コラボ企画 2014年3月17日

むかしの絵葉書に写っている場所を探す

この場所をさがしてきました
この場所をさがしてきました
リクルート住まいカンパニーが運営する不動産・住宅情報サイトSUUMOが開設した「スーモ地元自慢」というサイトがある。

自分の住んでいる「地元」の自慢できるところを写真に撮って投稿しようという趣向だ。

厳かな神社仏閣、そびえ立つビル、のどかな里山、きれいな海、美しい山……投稿された地元自慢の写真を眺めていると、日本がいかに多様であるかが実感できると思う。

しかし、これってよく考えると何かに似ている。

そう、むかしの絵葉書だ。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

前の記事:富士山に惑わされるな! ~ここはどこでしょう?第8回~

> 個人サイト 新ニホンケミカル TwitterID:tokyo26

むかしから「地元自慢」してた

観光地に行くと、その土地の観光名所や名勝が印刷された「絵葉書」をよく見かける。

まだカメラが高価だったむかしは各地のようすを伝える手段として「絵葉書」はたいへん重宝された。

地元のきれいな風景の写真(絵葉書)に、近況を綴って親しい人に送る。今、スマホとSNSでやっているようなことを、昔の人は絵葉書と郵便を使ってやっていたのだ。
「スーモ地元自慢」コンセプトは絵葉書と同じだ
「スーモ地元自慢」コンセプトは絵葉書と同じだ
「自慢の名所や名勝が印刷された絵葉書に自分のコメントを添えて人に送る」という行為は、そのまま「自分の住んでいる地元の自慢できるところの写真をみんなで共有する」という「スーモ地元自慢」のコンセプトと同じではないだろうか?

家にある古い絵葉書を見てみる

古い絵葉書が家にいくつかある。

観光地の絵葉書は、建物や風景が今とそんなに変わらないのであまり興味をそそられないけのだけれど、観光地として有名ではない場所の絵葉書が好きで以前からすこしづつ買い集めていた。
うちにある絵葉書
うちにある絵葉書
ぼくの持っている絵葉書は、広島・呉のものが幾つかと、福岡のものが十数枚。いずれも観光地とはいえない地味な場所の絵葉書ばかりだ。
広島の絵葉書。宮島のような観光地ではなく、広島市内の風景だ
広島の絵葉書。宮島のような観光地ではなく、広島市内の風景だ
福岡市の絵葉書。右下の絵葉書の建物は今でも残ってるはず(福岡に行った時に見た)
福岡市の絵葉書。右下の絵葉書の建物は今でも残ってるはず(福岡に行った時に見た)
ひとつづつ見ていくと、ちょっと長くなってしまうので、今回は特に気になった呉の絵葉書について見てみたい。

まずはこちらの公園の写真。
絵葉書1「呉二河公園(要塞認可)」
絵葉書1「呉二河公園(要塞認可)」
絵葉書2「【呉名所】二河公園(大正八年八月要塞司令部許可済)」
絵葉書2「【呉名所】二河公園(大正八年八月要塞司令部許可済)」
呉市にある「二河公園」という場所の絵葉書だ。

絵葉書1は庭園だろうか? 真ん中に東屋が見える。右側にはなにか塔のようなものが建っている。

絵葉書2は同じ二河公園だけれども、解説が若干詳しく、大正八年八月に要塞司令部に認可を受けた写真らしい。

両脇に灯籠のある大きな道が写っている。
絵葉書3「呉鯛宮記念碑(要塞認可)」
絵葉書3「呉鯛宮記念碑(要塞認可)」
絵葉書3は「呉鯛宮記念碑」と書かれた慰霊塔のようなものが写った写真。
絵葉書4「呉市街全景」
絵葉書4「呉市街全景」
絵葉書4は「呉市街全景」と書かれた写真だ。びっしりと並んだ瓦屋根の家が写真の真ん中辺りまで続く。

