特集 2015年3月9日

デカ目イラスト勝手に入門

クラスの女子が描いてた絵を自分で描く
クラスの女子が描いてた絵を自分で描く
小学校で同じクラスだった女子が、自由帳にやたらと目がでかい顔の絵を描いていた。
現実にはあり得ないデカ目。横目に見ながら「なんだこの絵は」と思っていた覚えがある。もうすっかり大人になったが、そのインパクトはずっと自分の中でくすぶっている気がする。

その正体を確かめるために、あれから30年経った今、自分の手で描いてみたい。
1973年東京生まれ。今は埼玉県暮らし。写真は勝手にキャベツ太郎になったときのもので、こういう髪型というわけではなく、脳がむき出しになってるわけでもありません。→「俺がキャベツ太郎だ!」

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あの違和感を自分の手で

小学校3~4年生の頃だろうか、クラスの女子の間で自由帳にイラストを描くのが異常に流行っていた時期があった。

男子なりの距離を取りつつ、視界にチラチラ入ってくるのは妙に大きな目をした顔のイラストだった。
こういうやつ
こういうやつ
多くの人が覚えるであろう既視感。ただ今回、クラスでの風景と違うところは、これを描いているのが40過ぎのおっさんであるということだ。
いきなり意外とそれっぽく描けて自分でも驚く
いきなり意外とそれっぽく描けて自分でも驚く
最近、知人の娘さんのらくがき帳を見る機会があったのだが、このタッチは今でも脈々と続いているようだ。久しぶりにデカ目イラストに向き合って、湧き上がってくる「これってなんだろうな~」という思い。

そのモヤモヤは、自分で描くことで解けるのではないだろうか。実際にやってみたらいくつか格言めいたことに気付いたので、それらをお知らせしながら実践レポートとしたい。

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デカ目イラストはその名の通り大きな目が最大の特徴なので、目をでかく描くことから始めるのがよさそうだ。
この時点でほぼ完成
この時点でほぼ完成
逆画竜点睛である。描きたいのは「でかい目のイラスト」なのだから、デカ目を描いた時点でもうほとんど目的は達成しているのだ。
目以外は適当でいい
目以外は適当でいい
輪郭や髪型、他のパーツは適当に描いてもデカ目イラスト的なテイストは十分に出る。

意図的に何かを描こうとするのではなく、できあがったものが自然とそれで作品なのだ。描いてみて思い出したが、そういう雰囲気が女子たちのノートには漂っていたと思う。
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人間の顔の中でも、目は特別な意味があるだろう。表情や特徴が最も感じられる出るパーツだからだ。

しかしデカ目イラストの場合、目はでかくさえあれば適当でいい。表情や特徴を出そうとしなくて大丈夫。なぜならそれで似顔絵を描いても、なんとなく似せることができるからだ。
編集部の安藤さん
編集部の安藤さん
なんかそれっぽくなる
なんかそれっぽくなる
上の似顔絵は、ただでかいだけの目を描いたあと、写真を見ながらそれ以外の部分を描いたもの。結局なんとなく似せられる。

ただ、「安藤さんはもともと目が大きい方だから似たのではないか」という考えもあると思う。私も始めはそう思っていたのだが、別にそうでもないらしい。
同じく編集部石川さん
同じく編集部石川さん
よくわからんがなんとなく似てる
よくわからんがなんとなく似てる
石川さんは目が大きい方ではないが、目をでかく描いてもなんとなく似せることができる。写真とイラストを見比べてみても目の大きさは明確に違うのだが、それでもなんとなく似ている。なんだこれは。
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デカ目イラストはじっくり描くものではなく、ササッと筆記具を走らせるスタイルが似合うと思う。

クラスの女子たちの自由帳にはびっしりデカ目イラストが描かれていた。その量からすると、仕事の丁寧さが重要になるものではなさそうだ。
編集部藤原さん
編集部藤原さん
なんか似てこない
なんか似てこない
安藤さんと石川さんはすぐに似せて描けたのだが、藤原さんはなかなか似てこない。そもそも絵の心得のない自分が適当に描いているだけだから、むしろさっきまで似せられたのが不思議なくらいだ。

ただ、似てこなくてもあせらなくていい。デカ目イラストは1分もかからずに1つ描けるのだから、単に似るまで量産すればいいだけの話だ。
描くたびに変わる藤原さん
描くたびに変わる藤原さん
あ、なんか雰囲気出てきた
あ、なんか雰囲気出てきた
同じ写真を見ているはずなのに、描くたびに様子が変わる藤原さんのデカ目イラスト。適当だからそうなるはずだと思う。

そして、6人目でなんとなくそれっぽいのが出現。どうやって似せればいいのかわかってないので、次々に描いていくうちに、たまたま似たのが出てくればいいのだ。
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デカ目イラストは短い時間でどんどん描けるので、とりあえずたくさん描くのが重要だ。そして、描いた結果から現実に目を向けるという順番もある。
失敗作かと思いきや
失敗作かと思いきや
ウェブマスター林さんに似てる
ウェブマスター林さんに似てる
例えば上のイラスト。これは当初、先に登場した安藤さんの似顔絵として写真を見ながら描いたものだ。しかし、どうも似ていない。

