特集 2014年4月22日

素人でもいいクオリティ出ます!バイキングで枯山水を盛る

バイキングの盛りつけで枯山水ができるか?
バイキングの盛りつけで枯山水ができるか?
バイキングといえば盛りつけの汚さ。おいしそうに盛れたことが一度もない。

調べていると和食の盛りつけに枯山水の法則というのがあるらしい。手前を低く奥を高く、だそうだ。

待てよ。それならいっそのこと本物の枯山水を作ればいいのではないか。枯山水風に盛り、バイキング史上最高の盛りつけをしよう。
動画を作ったり明日のアーというコントの舞台をしたりもします。プープーテレビにも登場。2006年より参加。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

バイキングのもりつけの汚さ。盛りすぎが原因のようだ
バイキングのもりつけの汚さ。盛りすぎが原因のようだ

盛りすぎがダメらしい

盛りつけのことを調べていると、たいていの問題は器に対して料理が多すぎることが原因のようだ。なるほど、だからバイキングが汚いのか。

とはいってもちょっぴりの盛りなんてバイキングではないという思いもある。

そんなときの枯山水だ。和食盛りつけの基本形とまで書いてあった枯山水。奥に山、手前に海を配置する枯山水が日本の美意識に合うということらしい。

枯山水を皿一面に再現すれば、豪快に盛りつつ最高にきれいが達成されるのではないか。
日本庭園の枯山水を勉強する。石と砂さえあればいいか
日本庭園の枯山水を勉強する。石と砂さえあればいいか

枯山水を勉強する

よし、料理の盛りつけじゃなくて枯山水を勉強しよう。そもそも枯山水ってなんだろう。トンボがかけられた庭? 枯山水のことを本やネットで調べてわかったことをメモしていく。

・水がない
・水をふくむ景観を表している
・仙人や仏が住む場所をモチーフにしてるのが多い
・山をつくったり(築山)、石を組んだり(石組)、白砂に模様をつけたり(砂紋)する
・大きな3つの石がある場合は仏さまを表現
・滝や橋、船などさまざまなものが石で表現されてる
・でも解釈は自由
「仏さまのいる深山幽谷に船で行く」シチュエーションが多いようだ
「仏さまのいる深山幽谷に船で行く」シチュエーションが多いようだ

砂の模様さえできればいい

しかし色々見た結果、砂の模様と大きな石があれば枯山水っぽく見えるとかんがえた。石はなんでもいいが問題は砂紋、線の入った砂だ。

どうやって表現すればいいのだろう。

料理屋を営むライターの馬場吉成さんにたずねたところ「ご飯の所にナイフかフォークで溝をつけて水の流れを表現」するのはどうかという案が出た。
ピラフの米を選り分けてフォークで砂紋……できない
ピラフの米を選り分けてフォークで砂紋……できない

米でなく、パスタを一本ずつそろえる

ためしに米に線を入れてみると粘り気があってどうもうまくいかない。あとバイキングに確実であるものといえばなんだろう。パスタか。

パスタでなんとかならないかとまた馬場さんに相談してみたところ、茹でる前にしばるやり方ならあるが、バイキングだと一本一本箸でつまんで整えるしかないという。
家で一人練習…あ、でもいけそうだなこれ
家で一人練習…あ、でもいけそうだなこれ

ホテルのバイキングで実践

砂紋ができそうだったので実践に入る。ホテルのランチバイキングに行くことにした。時間制限なしのランク高めのところだ。

一人では失敗するかもしれないなと思い、『Weekly Teinou 蜂 Woman』というサイトをやっている土屋遊さんを呼んだ。

土屋さんは美的なセンスがやたら良くてふざけたことが好きという自身のウェブサイトそのままの人。予想通り乗り気だった。
対決形式じゃないと燃えないというので
対決形式じゃないと燃えないというので
その勝負乗った(勝負は乗り気でない)
その勝負乗った(勝負は乗り気でない)
すでに盛ってる気がしないでもない
すでに盛ってる気がしないでもない