どこか小高い場所から撮影されたものだということはわかる。

おそらく、この二河公園や呉市街全景なんて今とはずいぶん変わっているのではないだろうか。

この絵葉書の写真を撮った同じ場所で、今の風景を撮って見比べてみたい。

呉にやってきた

ということで、呉にやってきた。
うっかりキス顔に
うっかりキス顔に
せっかく呉までやってきたので、ネットで色々調べるのは必要最低限にし、地元の人に直接話をきいて絵葉書の場所を探しに行きたいと思う。

そこでまずむかったのは呉の観光案内所。

観光を案内するぐらいなので、むかしの絵葉書に詳しい人がいてもおかしくない。受付にいたお姉さんに聞いてみた。
絵葉書を出すとしばらく言葉がでなかったお姉さん
絵葉書を出すとしばらく言葉がでなかったお姉さん
ーーあの、これ呉のむかしの絵葉書なんですが……この場所に行って同じ場所から写真を撮りたいんですけど……場所分かりますか?

「えーっ? これですか……」

お姉さんはちょっと言葉につまっているようだった。

おっさんが突然訪ねてきて、古い絵葉書を取り出したというのがよほどの想定外だったのだろうか。

ただ、持っていった4枚の絵葉書のうち、絵葉書1~絵葉書3はどこのものなのかすぐに特定できた。

「二河公園」の2枚は今でも同じ名前の公園が市内にあるのでおそらくそこ、そして「呉鯛宮記念碑」は市内に鯛の宮神社という神社があり、そこにこの記念碑は今でもありますよ。とのことだった。
戦後の空中写真の史料を出してもらって見比べるけれど、さっぱりわからない
戦後の空中写真の史料を出してもらって見比べるけれど、さっぱりわからない
しかし、絵葉書4の「呉市街全景」これが全く見当もつかない様子だった。

ーー市内が一望できる場所ってどこですかね?
「うーん、市内が一望できる場所といえば200階段ですかね?」
観光案内所からは歩くとちょっと遠い
観光案内所からは歩くとちょっと遠い
200階段。名前を聞いただけでようすが想像できそうな場所である。200階段は「海猿」などのロケで使われた場所で最近訪れる観光客が増えたらしい。

お姉さんの推理にしたがって絵葉書をもう一度よく見てみる。

言われてみれば左下のすみに階段の手すりのようなものが写っているような気がする。
階段の手すり?
階段の手すり?
「あれ? これいきなり正解見つかっちゃったんじゃないか?」と、この時はまだのんきに考えていた。

自転車を借りてまずは二河公園へ

とりあえず、4枚の絵葉書のうち、現在位置の確実な3枚を先にたずねることにした。

大和ミュージアムで行っているレンタサイクルを利用し、観光案内所でもらった情報を手がかりに、まずは「二河公園」へ向かった。
とつぜん写真がニュース風になったのは「スーモ地元自慢」で写真を加工したからです。
とつぜん写真がニュース風になったのは「スーモ地元自慢」で写真を加工したからです。
観光案内所のお姉さんによると、むかし「二河公園」のあった場所は現在球場になっているらしい。
写真には写ってないけど、雪ふってきた
写真には写ってないけど、雪ふってきた
呉は中心街の平野部分は範囲がそんなに広くないので自転車で移動するぶんには申し分ないのだが、あいにくこの日は風がつよく、しかも海からの風だったのでことのほか冷たく、雪まで降ってきた。

瀬戸内だからそんなに寒くないだろうと勝手に思い込んで薄着できたので大変後悔した。
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庭園は一体どこなのか?

自転車に乗って10分ほど、野球場が見えてきた。
けっこうでかい、本気のやつだ
けっこうでかい、本気のやつだ
「二河公園」へ到着したものの、絵葉書1や絵葉書2のような場所はいったいどこにあるのか?

公園内に入ってみると、東屋があるような大きな池や、灯籠のある大きな道などがありそうな雰囲気は、ない。
池は現在水抜き作業中だった
池は現在水抜き作業中だった
小さな回遊式庭園の池のようなものはあったけれど、絵葉書1の雰囲気とはまるで違う。
この子たちが物心ついたときからここはトラックだったらしい
この子たちが物心ついたときからここはトラックだったらしい
野球場のとなりのトラックで練習している高校生に話を聞いてみたが、やはり「こんなところは見たことがない」という。いったいどういうことなのか?

