喜多院で法要を執り行った事によるようだ。現在の社殿は寛永17年(1640年)の再建。

仙波東照宮は日光東照宮、久能山東照宮に並ぶ日本三大東照宮の一つ……らしいが、そう名乗る東照宮はいくつかあるようなので、あやふやである。まぁ、名乗った者勝ちなのだろう。

関西の日光「日吉東照宮」

さて、お次は所変わって関西。かの有名な比叡山延暦寺の麓、滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉東照宮である。

豊臣家の影響が強い関西には、東照宮はそう多くはないのだが、家康のブレインであった天海が比叡山出身の僧侶だった事もあり、そのお膝元に東照宮が建てられたのだ。
大津市坂本は、比叡山の僧侶の隠居所である里坊が並ぶ町だ
大津市坂本は、比叡山の僧侶の隠居所である里坊が並ぶ町だ
比叡山へと続くケーブルカー
比叡山へと続くケーブルカー
その横に、日吉東照宮が存在する
その横に、日吉東照宮が存在する
思った以上にひっそりとした雰囲気
思った以上にひっそりとした雰囲気
彩色がややくすんでいるが、それでもやはり派手だ
彩色がややくすんでいるが、それでもやはり派手だ
内部に入らせてくれるのは非常にありがたい。そして内部も派手
内部に入らせてくれるのは非常にありがたい。そして内部も派手
東照宮は東日本も西日本も所構わず豪華である。これはもう、東照宮を建てる際の習わしみたいなものなのだろうか。

ちなみにこの日吉東照宮は、「関西の日光」とも称されているらしい。ただ、関西には著名な寺社が多く、ここはあまり知られていないようだ。訪れる人も少ない気がした。

逆に言えば、穴場という事か。付近には日吉大社や里坊群も多く、坂本は個人的にオススメな散策スポットだったりする。
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日本一小さい東照宮「船橋東照宮」

最後は日本一小さい東照宮と言われている船橋東照宮を紹介して終わりにしよう。
今度は千葉県船橋市
今度は千葉県船橋市
iPhoneの地図を片手に、駅前の道を進む
iPhoneの地図を片手に、駅前の道を進む
なんか凄く雰囲気のある路地を行く
なんか凄く雰囲気のある路地を行く
昔ながらの、路地が入り組んだ下町という雰囲気
昔ながらの、路地が入り組んだ下町という雰囲気
古い家屋も多く、テンションが上がる
古い家屋も多く、テンションが上がる
さてさて、地図ではこの辺に東照宮があるはずなのだが、それらしき神社が見当たらない。キョロキョロと左右を見渡しながら歩いて行くと、ようやく路地の奥にそれらしき鳥居が見えた。
ひょっとして、あれ……か?
ひょっとして、あれ……か?
東照宮を示す標識もあるし、間違いない!
東照宮を示す標識もあるし、間違いない!
というワケで、到着した船橋東照宮
というワケで、到着した船橋東照宮
うむ、日本一小さい東照宮……なるほど、納得である
うむ、日本一小さい東照宮……なるほど、納得である
神社というよりむしろ祠という感じの小ささである船橋東照宮。それはまさに、日本一小さい東照宮であった。

ちなみに、小さいながらもちゃんと由来はあり、なんでも、家康が鷹狩りに船橋に来た際、この場所に宿泊所である船橋御殿が建てられたそうだ。

その後、その御殿跡に家康を祀る祠が置かれ、船橋東照宮となったのである。

家康の影響ある所に東照宮あり

とまぁ、家康にゆかりのある場所には、もれなく東照宮が建てられるようだ。今回紹介したものの他にも、徳川家の親藩であった尾張、紀州、水戸など、各地に東照宮は存在する。そのいずれも、なかなか立派な建物が残されており、多くが文化財として保護されていたりする。

江戸時代の徳川家の力を実感できる東照宮。意外とあっちこっちにあるものなので、近場にある東照宮を見に行ってみるのも楽しいものです。
上野東照宮の側にあるレトロな売店。こういうのにも、惹かれますな
上野東照宮の側にあるレトロな売店。こういうのにも、惹かれますな
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