安藤さんには似てないなと思いつつじっと見ていると、別の人に似ているのに気がついた。当サイトのウェブマスター、林さんのさわやかテイストバージョンだ。
忘れないように載せますが、おっさんが描いてます
忘れないように載せますが、おっさんが描いてます
結果オーライでもいいのがデカ目イラスト。「似顔絵描いたよ、似てるでしょ!」と言いながら相手に見せても、どうせ経緯はバレないからだ。
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たくさん描けば適当の乱数がヒットしていつか似るはずのデカ目イラスト。ただ、しばらく描いてもどうしても似ない場合もある。
編集部古賀さん
編集部古賀さん
どうしても似ない
どうしても似ない
今回の実践では編集部の古賀さんがそうだった。8回描いたが、似てる気がするのは1つもない。

ただ、落ち込むことはない。目と鼻と口があるというところは揺るぎなく似ているのだから、あとは鑑賞者の慈悲に期待すればいい。

そして、そういう開き直りを別にしても、デカ目イラストに失敗はない。
ウインクでごまかしても似なかった
ウインクでごまかしても似なかった
目の大きいことは、魅力的な顔の有力な特徴の1つだろう。女性のメイク術でも目を大きく見せることは最重要課題とされていると思う。

それからすると、似てるか似てないかはともかく、描かれた側からして「似顔絵として大きな目の自分を描いてもらう」というのは、おおむね好意的に受け取ってもらえそうだからだ。

そこにいるのは、誰かが描いた似てはないけど目が大きくてかわいい自分。そういう意味で、失敗を恐れず描いていい。これは女子たちがデカ目イラストで互いの顔を遠慮なく描きあっていたのとつながっていると思う。
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ここまでは身近な人の顔部分で描いてみたが、実はこれはデカ目イラストでも難しい部類に入ると思う。有名な人物には、特徴として誰もが共有しているものがある場合も多いので、それを入れ込んでいけばいい。
顔にはかなり自信がない
顔にはかなり自信がない
例えば上のイラスト。描いた当人として全く自信がないのだが、誰を描いたか言わないまま妻に見せたら「あ、ペリー」と言われた。正解である。
ザ・ペリー
ザ・ペリー
顔の似具合はともかく、髪型と服装という記号の威力で全体としてペリー感が出てくるのだ。ペリーよ、わかりやすい格好をしてくれていてありがとう。
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ここではまず、このイラストを見ていただこう。
ほととぎすに厳しいあの人
ほととぎすに厳しいあの人
このイラストも無言で妻に見せたところ、「信長だよね」とあっさり正解。
この絵の共有が前提
この絵の共有が前提
正解したのは日本史の教科書で見た信長要素を織り込んでいるからだろう。これは先の「記号を利用せよ」の活用だ。

そう、これって信長だよね。じゃあこれは?と見せたのが次のイラスト。
ほととぎす鳴かせのあの人
ほととぎす鳴かせのあの人
そして、ほととぎす待ちの人
そして、ほととぎす待ちの人
絵の完成度は信長以上に自信がなかったが、妻は秀吉・家康と迷うことなく正答。
こちらが元の絵
こちらが元の絵
この正解は、まず信長が出てきたという流れあってのものだろう。絵に自信がないときは、こうして自動的に類推が及ぶ展開を利用すればいい。

そんなズルまでして正答を得ることに何の意味があるのかは問わなくていい。そもそも歴史上の人物をデカ目イラストで描いてること自体に何の意味もないからだ。
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ペリーと有名3武将は服装まで描いてその記号性を利用したが、顔だけでも十分な記号のある人もいる。
相対性理論の人
相対性理論の人
1000円札で見かける人
1000円札で見かける人
これらも妻が一発正答のアインシュタインと野口英世。表情や髪型がすでに強力な記号になっているのでわかりやすい。

野口英世のイラストをよく見るとわかるが、一旦描いたあと髪のボリュームが足りないと思って描き足した。記号のあとづけ強化だ。

もしも確実に似ている似顔絵を描きたいのであれば、似せようとして描くのではなく、適当に描いても勝手に似る人を選んで描けばいい。
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ただ、野口英世のイラストを見た妻の言葉には付け加えがあった。「野口英世でしょ。ただ、なんかうまくなっちゃってるね」。

うまくなっている。その字面は褒め言葉だが、妻はそのつもりで言っていないし、私も褒められた気はせず、ハッとさせられた。
拙さがにじむ石川さん
拙さがにじむ石川さん
慣れてきちゃってる野口英世
慣れてきちゃってる野口英世
石川さんと野口英世を比べるとわかる。完成度は別として、イラスト全体から漂う趣きが違うのだ。

模範としたクラスの女子のらくがき帳テイストに近いのは、圧倒的に石川さんの絵。稚拙で自信のない線や、微妙な非対称性が独特の情緒を放つ。この味わいこそが、30年経っても心にずっと残っていた理由だろう。

描いているうちに、自然と身についている調和的な感覚が出てきてしまう。それが大人というものだろうし、子供に勝てないところなのだろう。

デカ目限界を試してみた絵
デカ目限界を試してみた絵
時には小賢しい方法も使い、似せようと描いてきたデカ目イラスト。しかし、たどり着いたのは足元を掬われるような結果だった。

似せようとしたのはある程度うまくいったと思うが、それと同時に失ったものの方が大きかった。繰り返すうちに上達しちゃう人間の学習能力が仇となった結果だ。

絵がこなれてきた後、始めにあった味をもう一度出そうとしたが、どうしても出せなかった。大げさに言うと、そこには子供から大人になったことの喪失感が期せずしてあったのだと思う。
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