その時、トラックの先にあるものを発見。
あれは!
あれは!
絵葉書1に写ってる塔だ!
絵葉書1に写ってる塔だ!
たしかに、絵葉書1の右上に写ってる塔だ。絵葉書の場所がここだということはほぼ間違いない。
間違いない!
間違いない!
しかし、絵葉書に写っている池や東屋らしいものは一切ない。

トラックでグランドゴルフに興じる年配の方にも話をきいてみた。
これどのあたりから撮影したものだと思いますか?
これどのあたりから撮影したものだと思いますか?
ーーこれ、むかしの絵葉書で、二河公園って書いてあって、この塔があの塔だと思うんですけど、どのへんから撮影したものだとおもいます?
「うん? こりゃえらい古い写真だなー、いつ頃の写真じゃこれ」

ーー大正時代から昭和はじめごろだと思うんですけど。
「おぉ~い、これどこかわかるか?」
どんどん集まるおじさんたち
どんどん集まるおじさんたち
えらい古いのー
えらい古いのー
おじさんが別のおじさんをよび、次々に集まってくる。おお、頼もしい。 しかし、三人寄れば文殊の知恵……というわけにはいかなかった。

「この公園はむかしから運動場だったけえなぁ、むかしは海軍の練兵場だったんよ、たぶん昭和のはじめぐらいには(庭園を)潰しちゃったんじゃないかな? ほれ、呉はひろいとこがないけえ」

いくらおじさんたちが年配だといっても、みんな昭和うまれ。明治大正のことなんて生まれる前の話なのだ。

塔に近づいてみる

いったい、絵葉書に写っていた塔は何の塔なのか。近づいて確認してみた。
デーン「殉職者招魂碑」でした。
デーン「殉職者招魂碑」でした。
プレートを読むと、呉にあった海軍工廠(海軍の軍需工場)で亡くなった工員のための慰霊碑で、大正11年に建立されたものらしい。

となると、絵葉書1は少なくとも大正11年以降の写真だろう。

碑の隣にあるスポーツセンターのひとに話を聞いてみたい。
招魂碑のすぐとなりにあります
招魂碑のすぐとなりにあります
これどこから写したものかわかります?
これどこから写したものかわかります?
これ、どこで写したものかわかりますか? といって絵葉書を見てもらったところ、お仕事中にもかかわらず、職員総出で見てくださった。

職員のおじさんによると、絵葉書1は招魂碑のエンブレムとランプの向きを見ると、スポーツセンターと道を挟んで向かいから撮影したのではないか? とのこと。

なるほど、たしかにそうだとすると、右端の後ろに写ってる山と招魂碑の向きの整合性がとれる。
ランプとエンブレムの向きが違う、後ろの山が高い
ランプとエンブレムの向きが違う、後ろの山が高い
ランプが前後についてるうえに、後ろの山が低い
ランプが前後についてるうえに、後ろの山が低い
最初、高校生やおじさんたちに話を聞いた場所からだと、後ろに写る山の形がどうも微妙に違っているのだ。

そしてもう一枚の絵葉書2は、おばちゃんの推測だと、真ん中に山が描かれていないので、スポーツセンターのある場所から、南西を向いて撮影したのかもしれない。という。

たしかにこの絵葉書、高い山が写っていない。
絵葉書2・高い山がまったく見えない
絵葉書2・高い山がまったく見えない
二河公園は、北西に山、東に小高い丘が迫っており、背景に山が写り込まない方向と言えば南西しかないのだ。

より大きな地図で 呉市二河公園 を表示
スポーツセンターのおじさんおばちゃんの推理に畏れ入る私
スポーツセンターのおじさんおばちゃんの推理に畏れ入る私
ただ、絵葉書2に写っているような灯籠のある広い場所は今はどこにもない。この広い道が海軍の練兵場になったのでは? と考えると現在のトラックを南西に向かって見ているのではないか? との推理だった。

実際に確認してみる

スポーツセンター職員のみなさんの名推理を元に、外にでて風景を確認してみたい。

まずは絵葉書2の現在の風景がこちらだ。
左側の丘の端っこがそっくり!
左側の丘の端っこがそっくり!
実際に見て比べてみて驚いたのが、左端の丘の斜め具合が絵葉書2のそれとそっくりなのだ。
やはり、左の丘がそっくりだ
やはり、左の丘がそっくりだ
絵葉書2については確実にここだ。 と言い切る自信はないけれど、正解にかなり近いのではないだろうか?