食品の選定から勝負がはじまる

やるからには勝負だというのでここから先は土屋さんとの枯山水作り対決になった。急に美味しんぼっぽくなってきた。

午前11時40分開始。盛りつけるためにパスタをとってきた時点で(……これがもう盛りつけなのでは?)という疑念がわく。
一本ずつ配置していく。箸で配置し、ナイフで抑えと切断するのが効率よかった。最後に端をナイフで剪定。
一本ずつ配置していく。箸で配置し、ナイフで抑えと切断するのが効率よかった。最後に端をナイフで剪定。

つゆにつけたそばが強い

勝負となるとできるだけちがう食材をえらびたくなるもの。筆者はパスタを中心に洋風の、土屋さんはそばをメインにして作るようだ。

そばなんてすぐ切れるだろうと思っていたらめんつゆをつけてから配置するという技を繰り出してきた。これなら柔らかいうえに加工しやすい。

技だ。技法が今生まれようとしている。このままだと一ジャンルとして確立してしまうぞ、バイキング枯山水。
そばをつゆにつけて砂紋をつくる。ほかにもごはんを築山の土台にするなどの独自の技を土屋さんは開発。練習してきたのか?
そばをつゆにつけて砂紋をつくる。ほかにもごはんを築山の土台にするなどの独自の技を土屋さんは開発。練習してきたのか?

2時間後、完成

……それにしてもバイキングってこんなに目と肩にくるものだっけ。盛りすぎてガッハッハッと笑うようなもんじゃなかったか。

ああ、目薬がほしい。集中しすぎた土屋さんはこのあと仕事に戻れなかったそうだ。

そして2時間後、大北作枯山水が、その30分後土屋作が完成した。さあ、バイキングではじめてきれいに盛れたのだろうか?
代表的な枯山水になるように設計図を書いてきたがはたしてどうなったか……
代表的な枯山水になるように設計図を書いてきたがはたしてどうなったか……
これがバイキング枯山水だ。仏さまのいる深山幽谷を船で行く様子を表現
これがバイキング枯山水だ。仏さまのいる深山幽谷を船で行く様子を表現
赤い福神漬はお寺の縁側でそこから見た枯山水。庭だ、庭。
赤い福神漬はお寺の縁側でそこから見た枯山水。庭だ、庭。

見事な枯山水できた

やばい。すばらしい出来栄え。きれいにきれいに、と思っていたがもはやきれい超えて幽玄の域だ。やりすぎだ、これは。

あの3つ並んだ鶏肉が見えるだろうか。あれは三尊石組の仏さまである。

荒くれ者の海賊たちがドペッ、ドペッ、とローストビーフとポテトを盛りつけてがっはっはっとワインをがぶ飲みするのがバイキングだと思っていたが……

日本人の食への探究心はついにバイキングに仏様を見出してしまった。
結果的にバイキングの盛りとしては少ない気がする
結果的にバイキングの盛りとしては少ない気がする

お皿の上はあなたの心の中だ

あなたは船に乗る。ロールキャベツの船に乗る。和風きのこスパゲティの海を行き、キッシュの崖を横切り、蓬莱島とよばれるニンジンとカリフラワーでできた島へと行く。

あなたはそこで仏様に出会うだろう。それがあなたの精神世界をあらわしている。

さあ、我に返ってください。それチキンですよ。
ここが仏さまがいるという島か……なんて洋風なんだ
ここが仏さまがいるという島か……なんて洋風なんだ
ああ、いい。いいんだけど本当にこれがやりたかったことなのだろうかとの思いもある。たしか私はきれいに盛りつけたかっただけじゃなかったろうか……

やりすぎた感じになってしまったパスタの枯山水であるが一方のそばの枯山水はどうなっただろうか。
ずいぶんと仕上げてきたな、おい! 土屋作、そばをつかった枯山水。
ずいぶんと仕上げてきたな、おい! 土屋作、そばをつかった枯山水。