続いて絵葉書1の場所。

こちらはスポーツセンターの裏手の道から見るとそのままの形である。
ランプとエンブレムの向き、山の高さ、絵葉書1とほぼ同じ
ランプとエンブレムの向き、山の高さ、絵葉書1とほぼ同じ
ランプが前後についてるうえに、後ろの山が低い
ランプが前後についてるうえに、後ろの山が低い
スポーツセンターの向かいには道を挟んで庭園のなごりがちょっと残っている場所があった。
夏場は水が満たされ、蛍が生息するらしい
夏場は水が満たされ、蛍が生息するらしい
位置関係を図解するとこう
位置関係を図解するとこう
この庭園のどこかにむかし東屋があったと考えると、招魂碑の向きなどからピッタリなのだ。

庭園の位置から招魂碑の方向を向いて写真を撮るとこんな感じだ。
木が生い茂って碑が見えにくいけど、たぶんこの位置であってる
木が生い茂って碑が見えにくいけど、たぶんこの位置であってる
先程の絵葉書2とは違い、こちらは招魂碑の位置や後ろの山の形がほぼ同じなので、かなり確実にこの位置からの写真ということができる。

道路の向かい側に、この庭園を見つけた時は40も手前になのに思わず「おぉー」と叫んでしまった。

「思わず声がでる絶景」なんてよく言うけど、なにも絶景じゃなくても声がでる風景ってあるのだ。
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鯛の宮神社から200階段へ

さて、残り2枚の絵葉書、絵葉書3の記念碑、そして絵葉書4の「呉市街全景」を探しに行きたいと思う。

絵葉書3の 呉鯛宮記念碑は「鯛の宮神社」に今でもあるという。二河公園から自転車で10分ほどの場所に鯛の宮神社はある。
先っぽ見えてますね、あれですよ
先っぽ見えてますね、あれですよ
階段……なげえ
階段……なげえ
長い階段を登り切ると、記念碑はその姿を現した。
全く同じ形だー
全く同じ形だー
これで間違いないですね
これで間違いないですね
この記念碑は正式には「第六潜水艇殉難慰霊碑」といい、明治四十三年(1910)に起きた潜水艇の遭難事故で亡くなった14人を慰霊するための塔で、今でも事故のあった4月15日には遺族が集まり慰霊祭が行われている。

ここはさすがに全く同じものが残っていたので発見が早かった。

さて次は200階段である。ここ、鯛の宮神社からも200階段が見える。
あのへんまで階段で登るのか……
あのへんまで階段で登るのか……
同行してくれた編集部の安藤さんは「わー、城みたいでかっこいい」などと無邪気にはしゃいでいたけれど、ぼくは「200階段」という名前に内心戦慄していた。

おばちゃんといっしょに登る

鯛の宮神社から200階段へ向かう途中、情報収集のため八百屋で買い物するおばちゃんにも絵葉書4について話を聞いてみた。

ところが、このおばちゃんたちも大正ぐらいまで前の事になるとさすがに分からないらしい。

とくに、おばちゃんたちは他の土地から呉に嫁いできた方が多いので、よけいわからないという。

しかし、親切にもおばちゃんたちは色々と貴重な意見を出してくれた。

八百屋のおばちゃんは「これ(絵葉書4)をみるとずいぶん先まで町が続いているけれど、200階段からだと海がもっと近くにみえるんじゃない?」という疑念を新たに出してきた。
200階段なら家の近くよー
200階段なら家の近くよー
もし、それが本当ならばとんだ無駄足になってしまう。

すると、買い物に来ていた靴屋のおばちゃんは「いや、でも200階段を登り切った場所から観光客はあまり行かない川原石駅方面の景色だったら近いかもしれない」という。

しかし、そこでクリーニング屋のおばちゃんはいう。「200階段よりもっと高いところのような気がするけど、灰ヶ峰とか」

侃々諤々であり、大変ありがたいが、議論がまったくまとまらない。

ちなみに灰ヶ峰ってどこですか? ときくと、あそこだよと指をさしてくれた。
あそこだよ
あそこだよ
ひー!
ひー!
登山である。

自転車だと絶対無理だし歩いて登ると日が暮れて遭難の危険が伴う。

そこで、ここは一旦200階段を登って、景色を確認し、違っていたら呉の観光案内所にもう一回行って話を聞いてみようということになった。
冗談でも言ってみるものだなー
冗談でも言ってみるものだなー
そこで、同行してくれた安藤さんが「おかあさんも一緒に登りますか?」と冗談で言ったところ、靴屋のおばちゃんが「あぁ、えぇよ、どうせ今日か明日に墓参りしようおもっとったし」ということで、本当に200階段を一緒に登ってくれることになった。
靴屋のおばちゃん歩くの結構早い
靴屋のおばちゃん歩くの結構早い
200階段の入口。ここから登るのか
200階段の入口。ここから登るのか
靴屋のおばちゃんは200階段を登り切った場所の近くにお墓があるらしく、この階段を登ってよくお墓参りに行くらしい。

70すぎとは思えない足腰のつよさである。

これぐらい健康に歳をとりたいと思う。バンジージャンプで筋肉痛になっている場合ではない。
手すりを掴みながら、10段づつ休憩を取りながら登る
手すりを掴みながら、10段づつ休憩を取りながら登る
後ろを振り返るとこんなことに!
後ろを振り返るとこんなことに!
坂とか階段というよりも、崖である。
!
これも「スーモ地元自慢」で加工。勝手にいい絵になっておもしろい。
そんな急な崖にへばりつくように家が建っている。

もともとは海軍の指揮官のような偉い人がこの辺りに住んでおり、建物も和洋折衷のモダンな住宅が多く、高級住宅街だったそうだ。

しかし、住人の高齢化が進み、現在では空き家になっている家屋も多い。
休憩(ぼくの顔が険しいのはしんどいから)
休憩(ぼくの顔が険しいのはしんどいから)
階段をのぼること二百三十数段、ついに頂上のあたりに到着した。
あれ? なんか違う
あれ? なんか違う
うーん、やっぱり、海が近すぎるし、後ろの風景がぜんぜん違う。ちなみに絵葉書4はこちら。
やっぱり全くちがいますね
やっぱり全くちがいますね
海が近すぎですね
海が近すぎですね
靴屋のおばちゃんが言っていた川原石駅方面に向かってみる。
200階段を登り切った場所にある中学校の裏手の崖がそうなのだが、実際に行ってみると……。
こちらもコンパクトすぎる
こちらもコンパクトすぎる
さっきよりかは絵葉書に近づいたかもしれないけれど、こちらもやはり海が近いし、海の先に見える島が多い。絵葉書4だと島が見えないのだ。
おばちゃんが墓参りしてる間に雪が降ってきた
おばちゃんが墓参りしてる間に雪が降ってきた
わざわざ地元の人に案内してもらったのに、違ってた。痛恨の結果である。これはもういちど観光案内所に行って話をきいてみなければなるまい。

実は、観光案内所では午後から呉の歴史や地理に詳しいボランティアの方が来られるのだ。
その人達のお知恵を拝借したい。
200階段を下山したところでおばちゃんに「ガンス」(すり身を揚たもの)をごちそうになった。うまかった!
200階段を下山したところでおばちゃんに「ガンス」(すり身を揚たもの)をごちそうになった。うまかった!
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再び観光案内所へ

海軍式敬礼のつもり
海軍式敬礼のつもり
再び観光案内所へ戻ってきた。今度は詳しいボランティアの方に色々と聞いてみた。
うーん、どこからだろね?
うーん、どこからだろね?
ーーこの絵葉書の写真を写した場所と同じところで写真撮りたいんですけど……どの辺だと思いますか?
「うーん、こりゃ難しいねえ、だいたい呉の町は空襲で焼けちゃって、古い建物が残っとらんのよ……」