ここにもバイキング山水が

やばい。ここにも庭があった。これは、和尚さんを呼んできたほうがいいのではないか。

そばの色がよけいに枯山水っぽくあるし、水の流れがえぐい仕上がりだ。細かすぎる仕事は本人も「指が震えた」と言っていたほど。

水を使ってないのに水の流れを感じるのが枯山水の本来だが、水を使ってないどころかそばで。この"どころか"感、やっぱりぼく和尚さん呼んできます。
この視点はもう飯じゃなくて庭だ、庭。お茶飲んでいたい。
この視点はもう飯じゃなくて庭だ、庭。お茶飲んでいたい。
皿の白ができるだけ見えないようにしたという。なるほど、細部が肝心のようだ
皿の白ができるだけ見えないようにしたという。なるほど、細部が肝心のようだ
ブロッコリー(植木)ポテト(竹林)カリフラワー(雲)…和尚さん呼んできます
ブロッコリー(植木)ポテト(竹林)カリフラワー(雲)…和尚さん呼んできます
このクオリティ。製作中「老眼がきつい…」といううめき声が上がった
このクオリティ。製作中「老眼がきつい…」といううめき声が上がった

だいたいの店では時間オーバー

どちらが良い出来か友人知人にメールで質問したところ、3対14票でそばの枯山水が多く支持を得た。

・パスタ枯山水を支持した声
「なんか中国の水墨画っぽい」
「 遠景と近景の配し方で圧倒的にこっち!」

・そば枯山水を支持した声
「ブロッコリーで高低差をうまくつけ、なおかつ庭っぽくしててうまいなと思った」
「人参の周りの空間が良いなぁー」

午後2時半、すべてが終わった。製作時間2時間半。バイキングはだいたい1時間くらいの時間制限があるしここのランチももうすぐ終わる。

とにかくお腹がすいた。目の前には立派な枯山水がある。しかしこれを食べてしまうのはもったいない。
勝利。製作に2時間半。このあと仕事にならなかったそうだ。暇な人限定の盛りつけだ。
勝利。製作に2時間半。このあと仕事にならなかったそうだ。暇な人限定の盛りつけだ。

暇な人は仏を超えてくる

人は仏を表現する。仏像を彫り、庭に枯山水を作り、米粒の中にお経を書く。もちろんそれはありがたいからだ。

彼らはさらなるありがたさを求めて、水がないのに山水を表現してしまったり、あまりにも小さな米粒に書いたり、だんだんとそれは自慢をふくみはじめる。ときに自慢は大きくなりすぎて仏の存在感を超えることもある。

なぜだろうか。仏さまの偉大さをありがたがるはずがなぜ自分の偉大さを誇示してしまうのだろうか。たっぷり2時間はかけてバイキングを盛りつけてみると、彼らはみな暇だったからではないかという思いがわく。

人の暇さというのはあらゆる縮尺をおかしくさせる。さきほどの仏と人の関係であったり、ふつうのバイキングの制限時間を超えた製作時間だったり、その後仕事できないほどの食後の疲労感だったり。

(そういえばバイキングは残せないものだが、これは本当に残せない。奇跡を目にしたと思ってウェイターが仏門にくだるおそれがある。)

それもこれも暇な人のせいだ。暇な人の周りは磁場が歪んだように、たいていの縮尺がおかしなことになっている。

暇な人はだいたいいらんことをしはじめ、仏を超えてくる。そして彼らはそれをけっこう楽しんでいる。

「もしかして彼らこそ仏なのでは?」と勘違いする人もいるだろう。ちがうちがう、彼らや私たちはアホなのだ。相手にしない方がいい。
これほど食べるのがもったいない皿もないが味は変わらず
これほど食べるのがもったいない皿もないが味は変わらず
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