ーーひとつ気になるのが、呉って海の向こうに島が幾つか見えると思うんですけど、絵葉書だと島が見えないんですよね。
「あぁ、呉は軍港だからたぶん後ろの景色は消してあるんよ」
海の後ろに島が見えないのが気になっていたのだが……
海の後ろに島が見えないのが気になっていたのだが……
なんと、戦時改描の絵葉書版である。

戦時中の地図では軍事的に重要な施設を更地にしたり、真っ白にしたりして中の様子が詳しくわからないようにすることがよく行われており、これを戦時改描というのだが、同じようなことが絵葉書でも行われていたらしい。

ちなみに、絵葉書の下に書いてある「要塞認可」という文字も、むかしは軍事的に重要な町の写真は絵葉書にするときに軍の許可が必要だったのだ。

後ろの島が消されている。となると、後ろに島が見えない場所を探さなくてもいいということになるのだが、それだけ位置特定のヒントも減ってしまう。

こうなったらもう、手前から海までの距離を手がかりに勘でさぐるしかない。
壁に貼ってあった古地図を参考に場所の見当をつける。
壁に貼ってあった古地図を参考に場所の見当をつける。
現在の地図でだいたいの位置を確認する
現在の地図でだいたいの位置を確認する
そして出した結論は現在の呉市水道局の浄水場がある辺りのどこか。ということになった。

より大きな地図で 浄水場 を表示
おそらく、ドンピシャで同じ場所。というところは分からないと思うが、似たような風景は必ず写真に撮れると思う。

坂の町・呉

呉の町は平地が狭く、山の斜面にはうように住宅地が伸びている。長崎ほどではないにせよ、坂が多い。

しかも坂の距離が長い。昨年、神奈川の水道道路を自転車で走った時もかなりしんどかったが、呉も負けないぐらいしんどい。
神奈川のときと同じ顔になってる
神奈川のときと同じ顔になってる
死にかけ
死にかけ
普段全く運動しないツケが今きた。一方、同行してくれた安藤さんはこの顔である。
ぼくは全く大丈夫ですねー
ぼくは全く大丈夫ですねー
さすがマラソン完走できるひとは違う。汗さえかいてないように見えた。生命力か。

そんなことを言いつつ、やっと浄水場の辺りに到着した。観光案内所から自転車で30分ほどのところである。
ここらへんからかな?
ここらへんからかな?
うーん、浄水場がじゃまだな
うーん、浄水場がじゃまだな
浄水場からの眺めはかなり近い感じではあるものの、浄水場がじゃまだった。

しかし、左右に迫った山、海までの距離、風景としてはかなり近いと言える。この近くで眺望の良い場所を探してみたい。

色々と歩いて探した結果、浄水場より少し下った場所にあった駐車場からの眺めがかなり近いことを発見した。
ここ、どうですか?
ここ、どうですか?
建物の様子は全く変わっているけれど、かなり近いのでは?
建物の様子は全く変わっているけれど、かなり近いのでは?
間違ってても、これでいいや
間違ってても、これでいいや
さっきまで雪が降るほどの天候だったのがウソのような晴れ間になった。

全く同じ場所か? と言われればたぶん違うだろう。

でも、なんだかとてもいい場所を見つけたような気がしたので、もう間違っててもここでいいやという気持ちになった。

古い絵葉書めぐりけっこう面白い

絵葉書4の「呉市街全景」の場所は完全に特定できたとは言えないものの、この辺りではないか? という場所にまで辿り着くことができた。

最初は「すぐわかっちゃったりしてー」なんて軽い気持ちで考えていたけれど、まったくそんなことはなく、さらに途中、雪に降られたり坂道で半死半生になったりと、それなりに大変であった。

しかし、それ以上に呉のみなさんの親切さが心にしみた旅であった。

呉のみなさんありがとうございました!

地元自慢
現代版地元自慢はこちら。どこかで見たことあるような地元の風景がそろっています。
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